「……で、お前はどーしたいの。猿野?」 口をついて出たのは、そんな言葉だった。 疑問に疑問で返すのはどうかと一瞬思ったけれど。 声に出してしまったものは今更どうにもできないので、御柳はそのまま目の前の人物……天国をただ見つめた。 天国は御柳の言葉に考えを巡らせるように、ゆっくり瞬きをする。 自分の放った言葉が天国の中に浸透していくのが、何となく分かるような気がした。 それは感覚的なもので、きっと言葉にして説明しろと言われてもきっと無理なのだろうけれど。 同じ場所に立っている同士だからこそ、御柳は天国の心境が何となく分かるような気がした。 天国は少し眉を寄せ、ことりと首を傾げる。 その唇が薄く開いたのは、息をするためか、それとも何かを言いかけたのか。 御柳が、言葉ではなく目線で促せば天国は一度唇を噛んだ。 その行動の意味するところは、否定でも拒絶でもなく、決意だ。 「まとまんねーんだけど」 「片っ端から言ってってみ」 「会いたいし」 「ん」 「話、もっとしてたい」 「で?」 「一緒に、出かけたりしたいし」 「後は?」 「……さわり、たいかも」 最後の言葉は、俯いてぼそぼそと控えめに。 言いたくない、聞かれたくない、というのが何よりも分かる仕草。 それならば口にせずに隠し切ってしまえばいいのに、天国はそれをしない。全てを明らかにしてしまう。 無邪気で残酷な子供のように。 天国が呟いた言葉に、御柳は流石に少し驚いて軽く目を見開いた。 けれどすぐに、くっと笑う。 「大胆だな、意外と」 言えば、天国は慌てたように顔を上げた。 一気にその耳までもが赤く染まる。 混乱して言葉が出てこなくなったのだろう、その唇が何か言いたげに開いたり閉じたりをした。 存外に長い睫毛が、ぱちりぱちりと何度か上下した。 面白ぇなあ、と言葉には出さずに考えた。 一拍置いてから、天国はふうっと音がするほどの勢いで息を吐き、ぶんぶんと首を振った。 「ちっ…違ぇからな! そ、そういう意味じゃねーから!!」 「んじゃ、どーゆー意味?」 「……手、に触ってみたいとか。背中、に掌当ててみたい、とか」 そういうカンジの。 ただ物理的に『さわりたい』のだと。 けれどそう言う天国の言葉の終わりは、自信なさげに消えていく。 消沈していく言葉に合わせて、視線もどこか下へとやられる。 自分でもよく分かんねーんだよ、と。 俯き加減で、どこか拗ねたように天国は言った。 余韻が残っているように赤い、天国の頬に。 触れたら如何なるのだろうかと、少し意地の悪い考えが頭を過ぎってみたりもした。ひとまずそれを実行に移すことは押しとどめたけれど。 触れる、その代わりに御柳が紡いだ言葉は。 多分天国にしてみれば、触れたのと同じ、もしくはそれ以上の効果があっただろうと思う。 その効果、は。 御柳が予想していた、もしくはこうなればいいと思っていた、それとは違ったのだけれど。 「んじゃ……キスとかは?」 肩が、揺れた。 それは注視していなければ気付かないような、ほんの些細な動作だった。 けれど、御柳はそれを見た。 見て、気付いてしまった。 その僅かな動き、そこに込められた天国の動揺に。 俯き加減だった顔を上げた天国、その表情は苦笑だった。 困ったような途惑うような。 微笑って、天国は言う。 「よく、分かんねーけど。しても、いーかもとかは、思うよ」 静かな、声だった。 途切れがちの言葉、その声音に自分の言葉が天国を傷付けたのだと悟る。 じわり、と。何か厭な感覚がした。 適当に遊んでいる女たちに泣かれた時も喚かれた時も、こんな心地にはならなかったのに。 何故だろう、淋しげに言う天国の声に心の端を掴まれたような気分になった。 痛いわけじゃない。そこまで乱暴じゃなかった。 哀しいわけじゃない。そこまで冷たくはなかった。 じゃあ、これは何だと言うのだろう。 名前のない、少なくとも御柳はその名を知らない感情が腹の底で澱のように溜まって渦巻いている。 途惑いながらも謝ろうかとしたところで、天国がゆっくり首を振るのに遮られた。 全てを諦めたようにも、逆に許容するようにも見える仕草だった。 見たことのない、顔。 聞いたことのない、声。 知らない誰かと話しているような錯覚に陥る。 「何、俺ってば結構好かれちゃってんだ?」 途惑いも、名も知らぬ感情も全て振り払い。 御柳は態といつも通りを装った。 それが天国に見抜かれているのかどうかさえ、今は良く分からない。 「おう。そうみてーだわ」 御柳の言葉に、天国もいつものように返す。笑う。 その笑顔は、見慣れているものの筈なのに。 どこか違うと思ってしまったのは。 あの時、肩が震えるのを見なければ騙されたのに。 名演技は見透かされてますよ、残念でした。 残念、なのは。 御柳なのか、それとも天国なのか。 どちらなのか、分からなかった。 分かりたくもなかった。 BACK NEXT CLOSE |