8.涙だって似合うけど 笑顔くもらせたくはない はらはら、と、音もなく。 花が散るように、涙が零れた。 きっかけは、いつでも些細なことだ。 原因も覚えていないようなこと。 そんなものをきっかけに、天国と芭唐はいっそ清々しいほどの勢いで口論になったりする。 口論、と言うよりもそれは正しく痴話喧嘩というものなのだけれど。 気が合う、とは言え元々の性格が著しく違う二人だ。 細々とした部分での食い違いや衝突は珍しいことではない。 むしろ多少のことならば相互理解の為には仕方ないことだとさえ考えていたりする。 冷めたポーズを見せてはいても、一応はスポーツ少年な御柳は意外と天国にも負けないほど熱くなったりする一面も持っていた。 まあそれは、本気の相手に本気の自分でぶつかっているから、が御柳の言い分なのだけれど。 傍迷惑なコミュニケーションだな、とは沢松の溜め息混じりの、しかして正しい意見だ。 その、いつも通りのくだらないような口論の中で。 二人ビシバシと言葉と言葉をぶつけ合っている、その最中で。 沸点の高くない、いや低い天国に触発されて、御柳も思わず頭のネジが一本か二本飛んでしまって。 何を言ったか、覚えていないわけではない。 怒鳴って、怒鳴り返されて、それで。 苛立ちに任せるままに口にした言葉に、ふっと天国からの声が途切れた。 返ってくる言葉がなければ、御柳も口を閉ざすことになって。 自然、部屋に沈黙が落ちる。 それまでの怒鳴り合いなど、まるでなかったかのように。 しん、と鎮まり返った空気が耳に痛いと、そう思った。 黙り込んだ天国の顔には、それまでの怒りは見られなくて。 代わりに、天国は何だか迷子になった子供のような、やけに幼い顔をしていた。 握っていた手を離してしまった、その事実にやっと気付いた、と。 自分がどうしているのか、どうすればいいのか分からない、と。 そんなことを言い出しそうな顔で、きょとんとしていた。 丸くなった目が、澄んだ色をしている。 それまでの状況も忘れて、思わずその目元に触れたくなった。 「あ……」 ぽたん、と。 落ちたのは、涙と、声。 頬を伝った涙に驚いたのだろう、天国がぱしぱしと瞬きを繰り返している。 相変わらず、くるりと澄んだ色を湛えた瞳のままで。 どうして俺は、泣いてるんだろう。 そんなことを思っているのだろう顔で。 堰を切ってしまった涙は、そのままはらはらと零れ落ちる。 フローリングの床にぱたぱた、と音を立てるのがやけに耳に響いた。 天国にもその音が聞こえたのだろう。その視線が、落ちる涙を追って床に向かう。 涙の雫は、落ちて落ちて。 冷たい床にぶつかると、弾けて細かい粒になった。 咲ききってしまった花が、その身を散らすかのように。 「あ、まくに」 どうしてだか。 一瞬前まで言い合いをしていたとは思えないほどに、声を出しづらい。 呼びかけた名前は、その声はらしくもなく弱弱しくて、御柳は思わず眉を寄せた。 他の誰でもない、自分自身に苛ついて。 呼ばれた名に、天国が顔を上げる。 ふわふわと彷徨うように視線が向けられた。 幾筋も涙の伝う頬が、痛々しい。 そうさせてしまったのは自分なのに、ただ涙を拭いたくて仕方なくなった。 手を伸ばして、けれど頬に直接触れるのは躊躇われて。 透明な色の涙は、何故だか凄くすごく綺麗に見えたから。 それに無遠慮に触れたりしたら、天国の心まで潰してしまうような気がしてしまったから。 結局御柳は、天国の肩に手をやるとそのまま引き寄せて抱きしめた。 声もなく涙を流している天国は、抵抗するでもなく御柳の腕の中に収まる。 天国の頬が押し当てられた肩の部分のシャツが、その涙を吸ってじわりと熱くなるのが分かった。 「天国、天国」 名前を繰りかえし呼ぶ。 天国からの返事はない。 怖い、と思った。 このまま、二度と俺の言葉に応えてくれなくなるんじゃないか。 そんな考えが頭を過ぎった。 喧嘩は初めてのことじゃないけれど、それで天国がこんな風に泣くのは初めてだった。 天国の肩を抱く腕が、ぶるっと震える。 それを誤魔化すように、腕に力を込めた。 「ごめん、言い過ぎた」 する、とあっけなく言葉が漏れた。 謝るなんて、それを特に意識もなくしてしまうなんて、随分久し振りのことのような気がした。 口先だけの言葉なら、幾つも並べてきたけれど。 謝罪の言葉を無意識に、それでいて心から口にするのはもうずっと以前からなかった。 自分のした行動に自分で驚いていると、腕の中に閉じ込めるようにしていた天国がそっと身じろぎをした。 肩に押し当てられていた顔が、そっと御柳の様子を伺う。 涙は止まっているようだったが、それでもその瞳は濡れているようだった。 きらきら、した目。 自分にはない。 「……ごめん」 「みゃあ、何でお前、泣いてんの」 「……っ、ぇ」 言葉は声にならなかった。 何言ってんだよ、そう笑うことは簡単だった。 その、筈だった。 けれど、言葉は音にならず。 口から零れたのは、言葉未満の吐息だけだった。 顔を覆ってしまうにも、御柳の手は天国の肩を抱いている。 眼の奥が熱い。 せり上がってくる痛みにも似た感覚に思わず目を伏せると、頬が濡れるのを感じた。 それにようやく、自分が泣いていることを自覚する。 「みゃーあ?」 猫が鳴く、その声を真似するように。 天国が、御柳を呼ぶ。 鼓膜をくすぐるような甘い声、そう思ってしまった。 天国が考えて、天国だけが呼ぶ、その呼び方。 ぺた、と。 頬に、目元に、ぬくもりが触れる。 感触から、それが天国の指先だとすぐ知れた。 大丈夫、と。 問うように気遣うように、触れる指が語る。 暖かい。 ゆるゆると目を開ければ、視線が合った天国が微笑って。 向けられる笑顔に、心底安堵する自分がいた。 柔らかい色の目。 人の笑顔に安心してしまうなんて、子供になってしまったような気分になったけれど。 悪い気は、しなかった。 「……天国、笑ってくんね?」 傷つけたい、わけじゃない。 独占したいという思いは、勿論あるけれども。 ただもう、隣りにいたいんだと。 ずっとずっと泣くことなどしていなかったその所為で、何やら頭の奥が痛むのを感じながら。 御柳はぬくもりに擦り寄るように、天国の髪に頬を寄せた。 頭痛い、っつったら、俺んこと慰めてくれる? END |
えれーヘタレな芭唐さんです。 まあ天国さんを泣かしたんですから、それ相応の葛藤はしていただかねば。 そんな感じの話です。 実際この二人は仲良くなっても喧嘩はすると思います。 そして相変わらずみゃあ呼びをするうちの猿…… (ていうか何言って泣かしたんだ、みやばか/笑) UPDATE 2005/3/20 |