【肆・豊穣の祭り】







「天国、今日は祭りだぞ!」

「まつり?」

「ああ、大々的なモノじゃないらしいけどな。今年は豊作だってんで、それを祝うんだそうだ!」


 にこにこと、嬉しそうに天国に教えてくれたのは父親の雅国だ。
 天国が首を傾げるのに、くしゃくしゃと頭を撫でてくる。
 幾度もの激戦をかいくぐって来た雅国の手のひらは決して柔らかくはなかったが。
 天国は、その手が好きだった。


「父上」

「ん〜?」

「まつりって、なに?」


 ことり、と首を傾げながら天国は問う。
 初めて聞く音の響き、それを歌を口ずさむように声にした。
 天国の問いに、雅国は目を丸くする。
 まさかそれを聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 しかし無理もない。
 天国が天界の母の元から地上の野支家に来て、まだ一ヶ月と少ししか経っていないのだから。
 野支家で過ごすようになって約一月。
 今の天国は、外見的には10歳頃と言ったところだろうか。
 短命の呪いをかけられた野支一族は、常人からは考えられない早さで成長する。


「んあ? あー…何だ、出店だの屋台だのがあってだな、人が集まってきて……」

「やたい?」

「んー、食い物とか売ってんだ」


 がしがし、と頭をかきながら雅国は説明ともつかぬ説明をする。
 頭では理解していても、それを言葉にして説明するとなると難しいらしい。
 分かったのか分からないのか、天国がジッと雅国を見つめていると。
 雅国は誤魔化すように声を上げて笑った。


「ま、楽しい処だってことだ!」

「そこ、俺でも行ける?」

「おう、祭りってのは人が多いほど面白いもんだからな」

「じゃあ、行きたい!」


 雅国の着物の裾を両の手できゅうと握り締め、天国は言う。
 屋敷を訪れた当初こそ、言葉少なで緊張した面持ちの天国だったのだが。
 やはりこの父親にしてこの子あり、と言うべきか、今では表情も言葉もすっかり豊かに表現できるようになっていた。
 そして予想通りと言うか何と言うか、雅国は天国に対してすっかり親馬鹿になっていた。
 今も、小首を傾げながら言った天国に対してそうかそうか、などと言いながら抱き上げていたりなぞして。



 今の野支の血を引く者は、天国を迎えて5人になっていた。
 年長は現当主、剣士の無槻。
 天国の父、薙刀士の雅国。
 弓使いの美央。
 無槻の息子で、やはり剣士の無涯。
 そして、槍使いの天国の5人である。

 天国はまだ討伐に加わることはできないが、一族初の槍使いということで否応にも期待を受けていた。
 しかしそれ以上に、天国には不思議と人を惹き付ける何かがあった。
 特別に何かを為すわけでもないのだけれど、纏う空気が思わず目を引くのだ。
 最年少だからということもあるだろうが、そのせいか天国はやたらと家族に可愛がられていた。


「よしよし、そうだな。偶には息抜きもしなきゃだからな」

「雅国さん。安請け合いする前に、無槻姉さんに了承を得なければ駄目でしょう?」


 諌めるような言葉の内容とは裏腹に、その声には多分に笑いが含まれていた。
 くすくすと、鈴の音のような声。

 雅国が天国を抱き上げたまま振り向けば、戸口に美央が立っていた。
 無槻とはまた違う雰囲気を纏った、外見的には少女と言うべきだろう。
 上品で穏やかな物腰の美央は、一族の中でも術の扱いに長けている。
 天国が野支家を訪れた時、家で訓練中だった無涯を見ていたのも美央だった。

 かくいう天国も、美央に稽古をつけてもらったことがある。
 冷静沈着、を絵に描いたような美央の指導は的確で分かりやすかった。
 元から才があったのか、美央の指導のおかげで天国は幾つも術を唱えられるようになって。
 新たな術を覚える度に嬉しくて仕方がなかった。

 そんな美央に、天国が懐いているのも無理はない。
 視界に美央の姿を認めた天国は、ぱあっと笑顔になる。
 美央の着物がいつもと違い、華やかな色だったことも笑顔の要因の1つだろう。
 美央は、淡い黄色に朝顔の模様が入った浴衣を着こなしていた。


「美央姉、見たことない着物だ!」

「おお、浴衣も似合うな美央。どうしたんだ?」

「どうしたも何も……今、話されてたじゃありませんか」

「あ? 祭りのことか?」

「はい。無槻姉さんには外出のことは話してありますから」


 にこり、笑う無槻の言葉の端に抜かりはありません、と聞こえた気がするのは気のせいか。
 しかしながら相手は雅国だ。
 言葉の裏を読む、などと言うことが出切る筈もなく、無槻は笑って言った。


「いやぁ、やっぱり美央はしっかりしてんな〜」

「雅国さんが大雑把過ぎるんです」

「ははっ、それにゃ言い逃れはできねえや」

「美央姉も、祭りに行くの?」

「ええそうよ。天国にも浴衣があるから、着替えましょうね?」

「うん!」


 雅国の腕から飛び降りた天国は、美央に走り寄る。
 美央が差し出した手をきゅうと掴み、天国はにこりと笑った。
 それに、美央が微笑み返す。


「そういや美央」

「はい?」

「その浴衣、どうしたんだ?」

「今更聞きますか…イツ花が、用意してくれたんですよ。雅国さんの分もありますから、着替えてきてくださいね」

「おおそうか。悪いな。じゃ、天国の着付けは頼む」

「勿論、最初からそのつもりです」


 イツ花に負けず劣らず大雑把な雅国に、浴衣の着付けなど出来ようはずもない。
 その見解には美央だけではなく家族全員が賛同するだろう。
 雅国はじゃあな〜、などと言いながら廊下を歩いて行ってしまった。

 美央は片手に持っていた浴衣を天国に見せた。
 絢爛とまでは流石に行かないが、紺地に蜻蛉の柄が入った浴衣は天国によく似合いそうだった。


「美央姉、無涯兄は?」

「無槻姉さんに浴衣姿を見せに行ってるわ。心配しなくても大丈夫、ちゃんと一緒に行くから」

「うん!」


 美央の言葉に、天国は頷いた。
 屈託なく人懐こい天国だが、家族の中でも無涯と一緒にいることが好きだった。

 無涯は、天国より2ヶ月年上の少年だ。
 無槻の息子で、職業は剣士。
 天国に比べると無口で感情の起伏も分かりにくいが、その実無涯が優しい人間であることを天国は知っている。それは天国だけではなく、野支の人間は皆が承知していることだけれど。

 しかし何より、年が近いこともあってか無涯はよく天国の遊び相手になってくれることが多く。
 門扉の外に遊び相手を持っていない野支家では、何より家族の絆が深い。
 その中でもやはり年近い者同士が親しくなるのは、致し方ないことだろう。
 例に洩れず、天国もそんな理由で無涯に一番懐いているようだった。



「美央姉は、まつり好き?」

「そうね、楽しいと思うわ」

「俺も、好きになれるかなぁ」

「ふふ、天国ならきっと大好きになるわ」

「楽しいなら、好きだ!」


 笑う天国に、美央は愛しそうに目を細めながら優しくその頭を撫でた。
 美央ははしゃぐ天国の着つけを手伝いながら、ふと願う。
 この幼子の笑顔が、曇ることがないようにと。
 絶望も苦しみも、このまっすぐな心を手折ることがないように、と。


 近いうちに天国も戦いに赴くことになる。
 鬼と対峙する事、それは野支の家に生まれたからには避けられない出来事だ。
 けれど、それに慣れることなどない。
 むしろ慣れてはいけないのだろうと思う。

 ともすれば震えそうになる足、怯えて挫けそうになる心。
 それを抱えて、それでも生きる為に剣を振るう。
 屍を乗り越えて、進む。
 ただひたすらに、生きるために。

 鬼と相対する事、そこへ挑む人間の心はひどく脆く、同時に鋼より固い。
 そんな両極端を身の内に潜ませ、彼らは戦いに向かう。
 生きるため。
 悲願を果たすため。
 親兄弟、先祖のため。
 ……何より、未来のために。




「美央さん、天国の仕度は終わりましたか?」


 声がかけられ、襖が開けられる。
 顔を覗かせたのは、無涯だ。
 無涯の顔を見た天国が、嬉しそうに笑う。


「あ、無涯兄ー!」

「待て天国。動くと着つけが出来ないだろう」


 当主の息子として生まれたせいか、それとも元の性格からか。
 おそらく両方なのだろう、無涯は天国に比べると随分大人びている。
 天国が無涯の元へと駆け出そうとしたのを、苦笑しながら片手で制する。
 天国はそれに眉を寄せて、美央に頭を下げた。


「あ、そっか。ごめんなさい、美央姉」

「いいのよ、もう終わりだもの。はい、出来た」


 帯を結び終えて、ぽんとその背を軽く叩いてやる。
 天国は美央の振り返り笑顔で礼を告げた。
 それから無涯に駆け寄るのに、美央は笑いながら言う。


「天国は本当に無涯が好きね?」

「うん、無涯兄は優しいから好きだ!」

「あら、私は優しくない?」

「美央姉も優しいけど……無涯兄は、何か分からないけど、優しいだけじゃなくて……」


 困ったように眉を寄せながら、天国は考え込んでしまう。
 それを見ていた無涯が、天国の頭を撫でた。
 もういいから、とでも告げるように。
 天国はと言えば、まだ考え込んだ顔のまま無涯を見上げて首を傾げる。


「美央さん、あまり天国を困らせないでください」

「そうね。可愛いものだから、つい」

「俺、困ってないよ無涯兄」

「ああそうだな。そろそろ行くか。出かけるのが遅いと帰りも遅くなるからな」

「うん!」


 無涯の差し出した手に、天国が己の手を嬉しそうに乗せる。
 美央は二人の背中を見ながら、そっと微笑んだ。
 楽しそうな様子は、見ているこちらまでもを幸せな心地にしてくれる。


 暫しの間なれど、休息を。


 誰に言うでもなく、美央は口の中で呟いた。
 誰が何を言ってくれようとも、野支の一族は血塗られた道を歩んでいるのには変わりがない。

 それでも笑顔は絶えない。
 泣くことも苦しいことも、同じだけあるけれど。
 笑えることがあるのなら、大丈夫だと。
 難しいことは分からないけれど、きっとそれだけでいい。


「美央姉ー!」

「今行くわ」


 呼ぶ声に笑って、美央は前へと足を出した。


 この足は、前へ進むためにある。

 それが分かっているのだから、それでいい。







 

 





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