「オイルフィ! 走り回るなって言っただろうが!」
 げしっとばかりにルフィの頭を蹴りながら、追いついてきたサンジが怒鳴る。
「チョッパーにどやされるのおれなんだからな! こと医療に関することだと譲りやしねぇ。誰に似たんだか……」
 はああ、と溜め息をつきながらサンジが肩を落とす。
 一方お小言を食らったとは気付いていないらしいルフィは、くるっとコーザとビビに向き直り。
「なぁ、すげーんだ、大変なんだ、早くしねえと!」
「っテメーは人の話を聞けよ!」
 げし、とまたもサンジの教育…もとい蹴りが入る。
 まぁいつものサンジの蹴りなら軽く吹っ飛ぶはずのルフィが、上体をぐらつかせただけという所からしてかなり手加減はしているらしいが。
「ってビビちゃん寝てるじゃねーか! 起こすなよ!」
「ええ〜でもよー、絶対これは知らせた方がいいって!」
「レディーの安眠を妨げるなって言ってんだ! あんまりワガママ言うようならオメーに眠ってもらうぞ?」
 怒涛のように交わされる会話。
 コーザがもう一度これが本当に海賊なのだろうか、と自問してしまったのもまぁ、無理はないことだろう。



「な、なぁ」
「ん?」
「おお、起きたのか。ココアは飲んだか? クソうまかっただろ」
「あれアンタが作ったのか? ああ、うまかったよ。今まで飲んだこともないぐらい」
「へへーっ、だろ? なんたってサンジはおれの船のコックなんだからな!」
 褒められたのはサンジなのだが、何故かそこで胸を張るのはルフィで。
 と、サンジがルフィの頭を後ろから小突いた。
「オメーが作ったもんじゃねえだろ。大体おれの料理がクソうめーのは当たり前だ」
「なんだよ、いいじゃん。サンジを見つけたの、おれなんだし」
「そーいう事を言ってんじゃねえんだよ!」
 目の前で繰り広げられる漫才…もとい会話にコーザはまたも黙り込むしかなくて。
 が、さきほどルフィが口にした大変、という言葉が脳裏を過ぎりコーザは意を決して二人に会話を遮った。
「……何か、あったのか?」
「あァ?」
「あーそうだ、忘れるトコだった! ビビを呼びに来たんだよなっ!」
 ぽん、と手を叩いたルフィにまたもげしっとばかりにサンジの蹴りが入る。
「だーから言っただろ? レディの安眠を妨げる奴は……」
「何があったんだ?」
 放っておくとまたも堂々巡りになりそうな会話をコーザは今度は早めに遮った。



 ビビを呼びに来た、とルフィは言った。
 何事かがあったに違いないと、コーザは自分でも気付かないうちに表情を固くしていた。
「そーなんだ、大変なん…」
「バァカ、今までに比べりゃそう一大事でもねーだろが。事を荒立てんなよ。余計な心配かけてんじゃねぇか」
「……?」
 コーザの顔色に気付いたサンジは、心配すんなよとでも言いたげにひらひらと手を振ってみせた。
 一方のルフィは自分の意見を否定されたことに、口をヘの字に曲げて抗議している。
「だってよー…絶対喜ぶぞ、ビビ…」
「そりゃ喜ぶだろうが、こんだけ寝入っちまってんのを起こすのはよせって言ってんだ。ビビちゃんはお前と違って普通の人間なんだからな」
「うー……」
「……何が、あったんだ?」
 緊張感の取れた口調でコーザが問うと、それを見たサンジがふっと笑い。
「………だよ」



「……」
 ぼそり、と囁かれた言葉にコーザは反応を返せずに黙り込む。それを見たルフィが眉を寄せて首を傾げた。
「あれー? なんだよ、動かなくなっちまったぞ?」
「ほ…本当かっ?!」
「わわっ! いきなりデカイ声出すなよっ! ビックリすんだろ!」
 黙り込んだと思ったら、突然叫んだコーザにルフィが驚いて抗議する。だがコーザはそれに構うどころではなく。
「それが本当なら……」
「本当に決まってんだろ? 何せうちの船の天才航海士様のお墨付きなんだからな」
 呆然と呟くコーザに、サンジは後押しするように言葉をかけてやり。



「うわっ! なんだよ、サンジ!」
「うるせえよ、喚くな。強制送還だ。どうせそろそろ包帯を換える時間だろうが。…まったくガキみてーに騒ぎやがって」
 突然がしっと腕を掴まれたかと思うと、次にやってきたのは浮遊感。
 何が起きたのか分からずにいたルフィだが、自分がサンジの肩に担ぎ上げられたのだと気付いたのは、サンジが歩き始めてからだった。
 ビビにまだ、言っていないのに。
 そう言おうとルフィが口を開くのよりも早く、サンジが声を発していた。話すタイミングを逸したルフィは、サンジの肩の上で黙り込むしか術がなくて。
「ま、どーするかは任せるぜ。邪魔したな」
 未だに呆然としているらしいコーザにそう言葉を投げると、サンジは部屋を出た。






「…別にこんなんしねーでも、おれ、歩けるぞ?」
「放っておいたら糸の切れた凧みてーにふらふらどっか行っちまう奴が、何言ってるんだか」
「だってサンジも怪我してるじゃんか」
「お前に比べりゃ遥かに軽傷だよ、おれは」
 抱え上げた体は、幾分細くなったようで。
 …ただでさえ細ッこいのに(あれだけ食ってなんで太らねえんだ?)、これ以上細くなってどうすんだ、クソ馬鹿が。
 そう悪態をつきかけて、けれどサンジは口をつぐむ。


 …ああ、違うか。馬鹿はおれ、だな。


 繋ぎ止めておきたいんだ、コイツを。おれだけに。
「んん…でも、いっか。あったかいし、楽だしな」
 言いながら、ルフィはサンジの頭を嬉しそうに抱き締めて。
「だあ、オイ! 首締まってるっての!」
 慌てたような声は、それでもどこか幸せそうで。
 ルフィはサンジのその言葉に、満足そうに笑った。







「……ビビ、おいビビ、起きろって」
 ルフィとサンジが去った後。コーザはどうしようか、と悩んでいた。


 サンジの言葉と、嬉しそうに笑うルフィの顔と。
 ……それから、ビビの涙と。
 それらが、ぐるぐると脳裏をちらつく。


 悩みながらも結局ビビを起こすことにしたのは(その安心しきった寝顔に躊躇いはしたものの)、やはりコーザはビビの泣き顔よりも笑顔が好きだったからに他ならなくて。
「ん……?」
「悪いな、疲れてんだろうに」
「どうし、たの?」
 眠そうな顔と声とで目を擦りながら、ビビが首を傾げる。
「あのな……」
 言いかけて、コーザはふと言葉を止めた。
「コーザ?」



「怪我の手当てしてくれたことの、礼が言いたいんだ。どこにいるか、案内してくれないか?」
 ビビの問いに答えた言葉は、言ったコーザ自身が驚いてしまうような内容で。
 けれど、こうでも言わないとこの場を出る理由が見つからない。心配性なビビは、生半可な理由じゃ自分をこの場から出してはくれないだろうから。
 コーザの言葉に、ビビは驚いたような慌てたような表情になる。
「え? でも、その怪我じゃ…」
「平気だ。伊達にリーダーをやってきたわけじゃない」
「そんなこと……」
「おれ一人で行くよりか、一緒に来た方が安心だろ?」
 だから起こしたんだ、と言ってコーザは悪戯を仕掛けた時のように笑ってみせた。
 この言い方は、我ながらズルイ。
 ビビが断れないのを知っていて、こんな言葉を選んだ。
 こう言ってしまえば、優しくて責任感の強いこの王女はコーザを案内せざるをえなくなるから。
「……もう、ズルイっ。私が断れないような言い方して!」
 案の定、ビビはそう言ってむくれたような表情を見せ。
 コーザはにっと笑うと、重く感じられる傷を叱咤しつつ足を動かした。



 痺れるような痛みの傷が、それでも自分が生きていることの証のような気がして。
 この傷は、罰だ。真実を見抜けなかった愚かな自分への。
 ……けれど、それと同時に生き抜くことへの糧でもある。
 生きられなかった人々の分も、必死で生きなければならないと。
「コーザ、平気?」
「ああ…平気だ。これくらいで弱音なんか吐いていられないからな」
 引きつるような痛みすら、どこか優しく感じられる。
 コーザは不安げな表情のビビの肩をぽん、と叩き。
「行こう」
 その言葉に返ってきたのは、力強い頷きだった。






「大人しくしててってあれだけ言ったじゃないか!」
 怒りも露に叫んでいるのは、チョッパー。
 本来なら絶対安静、面会謝絶の患者が医者の指示も聞かずにふらふら出歩き、おまけに走り回ったと言うのだから。
 ルフィの腹の包帯を器用に巻き直しながら、チョッパーはルフィに小言を言っていた。
 普段は大人しいチョッパーだが、こと医療に関しては強気な態度を取る。
 サンジが料理に関して譲れないように、チョッパーも医療に関しては譲るわけにはいかないのだ。何せ彼は、医者なのだから。
「そーいやそうだったっけか。はは、悪いなチョッパー」
「……本当に分かってる…?」
 飄々と。反省は言葉の上だけ、と言うのが確認せずとも分かるようなルフィの物言いにチョッパーははあ、と溜め息を吐きつつ肩を落として。
「こーのサル頭にゃ何言っても同じさ。そう肩を落とすなよ」
 慰めと言えないこともないサンジの言葉に、けれどチョッパーは厳しい目を向けた。
「サンジも共犯! あれだけルフィを見てるように言ったじゃないか! 走り回らせるなんて言語道断だよ!」
「わ…悪かったって。今度から気をつける」
「それに! サンジだって無傷じゃないんだからな! 無茶して痛い思いするのは自分だって心得ておくこと!」
 チョッパーは普段が弱気なだけに、切れるとなかなかに迫力…というか逆らえない何かがある。
 びしっとばかりに指されサンジは素直に首を縦に振った。



「あらあら、チョッパーも苦労が耐えないってカンジねえ?」
 くすくす笑いながら顔を出したのはナミだ。
「ナミさん♪ わざわざ顔を見せに来てくださるとは…」
「おうナミ! 足、大丈夫なのか?」
「患者にも治そうって気がなきゃいくら医者の腕が良くても駄目なんだよ! ナミからも何か言ってやってよ!」
 三人三様の挨拶に、ナミは笑ったものか怒ったものか選択を迫られる。
「チョッパーの薬、よく効くのよね〜。ほとんど痛みもなくて、驚いちゃったわ」
 天秤はギリギリの所で笑う、に傾いたらしい。
 言いながらナミは包帯の巻かれた足を持ち上げて見せた。
 ナミの言葉にチョッパーは嬉しそうに笑い(いつもなら強がる所だが、ルフィの治療に気をとられていたらしい)、ルフィはへえ、と声を上げた。



「だ・か・ら」
「いでっ」
 つかつかと近寄ってきたナミは、ルフィの額にでこピンをかまして。
「アンタもチョッパーの言うことちゃんと聞きなさいよ? サンジ君も、怪我に響かない程度に面倒見てやってね」
「はい! ナミさんのお言葉とあらば!」
「建前はいらないから、しっかり仕事して?」
「……はい」
 この海賊団の航海士は、航海士でありながら時として船長以上の威圧感と実権を握っているものだから。
 にっこり笑った笑顔の背景に吹き荒ぶブリザードを確認した料理人は、萎縮しつつ頷くことしかできなかった。
 船医といい航海士といい、どうやら今日は料理人の厄日らしい。




「なあナミ、もしかしてもうすぐなのかっ?」
 そんなサンジを余所に、ルフィはこれから冒険が始まるかのようなワクワクとした表情を見せて。
「ふふ、そうよ。だから知らせに来たの。教えとかないとアンタうるさいでしょう?」
 ルフィの言葉に、ナミは笑いながら答える。
 いつもならルフィを諌める立場にいるナミだが、今回ばかりは大目に見るつもりらしく。
「ん、終わりだよ。できれば大人しく寝てて欲しいトコだけど、それは無理だろうから…せめて怪我人ってとこだけは自覚もっててよ?」
「おうっ。ありがとなチョッパー!」
 新たな包帯を巻き終え息をついたチョッパーに、ルフィはししし、と笑いながら礼を言い。座っていた寝台からぽんっと飛び降りた。
 そのままぱたぱたと軽い足音を響かせながら、ルフィはじっとしていられない子供のように隣室で眠るゾロとウソップの様子を伺いに行き。
「……分かってるのかなぁ?」
 おそらく分かっていないであろうルフィの様子に、自分の仕事はしばらく忙しいのだろうと判断したチョッパーはそう呟いて肩を落とした。
「まぁアイツはな。頭で分かってても本能で行動しちまってる所があるからな」
「……分かってるなら、ちゃんと見ててよ」
「言われなくてもそうするさ」
 ぽんぽん、とチョッパーも肩を叩きながら、サンジはゆっくりした足取りでルフィの後を追った。



「なんだか余裕綽々って感じねえ? 当てつけられたみたいでムカつくわ」
 言葉とは裏腹に、それでもナミの表情は柔らかく。
「でもおれ、ちょっと安心した。二人とも、変わらなかったから」
「そうね…結局信じているのよね、アイツらは。腕っ節もだけど、何より強いのはきっとそういう所なんだと思うわ」
 信じられる強さ。前を向ける強さ。振り返らない強さ。
 そういう、戦いだけではない強さの方が、きっとずっと保つのが難しい。
「でも……なんだか、怖いよ」
「チョッパー?」
「強いから、まっすぐだから、恐い。信じてないわけじゃないけど…」
 後に続く言葉を見失ったらしいチョッパーは、もごもごと言いよどんだ。
 けれどナミは、チョッパーの言いたいことが何となく分かる気がして。少なくともそれは、きっとこの海賊団の誰もが一度は考えた経験があることだろうから。
「そうね、だから私たちが余計しっかりしなきゃならないってワケよ」
「うん」
「アンタも大変な船に乗っちゃったわねぇ? これから大変よ、きっと。せいぜい覚悟しておきなさいな」
「それぐらい、覚悟してたさ。海に出るって心に決めた時から、ちゃんと」
「あらあら、男らしいこと言っちゃって」



 きっと誰しもが一つや二つは、傷を抱えていて。
 痛みを知っているから、人は優しく強くなれるのだ。
 守りたい何かがあるから、人は痛みを抱えながらそれでも生きるのだ。
 この海賊団に集まった連中は、きっと皆そういう奴らばかりだから。
 この船に乗って良かったと、改めて思わずにいられない。
 ハラハラさせられることも、決して少なくはないのだけれど。その分、本気で笑い合うことができるから。


「おお〜い! ナミーっ! チョッパーっ! 来いよ、一緒に見ようぜ〜!」


 呼ぶ声に、ナミとチョッパーは顔を見合わせ。
「……まったく、重症患者のはずなのにどこからあんな元気が出てくるのかしらね」
「あれだけ言ったのに……」
「一度監禁か隔離でもすれば? そうでもしなきゃ大人しく言う事なんか聞きゃしないわよ、きっと」
 さらりと、何でもないことのようにナミが言い。チョッパーは何気なく頷こうとして、けれどナミの言葉の意味に気付いてぴしっとその場に固まってしまった。
 それはそれで問題がある気がするのだが。
 賢明な船医は、それを口にすることなど勿論せずに。
「いつもの倍、包帯用意しとかなきゃ……」
 すたすたと歩き始めたナミの後に続いて歩きながら、チョッパーは溜め息混じりにそう呟いたのだった。






 バルコニーに出ると、砂混じりの風が頬に吹きつけてきた。
「ん〜…どっちからって言ったっけ?」
「確かユバの方角からっつってたろ」
 首を傾げるルフィにウソップが答える。ルフィはぽん、と手を打って適当そうな方角を指差した。
「ああ、こっちか!」
「そっちじゃねーだろ。こっちじゃなかったか?」
「アホ、正反対だよ」
 ルフィの言葉にゾロが言えば、サンジが呆れたように切り返す。
 この場にナミがいれば、溜め息の一つもついていたに違いない。方向感覚がここまで著しく鈍い海賊なんて聞いたことがないわ、と皮肉の一つもかましながら。
「ああ、こっちかぁ! そういえばそんな気がするな!」
「おれは! 最初からそっちだと思ってたぞ!」
「…嘘だろ」
「ななっ、何言ってやがるゾロ! このキャプテン・ウソップ様がそんなこと……」



「アンタたち、漫才でも始めるつもりなワケ?」
 ウソップの言葉を遮ったのは、呆れたような麗しの航海士の声で。
「おうナミ、遅かったじゃね〜か。んで、いつなんだ? もうすぐなんだろっ?」
「ん、そうね、気圧も下がってきたし……そろそろだと思うわよ?」
「そっか〜ワクワクすんなっ!」
 ナミの言葉に拳を握るルフィ。そんなルフィを尻目に、安眠を妨害されたゾロはいささか不機嫌そうで。
「ところで、さっきから何の話してんだよ?」
「アンタは…また人の話聞いてなかったのねっ」
「い…っ、痛ぇな、傷を叩くなっての!」
 その言葉に途端に不機嫌になったナミは、べちっとばかりにゾロを叩いて。けれどゾロが顔をしかめて言ったのを見て、くすくすと笑った。
 怒ったかと思ったら笑われ、ゾロは訳が分からないとばかりに首を捻る。
「なぁ、オイ……」
「お、ビビっ!」
 ゾロが誰にともなく問おうとした声は、ルフィの言葉によってキレイさっぱり無視される形になった。




「ルフィさん……」
 訪れた部屋には誰もいなくて。声のするバルコニーへと出てきたら、皆が船上と何一つ変わらない様子で話しているのが見えた。
 ビビの姿を認めたルフィは、ぱたぱたと足音軽く走り寄ってきて(後ろでサンジが慌てたような表情をし、ナミが溜め息を吐き、チョッパーが肩を落としているのが確認できた)。
「どーしたんだ? あ、お前も見にきたのか。そうだよな〜やっぱ見たいと思うよなっ」
 うんうん、と一人納得したように頷くルフィに、何を言われているのか分からないビビは首を傾げた。
 と、横にいたコーザがすっと頭を下げる。
「んん?」
「反乱軍を率いていたおれが言う言葉じゃないが、国の民を代表して言わせてもらう。この国を救ってくれたこと、本当に感謝する。……ありがとう」
 コーザの言葉に、ルフィはぱちぱちっと瞬きをして。それから眉を寄せて、首を傾げた。
「……別に、おれが救ったわけじゃねえぞ?」
 意外と言えば意外なルフィの言葉に、コーザは驚いて下げていた頭を上げた。
 そんなコーザの途惑いを余所に、ルフィは言葉を続ける。
「おれは、仲間のやろうとしたことに手を貸しただけだ。それ以上もそれ以下のこともしてねえ」



「…ってことだ。そんなに気負いすることはねえと思うぜ? 本人がこう言ってんだからな」
 ルフィらしいと言えばルフィらしい物言いに微苦笑しつつ、後ろから追いついてきたサンジが言った。
「サンジ」
「よぉ、動いて平気なのか?」
「ああ、アンタたちの船の船医は凄腕だな。そのことも含めて、礼を言いに来たんだ」
「おお! チョッパーはすっげえ医者なんだぞ!」
 コーザの言葉に、ルフィは自分のことを褒められたかのような笑顔になる。
 コーザはその笑顔に圧倒され、言葉を続けることができなくて。
 ビビが、これだけの傷を受けながらもそれでも笑顔を失わずにいられた理由を、垣間見た気がした。
 底の見えない人物だと、そう思った。
 国を救ったことすら、きっとどうでもいいのだ。自分の正しいと思ったことを、信じた道をただ歩んでいるだけ。
「……」
 言葉が喉に詰まったようで、コーザはただ沈黙したまま頭を下げた。



「ルフィ! そろそろ来るわよ!」
「おお! 今行く! ビビも見に行こうぜ!」
 ナミの呼び声に(きっと何気なくこちらの様子を伺っていたのだろう)、ルフィはくるっと踵を返して。
 手招かれ、何故呼ばれるのか分からないビビは曖昧に頷く。
「え、ええ。でも……何が来るの?」
「ん? 何だ、言ってなかったんか?」
「コーザ? 何か知ってるの?」
 ルフィが視線を向けているのがコーザだと知り、ビビはコーザにそう聞く。ビビの問いに、コーザは微笑し。
「え?」
 す、とコーザが手を挙げて何処かを指し示した。
 示した場所は……空。
「な…に?」




「雨だ、ビビ! 雨が降るって、ナミが言ってんだ!」





 ……雨?





 ルフィが嬉しそうに言った言葉が頭の中で意味を為すまでに、多少の時間を要した。
 ルフィの言葉を頭で理解してからも、反応を返せずに。
「……うそ」
 呆然としたままのビビが呟いた一言に、ルフィはにっと笑みを向けた。
「嘘じゃねえ! ナミの勘はよく当たるって、お前もちゃんと知ってるだろ?」
 言うだけ言うと、ルフィは足音だけを残し皆の元へと走って行き。
「ナミさんの予報は外れたことはないんだぜ? ビビちゃん。皆が待ち望み続けてきたものだ。しっかり目を開けて見ておいた方がいい」
 取り残される形になったサンジは、そう言うとルフィの後を追い。



「知ってた…の?」
「ああ、聞いてた」
 未だ呆然としたまま、ビビが呟くようにコーザに問う。
「行こう。この瞬間を見逃したとあっちゃ、アラバスタに住む者の名折れだ」
 言ってコーザはビビの背を軽く押す。
 押されるままに、ビビはふらふらと歩き出した。
 空の色が、見ていても分かるほど変わってきていた。






「おお、見ろよ! 空の色が変わってきてんぞ!」
 ウソップの言葉に、皆が空を仰ぐ。
 明け始めた空の茜色が、みるみるうちに鉛色になってきていた。
「ユバの方ではもう雨になってるはずよ」
「え…ユバでも?」
「ええ。降ってるわ」
「どうしよう…嬉しい」
 ナミの言葉に、ビビが声を震わせる。
 そうこうしているうちに空から零れた雫が、頬を濡らした。
「砂漠に降る雨か…」
 誰に向けてでもなく、ゾロがそう呟いた。
 それに返る答えはなかったが、誰しもが感銘を受けているに違いないのは明らかだった。



「……オッサン、喜んでるかな」
 瞬く間に本降りになった雨に打たれながら、ルフィがぽつりと言った。
「何のこと?」
 ルフィの呟きを聞きとがめたナミが問うと、ルフィはふっと笑って。
 いつもルフィが見せる天真爛漫な笑顔とは違うそれに、ナミは珍しい物を見た、とばかりに目を丸くする。
「ユバにいたオッサンのことだ。雨降ったなら、きっと喜んでるだろうなと思ってさ!」


 "ユバは、砂嵐なんかには負けない"


 強い土地なのだと、疲労感は拭えない顔色で、それでも笑った人。強いのは土地だけではないのだと。そこに住む人が強いから、土地も頑張れるのだと。
 そう、伝えたかった。
 クロコダイルの陰謀にも、圧倒的な強さにも負けなかった土地だから。
 きっとあの砂嵐にも負けてはいない筈だと。
 確証もないのに、ルフィはそう信じて疑わなかった。
「そうね、喜んでるに決まってるわ」
「そーだよなっ! ビビも、嬉しいだろ?!」
「……ええ、とっても……!」
 問いに頷いたビビの声は、震えていて。
 泣いていることに気付かなかったわけではないだろうに、ルフィはビビの答えに満足したように嬉しそうに笑った。
 その笑顔は、船の上でルフィが見せる笑顔と同じ笑顔で。







 きっとこの国の誰もが切望してやまなかった雨が、朝焼けの変わりにアラバスタを濡らしている。
 失ったものは決して小さくない。…いや、大きさから言えば大きい。
 その喪失感は、気を抜けば今にも自分を飲み込んで突き落とそうとしているかのよう。
 哀しみは胸の内に深い根を降ろし、傷を刻み、きっとその傷は一生涯消えることなどないのだろう。
 けれど、それでも。
 立ち止まって悲観に暮れるばかりじゃ、どうにもならないのだと。
 降りしきる雨が、自分の流す涙のようだと、ビビはそう思った。
 空を見上げるその顔には、嬉しさと哀しさとが入り混じったような色が浮かんでいる。
 刻まれた傷は消えない。それでも、前を向き続けることが今の自分にできることだと思っているから。



「私…こんなキレイな雨を見たの、初めて」
 震える声でビビが言うと、隣りに立っていたコーザがふっと微笑した。
「ああ…おれもだ」
「私、きっと一生忘れないわ。この景色」
「ビビ…泣いてるのか?」
 問われ、ビビは首を横に振ろうとしたが。けれど躊躇いがちに、小さく頷いた。
 その唇が、小さく動く。
 音を発せずに、ビビが言った言葉。




『今だけだから』




 泣くのは、今だけ。
 雨に紛れて、今だけは泣かせて欲しい。
 空からの雨が、優しいから。
 失ってしまったものたちの温もりのような、そんな気がするから。
 失ったものへの手向け変わりに、涙を流させて欲しい。
 今が終わったら……また、前を向くから。



 ビビの胸の内の決意にも似た思いを汲み取ったのか、コーザはそれ以上何も言おうとはせずに。
 自分も空を見上げて、それからゆっくりと目を伏せた。
 空から降ってくる雨の雫は、この国の民にとってはまさしく『恵み』そのものだ。
「泣くのは…悪く、ないだろ」
 そう言った声は、なんだか自分の言葉とは思えないほど情けない、細い声で。
 ビビが、驚いたらしいのが空気を通して伝わってきた。
 コーザは伏せていた瞼を開けると、ビビに視線を向け。
「それにここじゃ、泣いてたって分からないしな」
 俺だって、泣いてるみたいに見えるだろ?
 そう告げると、ビビは何度か瞬きをした後に、頷くかわりに笑顔になった。








「あ〜なんだかいい絵が浮かんできたぜ〜」


「オイこらルフィ! 調子乗って走り回ってんじゃねぇ!」


「あああ〜包帯が取れるってば、ルフィ!」


「…ったく、騒がしい奴ら…」


「ちょっと! アンタたち少しは大人しくできないワケ?!」


「しししっ、こんな嬉しい時にじっとなんかしてられるかっ。なぁビビ、そうだろ?」





 心も体も包み込まれるような、優しい雨。
 どれだけの深手を負おうと、過ぎてしまえば笑える強さ。
 自分もそれに習おうと、そうなりたいと思った。
 ……大丈夫。私は、一人じゃないから。
 周りに寄りかかるのではなく、周りと助け合いながら生きる術を知っているから。
 空を見上げ、ビビはふっと笑顔になる。



 ……一人じゃないって、幸せなのね。



 胸の内で呟いた言葉は、誰に向けられたものだったのか。
 天からの贈り物を全身に受けながら、ビビはそっと目を閉じた。
 冒険者たちの足音が、その耳に心地よく響いていた。



◎END◎

 

 

 

 

 

冒険者たちの後書き。

てなワケで金沢的アラバスタ編ラストです。汝〜、砂塵〜、に引き続き三部作となりましたが、今回で正真正銘終了です。
まさかここまで長くなるとは(シリーズ的にも、今回の話の長さも…)思いませんでしたが、なんとか原作のアラバスタ編が終わる前に終了できて一安心しております。
砂塵〜で終わらせなかったのは、今回の話のラストが書きたかったから。アラバスタ編ラストでは是非雨が降ってほしいなぁという意味合いを込めて。
ちなみにビビが途中までコーザのことをずっと『リーダー』と呼んでるんですが、途中から名前で呼ばせたのがちょっとしたこだわりだったりします(地味…?)
しっかしこの長さでコービビって…お前ここはサンルサイトやなかったんかい! って感じになっちゃって冷汗が…(泪)んでもちょっとサンルも入れたんで! 見逃してやってくださると嬉しいかと!
さて。では長くなりましたがお付き合いお疲れ様でした! ではまた次回作にて!

(UPDATE/2001.11.25)

 

再録にあたっての後書き。

これをUPした時はま〜だルフィVSクロコ戦が絶好調でして。
毒針も食らっちゃうし、ああもうどうなっちゃうんだ〜ともやもやしていた記憶があります。
やっぱり戦い終わった後に雨、降りましたねv あれは待ち望んでいたんで嬉しかったです。
そういえば。このシリーズのタイトル『砂散る都に思いを馳せる』なのですが。
金沢は結構最初にタイトル浮かぶ方なんですが、これは難産でした…も〜、出てこなくて出てこなくて、いっそ無題にしちゃおうかと本気で考えたほどです。
かろうじて出てきたのは砂、都、馳せる、の単語のみ。
でもまぁ、思い悩んだ分だけあって思い入れのある話にはなったと思います。
登場人物の数もこれまで最多ですし。
さて、ゴーイングメリー号の次の行く先はどこになるんでしょうかね〜。

(UPDATE/2002.2.8)

 

 

 

    冒険者たちの足音1へ。          

 

 

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