鼓膜を揺らす、音。






冒険者たちの足音





 まどろみから覚醒させたのは、ノックの音だった。
 控えめな、それでも静寂を打ち破るには充分なほどの。
 ビビは目を擦りながら立ち上がると、ドアを開けた。
「サンジさん」
「ココアのデリバリーサービスです、お姫様」
 ドアの前に立っていたのは、トレーを手にしたサンジで。
 おどけたように言いながら軽く会釈するサンジに、ビビはふっと笑った。



「いい香り…ありがとう、サンジさん」
「バラティエ仕込みのサンジ特製ココアです。ちなみに冷めても美味い。勿論熱いうちの方がおいしいですがね」
 すっかりレストランのウェイターのような口調で、サンジが言った。
 立ち上る白い湯気と鼻腔をくすぐる甘やかな香りが、疲れを解きほぐしていくよう。
 ゴーイングメリー号に乗っている時に幾度となく味わった、サンジの料理。やはりサンジは天才料理人と呼ばれるに相応しいと、ビビは思う。
 美味しいだけじゃなく、心までも満足させられる料理を作れるコックなど探しても見つけられるものではないからだ。



 受け取ったトレーには、マグカップが二つ。
 一つはビビ。もう一つは…
「容態、どうなんだ?」
「思ってたよりひどくなかったみたい。傷さえ完治すれば、後遺症も残らないだろうって」
「そうか……目が覚めるまでいるんだろ?」
 サンジの、何もかもを見透かしたかのような問いにビビは驚いたかのように軽く目を見張ったが。
 すぐに、はにかむような表情で小さく一つ頷いてみせた。
 部屋の中、ベッドで昏々と眠るのは反乱軍のリーダー、コーザ。
 サンジの持ってきたマグカップのもう一つは、そのコーザの為のものだった。ビビがコーザに付き添っていることを聞いたサンジは、二人分のココアを用意してきたのだ。



 戦況の最中に撃たれたコーザだが、辺り所が良かったらしく神経や筋肉はすべて無事だった。怪我さえ完治すれば元通り動けるようになるだろうとは、コーザを診察し終えた後のチョッパーの弁だ。
 それでも撃たれた事実には変わりなく、コーザは安静を強いられる怪我人で。痛み止めを飲んで眠りについているコーザに、ビビは黙って付き添っていた。



 彼は確かに、反乱軍のリーダーで。
 クロコダイルによりこの国が踊らされていたという真実を民が知れば、コーザのことをよく思わない人間も出るかもしれない。
 反乱軍が下手に動かなければ、戦況が悪化することもなかったのだと。国王軍も反乱軍も、無駄な死傷者を出さずにすんだのにと。
 全ての根源がクロコダイルだと分かっていながら、それでもそう責めずにいられない人間も、必ず出てくる。家族や親類を失った人間なら、尚の事。
 そう言う人間も分かってはいるのだ。コーザ一人を責めたとてどうにもならないことぐらい。
 例えコーザが動かなくとも、必ず誰かが立ち上がって同じ事をしていたのだろうということぐらい。
 アラバスタは、皆が国を愛しているから。砂漠の広がる、決して住みやすいばかりとは言えないこの土地を、それでも愛する人々がたくさんいることを、ビビは知っていた。


 ……それでも、大切なものを失った哀しみはどうにも拭うことができないから。


 抱えきれないから、持て余してしまって苦しいから、それをぶつける相手が欲しいのだ。人は信じられないほど強くて、硝子細工のように儚いから。
 彼は目を覚ましたら、一体どうするだろう。
 何よりも国が好きで、国の為に生きてきた自分が行っていたことが国の乗っ取りに加担していたも同然だったなんて。
「色々…話したいこともあるから」
「そうか。夜は冷えるからな、あったかくしてるんだぜ」
「ええ、大丈夫。ここは私の生まれ育った国だから」
「はは、それもそうだな。じゃ、おれはそろそろ行くな」
 ビビに向かってウインク一つすると、サンジはくるりと踵を返した。
「あの、サンジさん」



 が、ビビがその背中を呼び止める。
「ん?」
 立ち止まり振り返ったサンジに、けれどビビは言葉を言い淀む様子で。
「ルフィさん…たちは?」
 結局聞きたいことの半分しか、言葉にならずに。
 国の外に出て、犯罪結社に潜り込んで。海賊船に乗って、いろんな人に出会い、いろいろな出来事に立ち合って。
 国を出る前に比べて、強くなったと思っていたけれど。
 肝心な所では、どうにも踏み出しきれない自分がいる。
 そんなビビの途惑いが伝わったのか、サンジは軽く眉を寄せてわずかに首を傾げた。
「メシ食い終わってくつろいでるよ。まったく、タフな奴らだぜ」
「そう…」
「心配すんなって。誰も、ビビちゃんを責めたりしてないだろ?」



 ビビの表情が強張っているのを見て取ったサンジは、困ったような顔でそう言う。
 自分を励まそうとしてくれているのが分かって、ビビは自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。
「でも、でも私…っ」
 素人目に見ても、ルフィの怪我は決して軽いものだとは言い難く。
 戦い終わったその後、血に濡れたルフィの姿を見た時…正直背中に震えが走ったほどだったのだ。
「それにな、ビビちゃん」
 ぽん、と頭に手が乗せられる。
「ルフィだって、ビビちゃんにそんな顔してもらう為にこの国に来た訳じゃないと思うぜ?」
「あ…」
 サンジのその言葉に、ビビは慌てたようにトレーを持っていない方の片手で頬を押さえた。



「クロコダイルと対峙したのは、アイツの意志だ。アイツが決めたことだ。だからおれ達はそれに従ったし、止めなかった」
 そこまで言って、サンジは言葉を切る。ビビを見据える目には強い光が宿っていて。
 ビビは、気圧されたように黙り込んだ。
「だからそのことに対して君が責任を感じる必要はない。分かったかい?」
 畳み掛けられるような三段活用。無条件でルフィを信じている、それが感じ取れる言葉。
 ビビは、涙が浮かびかけた目元を密かに拭った。
「分かったわ。どうもありがとう、サンジさん」
「いえいえ、礼には及びませんよ。世界中の全てのレディーに涙を流させるのは、俺のポリシーに反するってだけですから」
「ルフィさんたちにも…お礼を言っておいてくれる? 今夜は多分、目を覚まさないと思うから…」
「承りました、姫君。じゃあ俺は、アイツらにココアのデリバリーに行くとしますか」
 言ってぺこり、と頭を下げたサンジの背中を見送ってから、ビビは部屋へと戻った。







 部屋の中は、血の匂いと薬品の匂いとが入り混じっていて。
 ビビはココアを口にしながら、気が滅入るのはこの匂いのせいでもあるかもしれない、などと考えていた。
 コーザは薬が効いているらしく、眠りから覚めようとしない。
「……寝顔は変わらないのね、あの時と」
 その寝顔を見つめながら、ビビは穏やかな心地でそんなことを呟く。
 思えば国を出て以来ずっと、こんな静かな心地になれたことはなかったように思う。
 ルフィたちの船に乗せてもらって、緊張感をほぐす方法を教えられて。それでも、心の片隅から国のことが消え去ることなどあるはずもなく。
 それから解放された今、ビビはようやく本当に心の底から安堵していた。



 ……昔にも、こんなことがあった。
 ビビが、砂砂団の副リーダーになっていた時のことだ。
 誘拐されそうになったビビを、砂砂団の皆が必死で守ろうと奮闘してくれて。


 『死んでも守れ!!』


 今でも耳に残っている、叫び声。
 コーザは、自分が傷を負ってもビビを最後まで守ろうとしてくれていて。
 その時に負った傷は、今でもコーザの目の横に残っているのが見てとれた。
 あの時もこうして、コーザのベッドの横に座っていた。今と同じように、寝顔を見ていた。




 手の中のマグカップが、暖かい。
「おいしい……」
 こくり、と飲んだそれは相変わらず美味しくて。
 甘いのだけれど、甘すぎるということもなく。体全体がふわりと暖まるような、そんな味で。
「リーダー…起きないと、冷めちゃうよ?」
 聞こえるはずないと知りながら、そんなことを呟いてみたりして。
 サンジは冷めても美味しいと言ってくれていたが(おそらくコーザを気遣って作ってくれたのだろう。彼はなんだかんだで細やかな心配りのできる人間だったから)、きっと暖かい方が美味しいはずで。
 何より、ビビはコーザに教えたかった。
 自分は海賊船に乗っていたのだと。こんな美味しい料理を振る舞ってもらっていたのだと。


 …いろいろな世界を目にしてきたのだと。


「世界は広いわ…すごく、すごくね」
 呟きながら、ビビは窓の外に目をやる。
 久方ぶりに見る故郷は、何も変わっていないように見えた。
 幼い頃と、何一つ。
「いろんな物見てきたのよ、私。リーダーも知らないような世界のこと、たくさん」
 話したい。
 広い広い、世界のこと。
 出会った人たちのこと。
 長い長い旅路から戻ってきたような心境の自分がいることに気付き、ビビはふと目を閉じた。
 短くもない、長くもない、ただいろいろなことが起こった日々だった。
 一生分の出来事が起こってしまったかのような、そんな錯覚を起こしてもおかしくないほど。
「きっと、リーダーよりも物知りになったわよ」




 楽しそうに笑いながら、ビビが言ったその時。
「……誰が、だよ」
「リーダー?! 目が覚めたの?」
 自分以外にはコーザしかいない部屋で、答えが返ってきた。
 驚いて閉じていた目を開けると、コーザが苦笑しながら自分を見ていて。
 昔と寸分違わぬ光を放つ目に、ビビは一瞬時と場所とを忘れて黙り込んだ。
 クロコダイルによる国の乗っ取り計画も、自分が国を出たことも、ユバが枯れたことも、反乱軍と国王軍が刃を交えたことも、たくさんの民の命が無益に散ったことも……全てが、夢の中の出来事であったかのような。
 そんな希望とも言える錯覚を覚えて。
「ビビ?」
 我に返ったのは、コーザの二度目の呼びかけのおかげで。
「もしかして、起こしちゃった?」
「いや…自然に目が覚めた」
「そ、そう。なら良かった。起こしちゃったのかと思って」



「……」
「……」
 ……沈黙。
 傷を負っているコーザは体がだるくて口を開く気になれず、ビビは体調のよくないであろうコーザを気遣って話しかけることを躊躇って。
 部屋の中には、沈黙が満ちた。
 まるで、しいんという音さえも聞こえてきそうな気がするほど。
「……静かだな」
 先に口を開いたのは、コーザの方だった。
 どこを見るともなく手の中のマグカップに視線を落としていたビビは、その言葉に弾かれたように顔を上げて。
「もう夜も遅いから…」
 曖昧にそう返すと、コーザが微かに目を細めた。微笑と取れないこともない、微かな表情の変化。
「そうだな、夜だ。でもこんなに静かな夜は、なんだか久し振りな気がする」
「そういえば…私も、そんな気がする」
 静かな、静かな、夜。
 静かなのは、きっと心が穏やかでいるからだ。



 けれど、ビビはどうにも不安を拭いきれなかった。
 国は救われたのに。たくさんの犠牲を払いながら、それでも国は生き残ったのに。
 これから先は、前を見据えなければならないと分かっているのに。
 ……何かが、不安でたまらなかった。
 コーザが、笑わないからだ。
 少しばかり青白い顔。それは、怪我のせいだから仕方ないのだけれど。
 それだけじゃない、何かがそこにはあって。
 コーザは目覚めてからずっと、何かを考え込むような遠い目をしていたから。


 ……コーザ、どうしたの?


 そう聞きたいのに。その一言が、喉からは出てこなかった。
 おそらくは、何もかもが幼い頃のままなら、何の屈託もなく聞けたであろう一言が。
 どうにも、出てこなかった。
 コーザの、何かを決意したような表情に気圧されて。



「……良い匂いだ、な?」
「え?」
「それ。おれのだろ? 喉乾いてんだ。飲んでもいいか?」
 コーザが示したのは、ベッドサイドに置かれたマグカップ。
「ええ、勿論。あ、無理しないで」
 返事を最後まで聞かずにベッドに体を起こそうとしたコーザに、ビビは慌てて手を貸した。
 痛み止めがある程度効いているとはいえ傷が痛まないはずはないのに、コーザは呻き声一つ上げずに。
「…うまいな、これ」
「そうでしょう? 私を乗せてくれた海賊船のコックさんが、作って持ってきてくれたの」
「こんなに美味いココアは、初めてだ」
 そう言って、コーザは目を伏せた。
「…うん、私もそう思う」
 頷いて、ビビは自分も残っていたココアをこくりと飲んだ。
 少しぬるくなってしまったが、それでもやはりおいしくて。



「いい奴らに、出会ったんだな」
「……うん。私をね、仲間だって。そう言ってくれたの」
「王女が海賊の仲間か……相変わらずオテンバだな」
 そう言ってコーザはふっと、ようやく笑みらしきものを覗かせた。笑みというか、苦笑だったが。
 それでもその表情は、ビビの知っているコーザのものではなかった。疲れたような、どこか寂しそうな、そんな表情。
 幼い頃には決して見せなかった、そんな顔。
「二度目よ」
「…何がだ?」
「私を、仲間だって言ってくれた人。ルフィさんたちで、二度目」
 ビビの少しだけ固い声音に、コーザは驚いたような表情で目を見開いた。
 そんなコーザに構わず、ビビは言葉を続ける。まっすぐに相手を見据えるその目は、幼い頃と寸分違わぬ強い光が宿っていて。
 コーザは、一瞬自分が刻んできた歳月が幻であるかのような錯覚を起こした。ビビの目は、幼い頃と変わらなかったから。


 ……自分は、こんなにも変わってしまったのに。


「一度目、誰だか分かってるでしょう?」
「……砂砂団、か」
「うん。リーダー、貴方でしょ。最初に私を仲間だって認めてくれたのは」
 嬉しかったんだからね、と首を傾げるようにして言うビビの顔は、どこか泣き笑いのような表情を浮かべていた。
 ……変わらない。
 泣きたいのに、泣かない強さも。
 それを為し得るだけの、強い意思も。
 この国も、きっと……変わってなどいないのだ。
 彼女同様。痛手を受けても、きっと立ち直れる。強い国だから。
 熱砂の砂漠にも負けない、そんな国だから。
 ……おれ、この国に生まれたことを誇りに思うよ。



 声には出さずに呟いて、コーザは唐突に頭を下げた。
「り、リーダー?! どうしたの、何、急に」
「……すまない、ビビ」
「何、言って……?」
「お前が国を出て危険な目に遭ったのは、少なからずおれのせいでもあるんだろ? 仲間、だって言ったのにな」
 幼き日の約束。どうしてそれを、忘れてしまっていたのだろう。
 目先のことに惑わされて、真実を見抜くことができなかった。そんな自分の未熟さが悔しかった。
「リーダー、やめてよ。顔、上げて。お願い」
 ビビの声が、震えている。きっとまた、泣くのを我慢しているに違いないのだ。
 言われるまま顔を上げると、やはりそこには泣きそうな顔をしたビビがいて。
 そんな顔をさせているのが自分なのだと思うと、また情けなさが込み上げてくる。



「……おれ、国を出るよ」
「…リーダー…?」
 コーザの突然の言葉に、ビビは驚きを隠せない様子で。
 そんなビビの顔から気まずそうに目を逸らしながら、コーザは言葉を続けた。
「おれは、この国が好きだ。今回のことだって…この国を救いたくて、反乱軍を興した」
「……」
「だが、どうだ? おれのしたことは、この国を疲弊させただけだ。国を救うどころか悪戯に怪我人や死者を出しただけだ。未来のある子供にだって、傷を負わせちまった」
 コーザは淡々と語る。暗い、沈んだ表情。囁くような、静かな声音。
「許されることじゃない。例え世界がおれを許すと言ったところで、おれは俺自身が許せない」
「……」
 そこまで言って、コーザは言葉を切った。
 そうしてわずかに息を吐き、ぐっと拳を握った。
「……まぁ何より、おれが許されることなどないだろうけどな」
 握られた拳の力強さとは裏腹に、コーザは唇を歪めるようにして苦笑した。ビビは言葉を返せずに、そんなコーザを呆然と見つめて。




「……て……?」


 声が、掠れた。微かに動いた唇は、完全に音を発するに至らなかった。
 洩れたのは、言葉になりきれない掠れた息だけだ。
「ビビ?」
 喉が震えているのが、ビビ自身にも分かった。
 どうして、声が出ないの?
 言いたいことが、たくさんあったのに。
 どうして、肝心な時に。
 ねえリーダー、どうしてそんな顔…するの?
 今までだってずっと辛かったのに。苦しかったのに。
 どうしてまた…苦しい道程を自分から選ぼうとするの?
 ……ねえ。
「……どうして…?」
「な、に?」
 ようやく絞り出された声に、コーザが怪訝そうな顔をする。
「どぉしてよぉっ!」
 叫んだ声は、自分のものとは思えないほど震えた、涙まじりの情けない声だった。
 涙と一緒にビビの感情も…一気に弾けるように、溢れた。
 今までずっと、抑えてきた。
 幼い頃から、自分の立場を考えて。
 一人の人間でありながら、王女という立場が消せないこともビビは理解していたから。自分が感情を露にすることが、どんな自体を招くかをいつでも考えていなければならなかった。
 けれど友達と、仲間と。自分を見守ってくれる暖かな存在があったから。
 笑うことが……泣くことが、できたのだ。
 失いたくない。もう、何一つとして。



「頑張ってきたんでしょう? 辛くても、苦しくても、前に進んできたんでしょう? この国が、好きだったから。救おうとしてくれてたんでしょう?」
「ビ…ビ?」
「……私も、そうだったんだもの」
 ビビが、泣いていた。
 本人ですら泣いていることに気付いていないかのような表情で、涙を零していた。
 溢れた涙は頬を伝い、ビビの手や足にぽたぽたと落ちた。
 本当は誰よりも泣き虫で、それでもその涙を捩じ伏せることのできる強さを持っていて。
 国の為にと自分の意志を抑えることのできる聡明さを持っているビビが…泣いていた。



「ビビ、おれは……」
「それなのに、今になって逃げるのっ?!」
「逃げ…?!」
 何か言いかけた言葉を遮りキッとコーザを見据えるビビの瞳には、いっそ怒りすら混じっていて。
 逃げる、という言葉に驚いたのとビビの目に宿る強い光に、コーザはたじろいだ。
「だって、そうじゃない! 逃げてるじゃない! 今まで国の為にって頑張ってきてたのに、それなのに、いざ国が救われたらこの国を出るなんて…!」
「国を救ったのはおれじゃない!」
 ビビの剣幕に押されぎみだったコーザだが、傷を負っていることも忘れてつい声を荒げてしまう。
 まっすぐな言葉が、痛かった。ビビはこの国に残れと言ってくれているのだ。それが分かっていたから、余計に。
 その優しさを知っていたから、余計にビビの言葉が重く、痛かった。



「おれは反乱軍を率いて、被害をでかくしただけだ! 怪我をして一生が変わった奴もいる、家族を失った奴だっている、それなのにどうしておれがおめおめと国にいられる?! そいつらにどんな顔をして見せればいい?!」
「堂々としてなさいよ! 後悔するようなことをしていたんじゃないでしょう?! 国を救おうと思って反乱軍を興したんでしょう?!」
「当たり前だ!」
「じゃあ……堂々としててよ、リーダー…」
 唐突に支えを失ったかのように声を荒げるのをやめて、ビビは両手で目元を押さえた。
 空になっていたマグカップが、ビビの膝の上に転がった。
「後悔しない道を選んだんだって、胸を張っててよ。私だって、犠牲にしてしまったものがあるんだから…その人たちには、謝っても謝りきれないんだから……」
 犠牲にしたもの。
 それだけの言葉じゃ、きっと足りない。
 けれど、それが紛れもない事実であることは変わりようがないから。
 謝っても足りない。謝るくらいなら、行動に移さなければよかったのだ。けれど、それはできない。
 だとすれば、自分は後悔しない道を進んできたのだと。
 事実から目を逸らさずに、これから未来《さき》へ進むことこそが犠牲にしたものへの償いになるのだと。


 …だから、逃げないで。


「ビビ……す」
「謝らないで! 後悔しない道を選んだんだったら…謝らないで」
 涙声でしゃくり上げながら、それでもビビは自分を見失ってはいない。
 …いや、きっと以前よりも強くなった。
 ビビの嗚咽が幾分落ちつくのを見計らって、コーザは口を開いた。
「……後悔なんか、するはずないだろ。おれだって、この国を想う気持ちは誰にも負けてないんだからな」
 コーザの言葉に、ビビは顔を上げる。
 泣き腫らして赤くなった目。
 幼い頃と、同じ。自分が怪我をしたあの時も、ビビはこうして泣いていた。
 過去を思い返しコーザはふっと、今度は苦笑ではない笑みを洩らした。
「逃げたなんて言われて引き下がれるか。おれは砂砂団のリーダーなんだからな」
「よく言うわ。泣き虫だったくせに。リーダーがいなくても副リーダーの私が立派に砂砂団をまとめあげてみせるわよ」
「……言ったな?」
「……言ったわよ」



 ……暫し落ちる、沈黙。



「……くっ」
「……ふふっ」
 それから、二人同時に笑い出した。
 それこそ二人が幼い日の頃、そのままに。
 屈託なく大声で。
「……アラバスタを復興するの。大仕事になるわ。手伝って、お願い」
「言われなくてもやる気だよ。ここはおれの生まれ育った国だ。荒廃させたままになんてするもんか」
「辛いこともあるかも、しれないけど……」
 俯きかけたビビの肩を、コーザがぽんと叩いた。
「アラバスタがなくなる以上に辛いことって、どんなことなんだ?」
「……!」
「おれなら平気だ。そりゃ、風当たりは軽くはないだろうけどな。アラバスタを救うんだ。今度こそおれ達の手で」
 言って、コーザはビビに手を差し出し。
「……うんっ。よろしく、コーザ」
 差し出された手を握り返しながら、ビビは笑顔になった。









 ……タ、…タ、…バタバタバタバタ。



 目覚めたのは、近づいてくる足音でだった。
「う……」
 むくり、と上半身を起こすと傷に重い痛みが走った。覚醒していくごとに、傷が熱を持っていくような感覚。
 ……ああ、痛み止めが切れたのか。
 ぼんやりする頭を軽く振りつつ(どうやら熟睡してしまっていたらしい。久々の深い眠りに頭が重かった)、コーザはそんなことを考えた。
 何だか、空気がざわついているような気がする。
 ふと横を見ると、ビビがコーザの眠るベッドに突っ伏すように眠っていた。
「……ちゃんと自分とこで寝ろって言ったのにな…」
 困惑と照れが半々のような表情で呟き、コーザは頭をかいた。
 …これ、親父が知ったら切られるな、俺。
 そんなことを内心で呟き、笑みが零れる。
 こんな平和な心地になれるのは、本当に久し振りだった。



「ビビィっ!!」
 バァン! とドアが壊れるんじゃなかろうかという音と、呼び声とが同時だった。
 入ってきたのは、麦わら帽子を被った子供…もとい少年だった。
 確か……
「麦わらの、ルフィ?」
「おお? お前、目、覚めたのか。怪我は?」
 自分の方がよほど重症なのに、そんなことを聞いてみたりして。だがそんなルフィの気迫に飲まれ、コーザは律儀に返事を返してしまう。
「あ、ああ…思ったより痛まない。アンタの船の船医が治療してくれたんだってな。すまなかった」
「そっかー。良かったなー。チョッパーは名医だからな! すぐ治るぞ、きっと!」
 にへっと、まるで子供のような笑顔。
 これが……海賊? しかも、高額の賞金首?
 思わず呆気に取られたコーザだが、ルフィが何故ここに来たのかを問おうと口を開きかけたその時。
「あ……」




  
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