御柳の中にあった均衡を崩されたのは。
 二人が高校2年になった、その年の秋…冬が目前まで迫った季節のことだった。
 いつものように遊びに誘った天国の様子が、どこかいつもと違う。
 それに気付けるほど、御柳は天国と親しくなっていた。

「何かあったっしょ、お前」

「何かって、なんだよ?」

「だ〜から、それを聞いてるんっしょ。おら、言えよ。吐け吐け、聞いてやっからさ〜」

「う……や、やっぱ無理!」

 言いかけて、けれど困惑したように眉を寄せて頭を振ってしまう。
 頬を赤く染めて。
 勘の鋭い御柳には、それだけで何となく天国の言わんとすることが分かってしまった。
 今まで頼りにしてきた自分の勘、それを何となくだが疎ましく思ってしまったのは、それが初めてだった。


「……恋人でもできたか?」

「何で分か…っ!!」

 御柳の言葉に目を剥いて驚き。
 何で分かったんだよ、と言いかけた天国は慌てた様子で口を塞いだ。
 けれど、それが無意味なことぐらい天国自身よく分かっていて。
 観念したように、口元を押さえていた手を外した。

「ぅぅ…そうだよ、ご名答です」

「やーっぱな。お前分かりやすいし。ポーカーとか絶対負けるタイプだよな、お前って」

「うっさい! ポーカーなんぞやらんわっ!」

 顔を真っ赤にして、俯きながら天国が肯定の言葉を口にした時。
 御柳の頭の中で、何かが崩れた。
 いや、警鐘を鳴らしたような気がした。
 どちらだったのかは分からない。
 ともかく、何かが音を立てた。

 それが、何の為の音だったのか。
 これ以上立ち入るな、という警告だったのか。
 それとも、己の心に気付け、という音だったのか。
 どちらだったのかは、あれから何年か経った今でさえ、御柳には分からない。

 ただ。
 明らかに動揺している内心とは裏腹に、表面上は。
 言葉は、いつもと同じようにすらすらと御柳の口をついて出てきて。

「ま、いーじゃん。オメデトさん。物好きもいたってことでさ」

「いや……ていうか俺のが物好きなのかもしんねー……」

「何? どゆこと?」

「うー……」

 問い質せば顔を真っ赤にして。
 天国は唸りながらぐしゃぐしゃと己の髪をかき回す。
 それに苦笑しながら、御柳はやめろって、などと言いつつ天国の手首を掴んでやめさせた。
 すぐ間近に、天国の頭があって。

 天国は香水などを好むタイプではないのだけれど。
 代わりに鼻腔をくすぐったのは、多分天国の使っているのだろうシャンプーの匂いだった。
 決して強い匂いではないそれが、何故だか。
 痛いぐらいに香ったのを、よく覚えている。


「あーまくに。ホラ、言ってみ?」

 くすりと笑いながら。
 天国の耳元に、囁いてやる。
 羞恥と混乱のあまりにか、真っ赤になっていたその耳元に。
 わざわざ、天国が照れまくる名前呼びをオマケにして。

 触れた吐息がくすぐったかったらしく、天国は肩を震わせた。
 俯いているせいで、顔は見えなかったけれど。
 真っ赤になっている耳に、御柳は目を細めた。

 なあ、この体勢のがよっぽど恋人同士に見えんじゃん?
 内心で呟かれた言葉は、音にされることはなく。
 また、御柳自身もそうするつもりは微塵もなかった。

 照れまくり、顔を真っ赤にして。けれど幸せそうに嬉しそうに笑う天国を見て。
 それを壊すようなことはしたくない、ただそう思ったから。



 けれど。

 告げられた言葉に。

 ようやく顔を上げた、天国の唇が紡いだ言葉に。


「俺、さ……犬飼と、付き合うことになったんだ」


 心臓が止まるような心地を覚えたのは、どうしてだろう。



「へ〜? なんだ、アイツにもそんな甲斐性あったのか。意外だな」

「あ、お前これネタにからかったりすんなよっ? アイツ拗ねると性質悪いんだからよ……」

「うーわ、惚気かそれ。惚気だろ。あーもーちょーやってらんねー。ってことで早速からかいの電話を……」

「うわわわっ、やめろって言ってる側から何してやがる!」

 携帯を取り出した御柳に、焦った天国がタックルをかますように飛び付いてくる。
 どん、と肩がぶつかって。
 また香るシャンプーの匂いに、御柳は僅かに目を細めた。

 皮肉だ。
 そう思った。
 天国の手をかわしながら、からかいの言葉をいつものように投げながら。
 心の内に嵐が吹き荒れるのを、御柳は感じていた。
 それは、避けようのない嵐だった。
 いつも通りに笑う御柳に、天国はいつもと同じように笑っている。
 御柳の心の内がちりちりと灼かれている、それも知らずに。

 なんで今頃、気付くんだろうな?
 他人のものを羨ましいと思う、なんて。
 そんなの俺にはなかったはずだろうに。

 その時に初めて自覚した、天国への気持ち。
 恋心、と言ってしまうには少し切ない、そんな想い。





 自覚してしまった心。
 それでも、御柳は天国に自分の思いを告げることはなかった。
 天国の幸せそうな、嬉しそうな顔を見るのが好きだったから。
 そんな風に言えば少しは格好も付くのだろうけれど。
 それだけじゃないのは、御柳自身よく分かっていた。

 己の心の内にあった均衡は、崩されてしまった。
 けれど、天国との間に築いた信頼関係、それまでを崩したくはなかったのだ。
 天国の性格は、熟知してしまっていたから。
 きっと御柳が思いの丈を口にすれば。
 胸の内を渦巻く想いを、隠すことなく天国にぶつければ。
 優しくて不器用な天国は、きっと困惑するだろう。
 困惑して、けれど切り捨てることもできずに。
 どうしようか、と困った顔で言ってみたりするのだろう。

 そんなことは、御柳の望むべくことじゃなかった。
 だから、言わなかった。
 ぬるま湯に浸かっているかのような「友達同士」という肩書き。
 それに縋って、自分の想いを胸の奥に押し込めて。




 一世一代のポーカーフェイスは、天国に見破られることはなかった。
 犬飼と天国が付き合い出したその後も、御柳と天国はそれまで通りの「友人」としての関係を保っていた。
 時には、天国に「恋愛相談」らしきものをされたり、犬飼への惚気とも思しき愚痴を聞かされたりもした。
 ある程度予想はしていたことだが、元々が犬猿の仲から始まった二人は喧嘩も耐えずに。
 その時も、そうだった。
 いつもの如く犬飼と喧嘩したらしい天国は、御柳の元を訪れていて。

 天国の怒り方のパターンは非常に分かりやすい。
 最初は烈火の如く何もかもに当たり散らしそうなほど怒っているのだけれど。
 時間が経つにつれて、その怒りは鎮火していく。
 数十分、もしくは数時間経てばすっかり鎮火した怒りの元、今度は後悔と自責の念に苛まれるのだ。


 しょんぼりと、意気消沈して膝を抱える天国に。
 御柳は、ぽんぽんとその頭を励ますように撫でてやった。
 体勢はそのままに顔を上げた天国は、御柳の仕草に安堵したようにへらりと笑う。
 泣いていたわけではないらしく、天国の頬に伝う跡はなく、瞳にも涙は見られなかった。
 それでも、どこか疲れたような表情に御柳は思わず歯噛みする。

「あんがとな、御柳。いっつもいっつも……俺も、いい加減自分一人で何とかできるようになんなきゃなー」

「んな寂しいこと言うなって。お前のお守りも、もう慣れた所だし? いきなり親離れされても俺が寂しいっしょ」

「だーれが親だよ。ばぁか」

 言い返す言葉にも、覇気がない。
 ちょうど怒りが冷めて落ち込みパターンに入っている所だったせいだろう。
 微笑するその表情にも、いつものような強い力は見られなくて。
 そんな天国も悪くないと思うし、人間なのだから落ち込んだり元気がなかったりするのも当然だとも思う。
 だけれど。
 誰かの所為でそんな表情を晒す天国を見るのは、辛かった。我慢ならなかった。

 抑えて、抑えて、抑えて。
 ずっとずっと我慢してきた、見ないフリを続けていた感情。
 その端から、ポロリと。
 零れ落ちた、言葉。
 一言だけ、だからこそ。そこに濃縮された、想い。


「……よ」

「へ? 何?」

「俺のもんになっちまえよ、天国」

「み、やなぎ?」

 低い声で洩れた、囁き声にも近い言葉。
 それに、天国が目を丸くする。
 心底驚いた、そんな心境が見ている方にまで伝わってくるような。

 ああ、言っちまった。
 んな顔すんなよ。
 本当はもうずっと、言いたくてたまらなかった一言なんだよ。
 俺ならお前に、そんな表情させねーから。
 自分が悪い、だなんて。そんなこと考えさせたりもしねーから。

 キリキリと、胸が締めつけられるような気がする。
 言葉の意味を、ようやく理解したらしい天国が困惑の表情を見せる。
 御柳はそんな天国の肩を、バシンと音がするほど乱暴に掴んだ。
 天国が、びくっと身を竦ませる。

「だーってよ。俺のが断然イイ男じゃん。顔はイイ、性格はイイ、オマケに天国のこともちょー可愛がってっし? メチャクチャ優良物件じゃね?」

 はぁぁ、と大げさに溜め息を吐きながら、御柳は言う。
 目の前で、固かった天国の表情が見る見るうちに柔らかくなっていくのが分かった。
 ホッとしたらしく、天国はくすりと笑った。

「それもいいかもな〜。いっそ乗り換えっかなー」

「おうおう、是非ともそうしてくれたまえ」

 ……拒否れよ、バカ。
 安心しきった顔で、俺を受け容れたりすんなよ。
 ますます、離れがたくなんだろーが。

 軽口を叩く傍ら、逆巻く嵐に心が引き裂かれそうになる。
 何も知らない、それがどれだけ残酷なことなのか。
 改めて知らされたような気がした。
 それでも、天国を責める気などない。
 知られていない方が、都合がいいから。
 天国の隣りにいるのには、その方がいい。
 それが望んでいる「恋人」ではなく「親友」というポジションなのだとしても。

 抑え続けてきた、どうしても言いたかった一言。
 それを伝えた、その事実に後悔はない。
 垣間見た不安げな表情にも。
 後悔など、感じなかった。
 抑え続けるには、限度があったから。

 それでも。
 その後にちゃんと逃げ道を残したのは、御柳の優しさ、ただそれだけではなくて。
 冗談混じりにだけれど告げた「俺のものになれ」という言葉に。やはり冗談混じりにだったけれど天国が「それもいいかもな」と頷いてくれた、それが嬉しかったからだ。
 それだけで、満足できた。

 天国の残酷さを詰るその反面、自分の言葉を拒否されなかった、それがどうしようもなく嬉しかった。
 救いようがない、と自分でもそう思う。
 それでも、天国への想いを捨て去ることはできなかった。
 そんな自分を愚かだと思いながら、それでも。
 天国と一緒にいる時間は、切ない以上に楽しかったから。








「あ〜、いっそ雪合戦とかしてえよなぁ」

 天国の呟きに、我に返る。
 笑いながら言った天国は、寒さのせいで真っ赤になった指先で歩道横の植えこみの上に積もった雪に触れていた。
 白と赤のコントラストに、目を奪われる。

「そういうことばっか言ってっから、ガキくせーって言われんだよ、お前」

「しょうがねーじゃん。寒いもんは寒いんだっての」

 べ、と舌を出して天国は冷えた己の手に息を吐きかける。
 白く染まる息が、御柳の視界から天国の表情を覆い隠すようにほわりと上がった。
 手を伸ばしたのは、意識してのことじゃなかった。
 思わず。
 がしりと掴まれた手に、天国がきょとんと御柳を見る。

「こーやって繋いでりゃ、ちっとはマシっしょ」

「うわ、ちょーキザだし。何お前、こうやって女口説くんだ?」

「バーカ。女なんかにゃこんなこたしねーよ、勿体ない」

「あっはっは、お前らしー。じゃ、俺は特別ってか」

「そーそー。じっくり特別な心地を味わいたまえ」

 手袋ごしに、天国の冷えた手の感触が伝わってくる。
 これだけのことで、泣きたくなるだなんてどうかしてる。
 思いながら、天国の手を強く握った。
 暖かいのが嬉しいらしく、天国も御柳の手を握り返してくる。

 白い息の向こうから見れば、きっとこんな姿は恋人にでも見えるに違いない。
 犬飼とは。
 こんな風に手を繋いで、歩いたのだろうか。
 ちらりと意識を掠める、そんな言葉。



 天国と犬飼が、付き合い始めてちょうど4年目になる今秋に別れたことは、とっくに知っていた。
 天国自身から、知らされたからだ。
 唐突な呼び出しに応じてみれば、泣き腫らした目の天国がいて。
 はらはらと銀杏の金色の葉が舞うその中で、ぽつりと天国が「別れてきた」と口にしたのは今でも記憶に新しい。

 天国が犬飼との関係を終わらせようと思っていたらしいのは、なんとなく気付いていた。
 その理由が、キライになったからだとかそういう次元の話ではないことにも。
 犬飼が、天国の言葉に。
 天国と同じ心境で頷くだろうという、そのことにも。
 なんとなくだが、御柳には分かっていた。

 立ち入ることの出来ない、想い。
 他人と言うには近く、当事者と言うには遠い、そんな位置で二人の関係を見てきた御柳だからこそ、分かる。
 見ている方まで切なくなるような、想い合うからこその別れ。


「勝てねーよなぁ……」

「何?」

 言葉と一緒に吐き出された息は、やっぱり真っ白で。
 天国に目を向ければ、まっすぐな視線とぶつかった。
 それを見て、御柳は微苦笑する。
 天国にはそれと悟られないように。

「さみーなーっつったんだよ」

「何だよ、人の事言えないじゃんお前も」

「俺はお前みたいに雪が降ったからって喜んだりしねーけど?」

 言えば、天国がむくれるのが分かる。
 だから、そういう所が子供だっつってんのに。
 けれどそんな所も、御柳にとってはお気に入りだったりして。

 繋いだ手は、暖かくはなかったけれど。
 御柳にとっては、何より暖かく思えて仕方なかった。
 いっそ振り払ってくれればいいのに。
 そうしたら、強引にでも自分の心を伝えられそうな気がするのに。
 今のままじゃ、きっとずっと、何も言えない。

 歩くたびにざくざくと、雪を踏みしめる音がする。
 天国はそれに楽しげな表情を覗かせる。
 御柳は繋いだ手を握り締めながら、笑うように目を細めた。
 笑いたいような心境では、決してなかったのだけれど。



 なあ、天国。
 お前は知らないだろうけど、すごく残酷だよ。
 残酷で、でも誰より暖かくて優しい。
 言い方は悪いけど、俺は多分お前にとってコンビニみたいなもんなんだろうな。

 年中無休で、いつでも開いてて、明るい場所。
 天国にとっての自分は、そんな存在なのだろうと思う。
 本人にその自覚はないのだろうけれど。

 それでも、御柳は天国と会うのをやめられなかった。
 これからもきっと、天国からの電話には応じてしまうのだろうし、逆に自分の方から天国を誘うこともあるのだろう。
 天国と出会ったこと、好きになったことを、どうしようもなかったそれがなければよかったと、そう思ったことが一度もなかったとは言わない。
 出会いを悔やんだこと、このまま天国との連絡を絶ってしまおうと思ったこと、そんなことは幾度となくあって。
 けれど、その度に天国の笑顔が脳裏をよぎって、一緒に笑い合ったことを思い出して。

 結局は、御柳は天国への想いを絶ち切ることは出来ずにいた。
 捨てられない想いに、自分でも辟易しながら、それでも尚。
 どうして好きになったのか。
 それは御柳自身にも分からない。
 ただ、想いだけがそこに在る。それが真実。





 想いは、どこへ行くのだろう。
 天国の犬飼に対する想い。
 犬飼の天国に対する想い。
 御柳の天国に対する想い。
 三者三様の、それでも誰かを想うという部分では変わりのない、想いは。

 それが分からないから、見えないから。
 人は、誰かを。
 自分ではない誰かを、好きになるのかもしれない。
 求めるのかもしれない。
 その理由なんて、分からないけれど。

 誰かを想う気持ちは、甘いばかりじゃない。
 苦いことも、辛いこともある。
 それでも、今日もまた誰かが誰かに想いを寄せている。

 目が合って、笑い合えれば。
 それだけでも充分すぎるくらい幸せだと。
 そんな想いを抱いている人がいる。

 答えなんて、それでいい。
 よく、分からないままでも。




 飲み込んだ言葉は苦い。
 吐き出したいと思うのが自然なくらい。
 それでも、御柳は何も言わない、言えないまま。

 握った手を引きながら、御柳はふと空を見上げた。
 天国の手が暖まるように。
 そのぬくもりで、本当は自分の心が暖かく、けれどどこかに痛みを感じているのを自覚しながら。






 春は、まだ。



 遠い。




END








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100題・課題45「年中無休」をお送りしました。

芭→猿です。
片想いです。
「目線を合わせて笑って」シリーズ(になってしまった)、一応これにて完結です。
3作目にして一番切ない上に一番長いというオチつきです。
回想入ると長くなりますね、やはり…
結局犬⇔猿←芭っていう話になりましたね。
いやあの、御柳氏好きなもんで…つい触手が動いていたというか。


この話にもやはりイメージソング付き。
一作目の曲が入ってるのと同じ槙原氏のアルバム「UNDERWEAR」から。
「I need you.(ALBUM VERSION)」です。
題名まんまやっちう…
この曲も切ないっすよ〜。

「I need you. But you don't need me.
 困ったとき
 退屈なときだけ僕を呼び出さないで
 I need you. But you don't need me.
 こんなんじゃ君を知らなきゃ良かった」

この曲とお題「年中無休」を合わせた自分、何考えてんだか(ぉぃ)
お題の「年中無休」ってのは御柳氏の考える天国にとっての自分の存在、ってのは作中でも書きましたが。
もう一つ、「想い」って意味でもあったりします。
誰かに向ける心ってのは、いつ何時でも存在するものだから。

無駄に長い話でしたが(後書きもね…)、
読んでくださった方々へ惜しみない感謝と愛を込めて。
2003年最後の更新がこれ、か…


UPDATE/2003.12.26

 

 

 

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