暗闇の中、

 音もなく流れる川。

 確かにそこに在るのに、

 見えない。


 ……どれだけ目を凝らしても。





         
夜の河 〜くらいみち〜






 携帯電話が普及したのは、俺にとっては有り難かった。
 いつでもどこでも、連絡をとりたい人間に繋がるそれは、俺にとっちゃ命の綱だ。
 けど、それが普及する前は。
 色々大変だった。

 そ、色々と……な。



 車って結構便利だ。
 まぁ停車してからそこそこの時間なら、ボンネットが熱を帯びてるから。
 冬場それで暖をとったことなんて、もう数え切れない。
 難点は、ボンネットに貼り付いてるその様が、車上荒らしか狂人か、はたまた酔っ払いにでも見えることだろな。
 見つかったら即逃げる。
 コレは鉄則。

 うわ、なんかこれ犯罪者っぽくね?


 あとはやっぱ、車体が大きいから隠れやすいってことだよな。
 今じゃもう図体でかくなってっからできねーけど、車の下にもぐり込むのとかってなかなか便利。
 軽なんかだと、まさかその下に貼り付いてるとは思わねーからさ。
 ま、それは子供特有の技ってやつか。

 それでなくても駐車場なんかはいい。
 隠れながら逃げられるから。
 一度マンションかどっかの立体駐車場みたいなのに忍び込んだら、迷路みたいで俺まで出られなくなっちまったけど。(あ、勿論明るくなってから出たぜ?)




 小学生くらいの時だったかな。
 やっぱり家から逃げた俺は、なんだかすっげ精神的に参ってて。
 や、そりゃいつも少なからず参るんだけどさ。
 その時はなんかもう自分がこのまま消えてなくなりたい、って思うぐらいに参ってて。

 いつもなら沢松の家に行くなり、
 自分で逃げ場所にと作った橋の下に行くなり、
 それでなきゃ仲良くなったホームレスのおっちゃんのトコ行ったりとか、
 その頃にはそういう選択肢を既に沢山持ってたんだけどさ。

 なんかもう、そのどれもこれもが俺の心を助けてはくれなかった。
 どれも虚しいだけな気がして、どこへも行く気がしなかった。
 慌てて飛び出してきたもんだから、靴も履けてなくて。
 白い靴下が歩くたびに汚れて行くのが分かって、余計にどうしようもなくなってた。
 アスファルトって何気に長時間歩いてると足痛くなるし。


「知らないとこに行きたいなー」


 悲壮感なんてまるでない口調でそんなこと呟いたりして。
 人間あんまり混乱したり恐かったり哀しかったりすると、涙なんて出やしないもんなんだぜ?
 嬉しい時?
 嬉しい時は……どうだか、知らないけど。

 ともかくさ。
 その時の俺はもう涙なんて出やしなかった。
 顔の筋肉が固まったみたいに、どんな表情もできやしなかった。
 それでなくても、学校とかでは何も知られないように仮面を被り続けてたから。
 普段の…俺一人か、沢松と二人だけの時とか…そういう時の俺は、あんま喋らないわ表情変えないわ、まぁハッキリ言ってくっらーい人間だったりとかしてさ。

 なんかもう、泣けないんだよ。
 泣けるだけの心が、存在しないんだ。

 追われること、

 殴られること、

 逃げること、

 隠れること、

 物音に怯えること、

 そういうもんで、心がめいっぱいになってて。

 泣けるだけの余裕なんか、残されてない。
 生きるためには泣いてる暇なんかない。
 そういう、カンジ。


 話それたけど。
 とにかくその時の俺はまぁひどい状態で。
 住宅街を歩いていればさ、まぁ、あるわけだ。
 お決まりのシチュエーションってやつが。
 ホラ、俺悲劇の主人公だし?
 そういうのも宿命ってやつだろ。
 何があったかって?

 一人歩いてる中で(それも靴も履かずに)、
 ふと通りかかった一件の家から。
 家族の、仲良さげな笑い声が聞こえてきた。

 ……っていう、な。
 ああもう全く、お決まりの展開すぎて笑えもしねーし。
 今だからこそ笑うしかねーけど。
 その時はもう、どうしようもない精神状態だったもんだから。

 俺は、その辺に落ちてた野球ボールより少し小さいぐらいの石を引っ掴んでさ。
 その家の2階の、電気の点いてない部屋の窓に向かって力いっぱい放り投げた。
 あ、これもう時効だよな?
 大体そこ、知らない家だったし。
 闇雲に歩き回ってたから知らない街だったし。
 今更謝りに行けって言われたって無理なんだよ。

 まあともかくさ。
 石を投げて、硝子の割れる音が聞こえてくるその前に、俺はその場から全速力で逃げ出してた。
 ま、当然だよな。
 それが咎められることだってーのは、その時の俺の精神状態でさえ分かることだし。


 逃げて逃げて逃げて。
 見知らぬ街だったけど、暗くて自分がどこをどう走ってきたかなんて分からなくなってたけど。
 全部振り切るみたいに、ただ走った。

 暗い道は、どこまでもどこまでも続いてて。
 行き止まりに当たったらそこを引き返して、また新しい道を走った。
 それだけだ。
 何が何だか分からなくて、でも泣けもしなくて、もう走るしかなかった。
 暗い道を、ただ一人で。
 走るしか、できなかったんだ。




 俺はさ、自分が不幸だなんて思ってないよ。
 その頃だって、思ってなかった。
 だって俺には、俺の住んでる環境ってのは生まれながらにあるもんでさ。
 誰に何を言われようと変えることのできないそれに、嘆く暇なんてなかったんだ。
 大体、それが当たり前だと思ってる人間には何を言ったって無駄なんだよ。
 他人の言葉に耳を傾けることはできても、結局自分の置かれてる状況は変わらないわけなんだから。

 今なら分かるよ。
 俺はあの時、ただ羨ましかった。
 俺にはないものを当たり前に持ってる人間がいることに。
 あの場所にいる人間は、俺みたいな奴がいることすら知らないんじゃないかって。
 そう思ったらいたたまれなくなった。

 だって、どうしてだか分からないじゃないか。
 俺が親父に殴られるのも、嫌われるのも。
 物心ついた頃には、もう既にそうだったんだ。
 理由なんか聞けるはずもない。
 今だって分からない。


 今は、あの頃より成長したんだろうな、ずっと上手く立ち回ってる。
 逃げ場所だって確保してあるし。
 色々なものが混在している今みたいな時代、世相は俺みたいな奴が生きていくには丁度やりやすい。

 それに俺、分かったからさ。
 俺だけじゃない、誰だってくらいみちを歩いてるんだってこと。
 道=未知なんだよ。
 皆、先の見えない場所を歩いてる。
 明日のことなんて、明日がどうなるかなんて分からないだろ?
 それを知ったら、随分楽になった。
 息をすること、生きること。

 今は、友達って言える奴も。
 ……仲間って、言える奴も、いたりするし。

 それでも、時折どうしようもなく浮かんでくる虚しさとか。
 訳の分からない寂しさとか哀しさとか。
 そういうのは、やっぱりあるよ。
 ないとは言わない。
 言わないだけ、やっぱり楽になれたんだと思う。
 昔のままの俺なら、言えなかったから。

 可哀想だなんて言うなよ。
 その言葉は、俺には分からない。意味がない。
 俺にとっては俺のいる環境ってのは当たり前でさ。
 それに可哀想だの何だの言われても「そーなんだ?」って感じだし。
 渦中にいる人間なんてそんなもんじゃね?
 少なくとも俺はそー思うな。


 まあともかくさ。
 暗い道でもいーじゃん、ってこと。
 それすら楽しんで、歩いてやろーじゃんってこと。

 そういうの、教えてくれたんはさ。
 やっぱ、お前も含むアイツらなんだってことだよ。
 これでも、分かりにくいけど感謝してんだ。










 END














喋ってる相手は沢松か子津っちゅで。


 

 

 

 

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