好きだから。

 億面もなくそう言ったよな、お前。

 嬉しそうに、幸せそうに。






  
 目線を合わせて笑って

      〜アイニージュー〜





 関東地方、埼玉。
 珍しく、12月だというのに積もるほどの雪が降った。
 惜しくもクリスマスは過ぎてしまった後だったけれど。

「さみ……」

 ドアの外に出ての第一声は、それだった。
 身を切るような寒さ、というのはこういうことを言うのだろうと思う。
 最も、彼に言わせればこの時期は日々のほとんどがそれに該当するのだが。

 そんな彼にとって、前日に結構な雪が積もった今日のような日にわざわざ出掛けるなんて、ハッキリ言って狂気の沙汰だった。
 何を好き好んでこんな日に外に出なければならないのか。
 それでも、待ち合わせに間に合うように。
 間に合うどころか、この状況からいつもより歩くのも困難だろうと考えて、時間に余裕すら持って家を出た。

 自分でも自分の行動に首を捻りたくなる。
 もしくはバカな奴、と罵るか。
 けれど、それでも。
 出掛けないわけには、行かなかった。

「くそ……バカっしょ、俺」

 悪態を吐きながら、それでも彼…御柳芭唐は、自分が出てきたばかりのドアの鍵をがちゃりと閉めた。
 触れたドアノブの冷たさに、顔を顰めながら。





 眼前に広がるのは、いつも通りの景色ではなく。
 一面の銀世界、だ。
 雪が降った、積もった、ただそれだけのことで。
 世界は、こんなにも姿を変える。

 けれどそれに深い感慨を覚えるほど、御柳はロマンチストでもなく。
 それどころか歩きにくいわ寒いわの状況に、苛立ちさえ覚えたりする。
 それでも御柳は、時間を確認しつつ待ち合わせ場所へ向かって歩いていた。

 車道の雪はもう灰色になっていて、随分汚くなっていた。
 車が通り過ぎるその度に、びちゃびちゃと音がする。
 それに比べて、歩道に積もった雪は白いまま。
 いくらか足跡が残っているが、歩きやすいように雪かきなどがされた形跡はなく。
 休日だということも手伝って、こんな日に出掛ける人間は少ないのだろう。
 余程大事な約束があるか、雪でさえ遊び道具に変えてしまえる子供でもない限り。
 そうして御柳が外へ出たのは、他でもない前者が理由だった。


 約束がある。
 ただ、それだけのことで。
 こんな日ならば、きっと断りの電話を入れても相手は納得してくれるだろうに。
 それでも、そんな選択肢は御柳の頭に浮かんでも来なかった。

 会いたいから。
 たったそれだけが、今の御柳を突き動かす衝動。
 面倒くさがりで、自分にとって興味のない事柄にはまったくの無関心な御柳が。
 自分でも自分の行動を酔狂だと思いながら、それでも動く理由。
 それは、たった一つ。




 ざくざくと、雪をかき分けるようにして歩きながら。
 ふと目線を上げた先に、見知った後ろ姿を見つけた。
 後ろ姿、それでも誰だか分かってしまう。
 それは、御柳の待ち合わせ相手。

 積もった雪のせいで歩きづらいらしく、子供のようにひょこひょことした足取りで歩いている。
 その歩き方が、後ろ姿が無性におかしくて。
 見つけられたことが、どうにも嬉しくて。
 御柳は、思わず笑みを零していた。

 そのまま、少し歩く速度を速めて前方を歩く背中に追いつく。
 手を伸ばして、その後ろ頭をぺしりと叩いた。
 叩かれたのに驚いたらしいその人物の肩が、ぴくりと震える。
 それから、くるりと顔を御柳の方へ向けた。


「あれ、御柳!」

「よぉ、何してんだよ」

「いや、あんまり寒いからさ〜。あったかいモンでも買って待ってようかなと思って」

「あー、ナルホドね」

 驚いたような表情をして。
 御柳の気に入っているその目が、丸く見開かれている。
 けれど御柳の姿を認めると、寒さのせいで赤く火照った顔が、くしゃりと笑顔になった。
 猿野天国。
 御柳の、待ち合わせの相手。

 そうして、御柳の、想い人。
 御柳が動く、たった一つの理由。
 それは、天国が御柳にとって、何よりも優先すべき事柄だからだった。




 どうやら天国もこれから待ち合わせ場所に向かう所だったらしい。
 けれどこの寒さに暖を取るつもりだったのだろう。
 二人が会ったのは待ち合わせ場所ではなく、某有名全国チェーンのコンビニ前だった。
 待ち合わせ場所でただ立っているだけでは辛いと、暖かい飲み物か何かを買うつもりだったのだと、天国は笑って言った。

「お前、飯は」

「朝食ってきたけど……ちょっと小腹減ってっかも」

「んじゃ、どっか入るか」

「おうっ」

 こく、と頷く天国の仕草は、年よりも幼い。
 ふとした時に見せる表情や仕草は、出会った頃と変わっていない。
 それが、切ないような嬉しいような複雑な気持ちで。
 けれどそれを押し隠すように、御柳は笑いながら天国の鼻先を指で突ついた。
 からかうように。

 軽く触れた指先、冷えた肌。
 それだけでも、御柳の胸の内がどれだけかき乱されているか。
 天国はそれを知る由もないし、知らせる気もなかった。
 子供のような、軽い触れ合い。
 そんなことにバカみたいに浮かれて、嬉しくなる心地を御柳は止められなかった。


「てーかお前、鼻の頭あっけーし。子供みてーな」

「寒いんだから仕方ねーだろ! 同じ年のくせして何言ってんだ!」

「マフラー巻いてコート着て、まだ寒いって言う奴のどこが子供じゃないってんだよ。…ってあれ、お前今日は手袋してねーの?」

 くつくつと笑いながら、ふと気付く。
 寒がりの天国はいつでも重装備だ。
 コートを着て、中にはセーターも着て。
 マフラーに手袋、見るからに暖かそうな帽子を被ってくることも珍しくない。

 それなのに。
 そんな天国の手に、いつもあるはずの手袋が今日はなかった。
 指先が赤くなっていて、それが痛々しい。
 その手を取って、両手で包んで、暖めたい。
 瞬間的に湧き上がった、衝動。
 きっとそうしても、天国は不審そうな顔はしないだろう。

 軽い触れ合いなら、もう何度もしてきたから。
 それは、天国にどうしても触れずにいられなかった衝動を誤魔化すその為に。御柳が冗談めかしてスキンシップだと言いながら、天国に触れてきていたから。
 もう、幾度となく。
 だから先ほど天国の鼻の頭に触れても、天国は反応を示さなかったのだ。

 それでも。
 御柳は、天国の手を取るのを躊躇っていた。
 いつものように、笑いながらその手を掴めばいいだけの話なのに。
 どうしてもそれができなかった。
 言葉が出てこなかった。
 痛々しげに赤い指先、それに触れてしまったら。
 後戻りのできない言葉が、唇から零れ落ちてしまいそうな気がして。
 


「あー…片方、なくした」

「は? いつ」

「一昨日の飲み会……気付いたら、なかった」

 気まずげに視線を落としながら、天国は言う。
 別に悪い事をしたわけでもないのに。
 怒られる前の子供のようで、それがまた御柳の笑いを誘う。

「じゃー今日は手袋でも見て回るか」

 言ってやれば、天国は顔を上げて笑顔になる。
 御柳の好きな、表情。
 それを惜しげもなく晒して、天国は頷いた。
 天国の反応に、御柳も笑う。
 未だに、天国の手を取れないことに葛藤しているその心から、半ば無理矢理目を逸らしながら。





 二人して、雪の積もった道を歩く。
 天国は笑いながら、一昨日の飲み会のことを話していたりして。
 それに相槌を入れ、時にはツッコミを入れたりしながら御柳は天国の隣りを歩く。

 歩きづらそうにしながら、それでも天国は楽しげだった。
 御柳とは違って、天国は雪が好きらしい。
 たとえそれが自分の歩行を妨げるものであったとしても。

「うわ、照り返し眩しいなー」

 積もった雪に太陽光が反射して、目を射る。
 それに目を細めて、けれど天国はくすくすと笑った。
 何笑ってんだ、と御柳が天国を見やれば。

「あ、お前も同じような顔してやんの」

「何が」

「照り返しのせいでさ、皆笑ってるように見えねー?」

「……んなこと、考えたことないっての」

 言われてみれば、そう見える。
 同じ道を同じように歩いているはずなのに、御柳には見えないようなものを天国は見たりする。
 それが不思議で、そうして余計に惹かれる要素だった。


「でも意外だったな〜」

「何が」

「だって今日みたいな日はさ、御柳だったら絶対出歩きたくないって言うのかなって思ってたから」

 ……待ち合わせの相手がお前でなきゃ、そうしてただろうけどな。
 出かかった言葉を飲み込む。
 黙ってしまった御柳に、天国は不審げに眉を寄せた。

「何黙ってんだよ?」

「いや……まあ、前からの約束だったしさ」

「あー、お前案外律儀だもんな」


 何も知らない天国は、御柳の言葉に納得したように頷いている。
 それは、天国との約束を御柳が破ったことがないからで。
 だから天国は、御柳を結構義理堅い人間だと思っているらしかった。
 態度や性格に関わらず、案外律儀な人間なのだと。
 天国に対してだけはそうなのだから、それはあながち間違っているとも言い切れないかもしれない。

 けれど、天国は知らない。
 実際御柳は、天国が思っているほど律儀で義理堅いわけでは決して、ない。
 人の道を外れるほどではないけれど、一般的に見て我侭だの自己中だの言われても仕方ないほどには。
 それを天国が知らないのは、天国に対する御柳の付き合い方がそういう部分を感じさせない付き合い方であるからに他ならない。
 けれど、御柳は意識してそうしているわけではなかった。
 天国と一緒にいると、何故だかそんな気が起こらないのだ。

 ただ端的に好きな相手だから、と言えないこともないのだが。
 それ以前に、御柳が天国を自分の傍に居る人間の一人として意識して、認めているからというのが要因としては大きいだろう。
 恋愛感情を抜きにして、御柳は天国と付き合うのを楽しいと思っていたし。
 天国にも、それは同じことが言えた。
 だから二人は、ここまで連絡を途切れさせることなく付き合ってこれたのだろう。









 御柳と天国。
 他校、それもなかなかに因縁浅からぬ学校に通い合う二人が交流を始めた経緯は、御柳にある。
 天国の存在に興味を持った御柳が、天国に声をかけたのが始まりだった。
 最初は、ただの興味本位。
 うるさくて騒がしくて、それでも周りにいる人間が絶える事はない。
 何より、犬飼が。
 あの人付き合いの苦手な犬飼でさえもが、天国には自ずから話しかけたりもしていて。

 今までの自分の周りにはいなかったタイプの人間、それに興味が湧いた。
 御柳が何よりキライなことは、退屈だったから。
 そんなもの感じさせる暇もなさそうな天国に興味が湧いた。
 それが、きっかけ。



 学校帰りに遊びに誘ってみたりとか。
 休日に家まで行ってみたりとか。
 最初は、強引に。
 けれど付き合ううちに、天国も御柳といるのが楽しくなってきたらしく、天国の方から御柳を誘う事も珍しくなくなってきたりして。

 一見すると正反対に見える二人だが、存外それが上手い歯車で噛み合っているらしかった。
 幾度か付き合ううちに、御柳は天国が表にそうと見せているほどバカで考えなしなわけじゃないことに気付いたし。
 逆に天国も、御柳が存外他人を見て行動していることを理解した。
 お互いが一緒にいて疲れない、気も使わない。
 だから、出会って最初の冬を終える頃には二人の仲は気心の知れた友人、と呼ぶに相応しいものになっていたのだ。

 御柳は天国の屈託なく笑う顔が好きで。
 それを見るたび、何故だか安堵にも似た気持ちを抱く自分をどこか不思議に思っていた。
 けれどそれを深く追求する気もなく、天国と御柳は至極順調に友人としての付き合いを深めていた。







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