夜の河は、

 見えない。

 音がしないから、

 そこにあるのか否か、

 分からない。






         
夜の河 〜子供だましな嘘〜





 俺の本当の父親は、俺が生まれてからすぐに死んだ。


 ……ってことになってるけど実は偉い学者で、研究の為に地球の反対側まで行ってる。
 けど、それはあまりに危険で苛酷な旅で、家族を連れて行くわけには行かなかった。
 いつ帰ってこられるかも、本当に帰ってこられるかも分からない。
 父さんは母さんを愛してた。
 逆もまた然り。
 でも、だからこそ。父さんと母さんは、別れることになった。
 自分にいつまでも縛られないようにと。
 忘れるわけではなく、自分の存在を心の中に抱いて、それを己自身として、そうして幸せになってほしいと。


 そう、望んで。


 誓い合って。



















 …………なんてな。
 嘘に決まってるだろ、そんなの。
 エイプリルフールの冗談にしたって、騙される奴なんているわきゃないだろうけど。

 けど、この子供騙しな嘘は。
 ガキだった俺に、よく効いた。

 だって、楽だったんだ。
 そう思う方が、楽だった。
 俺の本当の父親は別に居て、いつか俺を迎えに来てくれるって。


 今俺を殴ってるのは、本当の父親なんかじゃないって。


 そう思っていれば、少しは気が紛れたんだ。
 逃避?
 そんなの分かってるよ。
 だって、逃げたかったんだ。
 今の現実から、逃げたかったんだ。

 抵抗も出来ないガキには、それしかなかった。
 逃げる事すら出来なくて、殴られながら頭の中を別の場所に飛ばしてた。
 よくまぁ、多重人格にならなかったよな、俺。

 少しばかり成長して頭が回るようになったら、家に帰らないとか逃げ場所を作っておくとか色々立ち回りもできるようになったけどさ。
 でもどうしたってぶつかる時ってのはあったりしてさ。
 財布も鞄も、何も持ってこれずに逃げた時だって、一度や二度じゃない。

 ……なあ、どうしてだろう。

 俺、何かしたのかな。

 小さい頃から問い続けてる、答えの返って来ない問い。
 友達は多かったけど親友ってもんがいなかった俺が、初めてできた親友…沢松に問い掛けた時。
 沢松が、その時にはもうすっかり事情を知っていた奴が、どうにも答えを探しかねて困った顔をしたのを。
 俺は昨日の事みたいにハッキリ思い出せる。

 奴があんまり困った顔をするもんだから、俺の方が焦ってしまったのも。
 ハッキリ、思い出せる。



 だけど俺は、それでも、問い掛けずに居られない。

 ゴミ入れ漁って水ぶっかけられてる野良猫とか、

 痩せちまってあばらが浮いてよろよろ歩く野良犬とか、

 駅前の噴水の傍、夜中にぼけっと座ってる女子高生とか、

 置いてけぼりにされたみたいに中空に掛かってる白い月とか。

 そういうもんに。
 帰る場所をなくして、所在なげな存在に。
 ……俺みたいな、俺と似た、そういうもんに。
 片っ端から問いかけてぇよ。


 なあ、どうしてだろう。

 俺、何かしたのかな……


 問いかけながら、俺は答えが出るはずないってことも分かってて。
 そうだ、これはガキの頃自分についてた嘘の延長だ。
 それを聞いてた方が、楽なんだ。
 答えの出ない問いをずーっと弄りまわしてれば、気が紛れるから。



 結局俺は、ガキのまんまだってことか。
 ま、自分が大人だ何て思っちゃいなかったけど。


 そうして俺は、今日もまた飽きもせず、

 不様に問いかけるんだろう。

 たとえば帰り道うち捨てられた自転車とか、

 電線で一羽だけいつまでも残ってる鳥とか、

 誰かが落として行った靴の片方とか、

 そういうもんに。





 ……なあ、どうしてだろう。







 
 END



 

 

 

 

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