【参・その名は、天国】






「当主様、お帰りなさいませ!」



 一月の討伐を終え、野支の家の門扉をくぐった討伐隊を迎えるのはいつも元気な声だ。

 桃色の着物に身を包んだ少女の名は、イツ花。
 天界から野支一族の身の回りの世話をするように、と遣わされたのが、彼女である。
 自ずから「風邪をひかないことだけが取柄の、大雑把世界一」などと言っている、元気な少女だ。

 イツ花は自らをそう称しているものの、実際野支の人間はその存在に幾度も助けられてきた。
 雑用事をこなしてくれるのは勿論のこと、その明るい声音と性格とは、ともすれば重過ぎる宿命に押し潰されそうな心を軽くしてくれる。


 イツ花の笑顔に迎えられたのは、野支家代10代目当主の無槻だ。
 無槻は女ながらも剣士という職業をこなし、今では一族の中で最強を誇っている。
 男もかくや、という激しい気性の持ち主だが、竹を割ったような性格は家族から慕われ尊敬されていた。


「ただいまイツ花。今回の討伐はなかなかだったよ。指南書と巻物を手に入れてきた」

「本当ですか! じゃあ今日の夕飯は奮発しちゃいますね!」

「ああ、頼んだよ。ところで、イツ花」

「はい! 風車ノお七様より賜ってきたお子様が、お待ちです」


 心得た、とばかりに告げるイツ花に無槻はそうか、と頷いた。
 イツ花と話ながらも、彼女は手慣れた様子で防具を外して行く。
 そんな無槻の後ろで、そわそわと落ちつかない様子を見せているのは、その子の父親…薙刀士である雅国だ。
 それを見たイツ花が、くすくすと笑う。


「男のお子様ですよ、雅国さま」

「ホントか! そうか〜、姐御、どうかどうか良い名前を付けてやってくれよな!」

「うるっさいねー、お前は。子が出来ればちょっとは変わるかと思えば、全然落ち着きやしない。子供は逃げやしないんだから、ちょっとは親らしい威厳とやらを見せたらどうだい」

「あ、あっ、そうだな。俺、親父になるんだもんな!」


 うわー、俺が親父だって!
 お七さまとの御子だってんだから、絶対可愛いよな、うん、そうに決まってる。

 無槻の言葉に頷きはしたものの、どうにも浮き足立つのを止められないらしい。
 雅国はぶつぶつと口の中で呟きながら、一人真顔になったり照れてみせたりと挙動不審なことこの上なかった。
 言っても無駄だと悟ったのか、防具を外し終えた無槻が嘆息しながら立ち上がる。


「じゃ、あたしは一足先に話してくるから。イツ花、悪いけどそのバカを見られるような顔にしてから来てくれるかい?」

「はい、承りました」

「ちょ、姐御なんだよ〜見られるような顔って」

「そんな泥まみれな顔で子供に会うつもりかい? せめて顔と手足ぐらいは洗ってから敷居を跨ぐんだね」


 前線に出ることの多い雅国は、討伐を終えて帰ってくる頃には大概見るも哀れな外見になっている。
 実力はあるのだが、性格的に問題があるのか、転んだり慌てたりが多いのが玉に傷だ。
 それでも、彼の明るい性格はイツ花や無槻とは違った意味で家族に慕われていた。


 座敷に上がった無槻は手早く身支度を整えた。
 戦いの最中においては鬼神の如き強さを誇るとまで謳われる無槻だが、一度戦いの陣から身を引けば白百合もかくやの美女であることが分かる。
 世が世なら貴族も引く手数多だったに違いない、とは先代当主が無槻にこっそり言ってくれたことだった。
 尤も、無槻自身は己の容姿にさほど興味はなかったのだけれど。


「入るよ」


 客間の襖の前に立ち、一言中に声をかけてから中に入った。
 が、そこに居る筈の子供の姿が見当たらない。
 訝しみ、無槻は軽く眉を寄せた。
 部屋の中を見渡すが、どこにもいない。

 ふと、庭へ続く窓が開け放ってあるのに目が止まった。
 中途半端な開け方は、イツ花ではないだろう。
 苦笑しながら、無槻は窓へと足を向けた。

 案の定、窓の外に子供が立っている。
 白い着物に身を包み、その細い足でしっかりと大地を踏みしめて。


 子供は、無槻にその背を向けるように立っていた。
 完全に背を向けているのではなかったから、無槻から子供の横顔を伺うことが出来た。
 子供は、その唇を真一文字に引き結び上を見上げていた。
 上、空、それの示すところは天の国だ。

 けれど子供の顔には悲壮感も寂寥の念も浮かんでいない。
 ただ、在るべきものを在るものとして、偶々見ていたものが空だっただけのように。
 何を思うでも言うでもなく、ただ空を見上げていた。



「天国」



 言葉が、自然と口をついていた。
 無槻の声に、子供が我に返ったように肩を震わせる。
 向けられた目は、無槻の言葉の意味を推し測るようにまっすぐだった。

 無槻は笑って、縁側に座り込む。
 そうして子供を手招いた。
 招かれるまま、子供は無槻の傍へ歩み寄ってくる。


「お前の名前は、天国だよ」

「あまくに?」

「そう。お前の父上から一文字もらってね。いいかい、天国」

「はい、ごとうしゅさま」


 こくりと、子供は頷く。
 顔立ちが雅国によく似ていると思った。
 若干言葉少なな様だが、父親がアレであればすぐに何とかなるだろう。
 無槻は笑って、子供の頭を撫でた。


「御当主、なんてよしとくれ。呼び慣れなくてむずむずするよ」

「え、でも……」

「固い呼び名はなしだよ。あたし達は家族なんだ」

「家族……」


 家族、という言葉を噛み締めるように口の中で呟きながら、天国と言う名を貰った幼子は小さく、頷いた。
 無槻の目をまっすぐに見据え、少しだけ途惑ったような色をその面に浮かべながらも。



「当主様、イツ花です。よろしいですか?」

「姐御、俺もいいか?」


 襖の向こう側から、呼びかけられる。
 雅国の、声音からだけでも緊張と喜びが感じ取れる様子に無槻はふっと笑った。
 あの男が父親なのだ。
 きっとこの子は、良い子に育つだろう。
 今でさえ、このまっすぐな目は瓜二つなのだから。


「ああ、いいよ。名付けは終わった所だ」


 家族が増える喜びは、呪いを受けていようとも変わらない。
 いや、むしろこの身を呪われているからこそ、家族の増えることの喜びと尊さを何より感じられるのかもしれない。

 子に託すのは、宿すのは、誰が何と言おうと希望だ。
 血と泥に塗れて、それでも子らには希望あれと願う。

 瞬きする間に消え逝く命の炎。
 けれど、それはきっと誰もが同じで。
 その炎が在ったという証を残したいと、忘れ去られたくはないと、そう思うのはきっと仕方がないことで。
 それを我侭だと詰るのなら詰ればいい。

 自分が消えても、誰からも忘れ去られても、証は残る。
 他の誰でもない、血を分けた家族、その中に。

 呪われた血筋を一度も恨まなかったことがないと言えば、嘘になる。
 それでも、苦しいことばかりではなかったのも、事実。
 野支の家に生まれた、そのことを幸せだと思えるのも、真実。
 己の中に脈打つ血、その流れをハッキリと自覚できたのは、誰が何と言おうと幸福だ。


「お前の父親が来るよ、天国」

「父上さま?」

「そう。騒がしい奴だけど、きっとお前に色々のことを教えてくれる」

「はい」


 父親、その言葉に天国は微笑んだ。
 天界にいる間、母神に何を聞かされたのだろうか。
 想像の範疇でしかないけれど、おそらく雅国はそれを裏切るような男ではないはずだ。
 ……少々、騒がしいけれども。

 からり、と襖が開けられる音に、天国が僅かに首を傾げる。
 澄んだ目をした幼子が、自分の父親の上げた歓喜の声に身を竦ませるのは、そのすぐ後のこと。







 

 

 

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