「けどさ。キスとか抜きにしてみりゃ別に今までと変わんねーんじゃね?」


 会うのも、話すのも、出掛けるのも。
 どれもこれも、現在進行形でしていることだったりする。
 思い返してみて改めて気付いたことだったが、御柳が天国と会う時間は下手な女より多かった。

 他校であるというだけでもなかなか接点はないはずなのに。
 そんなものはまるで障害にはなっていなかった。
 長い付き合いでは決してないけれど、一緒に過ごすことが訳もなく心地良かったからだ。
 相性が合う、というのは恐らくこういう間柄のことを言うのだろうと思う。

 御柳の言葉に、天国はきゅっと唇の端を上げた。
 引き結ばれた唇が綺麗だと。
 そんなどうでもいいことを、何故か考えてしまう。
 キス、という言葉を口にしたのは自分なのに。罠を仕掛けたのは自分からだったのに。
 たったそれだけで、余程自分の方が意識をしていることに気付き驚く。

 嫌いじゃない、それぐらいの感情でキスもセックスも出来る。
 触れれば反応する、そんな身体の扱いは思っていたよりずっと楽で。
 だから、適当な関係を楽しむのが御柳の常だった。
 けれどそれなら。
 嫌いじゃない、むしろお気に入りの天国にキスをすることは不可能じゃない。
 いや多分、一晩限りの相手よりずっと楽しいだろう。


「なあ御柳?」

「あ? ……何」

「俺は不器用だから、割り切れないんだよ」

「……はあ。だから?」

「独りじめしたいって思うのは、全然今までと違うだろ」


 言葉も視線も指先も。
 一つ一つ、全てを自分のものにしたいと。
 そう思ってしまうのは、オトモダチの範疇じゃないだろうと。
 相変わらず今まで見たことのないような目をしながら、天国は言った。

 静かな声。
 穏やかな眼差し。
 それに、一瞬前に考えていたことを見透かされたような気分になる。


「……俺は」


 御柳にしては珍しく、言いよどんだ。
 天国の声は、深く静かな場所から響いてきて。
 けれどどこかひび割れた、傷の伴った音だった。
 その傷の一端は自分にもあるのだと、何故かそれが分かる。

 何を言おうとしたのか、言えばいいのか。
 足元が覚束ないような気がする。
 向けられる、想いに。


 瞬間、脳裏を過ぎったのは。

 その、影は。


「知ってる」

「……?」

「分かってるから。お前が今考えたこと。その人のこと」


 治りかけの傷に手を触れられたような、気分になった。
 痛いわけじゃない、それなのに心拍数が知らず上がってしまうような。
 天国はそのひと、と言った。
 知らない人間ではない人物を、まるで知らない誰かのように呼んだ。
 見知らぬ誰かのような目が、曖昧に揺れる。


「……それでもいいって言ったら、どうする?」

「それでもいい、って」

「お前の頭ん中にさ。少しでも俺の居場所があるんなら、ってこと」

「ないわけ、ねーっしょ」


 興味のない人間の相手をするほど、お人好しじゃないから。
 言えば、天国はにこりと笑った。
 どうしようもなく綺麗な、どうしようもなく寂しそうな泣きそうな、そんな顔で。

 反射的にその顔に、頬に手を伸ばしたくなる。
 庇護欲、なんてそんなものが自分にあるとも思えないのだけれど。
 天国が垣間見せた表情は、それでも御柳の内側を掻き立てる何かを持っていた。
 指先がぴくりと震えた。


「欠片でいいから、くれよ。お前の気持ち。それだけで、充分だから。それ以外はいらないから。もうどうしようもねーんだ、俺」


 情けねーけど、と言いながら天国は右手で服の裾をぎゅっと握って。
 何気なく見やったその手が震えているのに、胸の内がざわつく。
 その震えに、天国自身は気付いているのだろうか。
 手を握って、それを教えてやりたかった。
 できはしないけれど、そう思った。

 どうしようもない想い。
 自分のものなのに、己の中から生ずるもののはずなのに、どうにもできない感情。
 強過ぎて、ただ翻弄され浚われていくだけの。
 それは、御柳にとって他人事ではなかった。


「……お前はそれで、いーんかよ?」

「終わらないものがないなんて、お前だってよく知ってんじゃねぇの?」

「ああ……そうだな。よく知ってる」


 頷いて、少し笑う。
 性格も言葉も仕草も、どれも少しだって似ていないのに。
 傍らに居て無性に心地良いのは、同じものを見られるからかもしれないと。
 そんなことに思い当たった。

 天国は知っている。
 永遠などない、と。
 どんなものにも、いつか終わりが訪れるのだと。
 多分、自分同様苦い思いでそれを見つめている。
 その根幹にあるのが何なのかは分からないし、知りたいとも思わない。

 けれど、自分と同じように苦い経験からそれを知ったのだろうとは、漠然と分かった。
 それが今も天国の内側にある。
 根をおろし、ひっそりとだが確かに息づいている。
 だから、御柳と天国は同じものが見られるのだ。


 それに気付いた瞬間、逡巡していた指先は迷うことなく天国の髪に触れていた。
 指先に、明確な意図を以ってして。
 触れた髪はさらさら、とまでは行かずとも指に気持ち良かった。

 その髪をゆっくりと梳かしながら、天国を凝視する。
 見返してくる天国の瞳の底に、誰をも立ち入ることを赦さない何かがあるのを見た、そんな気がした。
 指が耳元を掠める。
 天国がくすぐったげに、肩を揺らした。


「みやなぎ」

「んん?」

「ごめん、な」

「バーカ。共犯っしょ、こういうのは」


 言って、その肩を躊躇いなく引き寄せた。
 女のように柔らかくはないけれど、ぬくもりはさして変わらない。
 ともすれば想いの強さを垣間見たその分、今までの誰よりも暖かいような気がした。
 暖かい、だなんて可愛らしいものじゃ足りない。
 激情に晒されたそれは多分、熱い。

 御柳の肩にそっと頭を乗せながら、天国がぽつりと呟いた。
 消え入りそうな言葉は、それでも距離の近さからしっかりと御柳の耳に届いていた。


 好きになって、ごめん。

 ありがとう。


 切ない言葉だった。
 哀しい感情だった。

 返す言葉を思いつかずに、抱き締めた腕に力をこめる。
 おずおずと預けられる重さに、想像していたよりも強く愛しさを覚えた。
 正しくなんてない。
 それは多分、二人ともが分かっていることだった。
 けれど、分かっているからこそ歩み寄った。
 誰に何を言われても、受けとめる覚悟は静かに胸の内に在った。


 傷付くこと、そして終わり。
 最初から用意されたそれに歩んでいく、ゆっくりと。
 二人、並んで。時には手を繋いで寄り添って。
 ぬくもりを分け合いながら、それでも先に待つのは終わりしかない。


 そんな始まりだった。













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