7.デリケートが良いとは限らない (ハッピーバースディ) ガタ、と音を立てて窓が揺れた。 窓の向こうに人影が見える。 その人物は何やら辺りを伺うように頭を揺らしてから、ガラリと窓を開けた。 「ぃよ、っと」 小さく声を上げて、窓枠を物ともせずに教室の中に飛び込んだ。 人影のない、第二美術室。 物置状態になっているこの教室の窓の鍵が一つ壊れていることを知る生徒はごく一部だ。 そのごく一部である、猿野天国は雑然と物が置かれている教室内を何かを探すように見回した。 「…んだよ、来てねぇじゃんか」 やっぱメール見てねーんかなー。 呟きながら、かしかしっと頭をかいた。 送ったメールが電子の世界で迷子になっているようで、何だか淋しいような気になる。 あーあ、と溜め息を吐いた、その時。 ガタガタ、と背後で窓が揺れた。 驚いて振り向くのと、窓が開いて誰かが室内に飛び込んでくるのとが、ほぼ同時。 「っ! さ、る?!」 「ちょ、わ、っぶね…!」 窓から飛び込んで、そのままの場所にいた天国は飛び込んできた誰かと交錯する。 正面からぶつかることだけは避けようと何とか体を捻ってかわすが、その拍子にバランスを崩した。 ぐらりと傾ぐ体。 うわやべ、怪我だけはしねーように倒れねーと。 最早自力で体勢を立て直すのは不可能だと分かっていたので、どう倒れようかと思案する。 「う、わっ?」 瞬間。 腕を引かれ、引き戻された。 重力に逆らえずにいた天国だったが、何とか倒れることは免れたらしい。 「悪いな助かった〜…ってか、ビビらせんなっつの! マジこけるかと思っただろこの駄犬!」 一応礼を言う、が間髪入れずに牙を剥く。 この場所を教えたのは確かに天国だったが、まさかこんな事故が起こるとは予想だにしていなかった。 窓から飛び込んできたのは、犬飼だ。 元々気まぐれでこの場所を教えたのは天国だったが、正直諦め半分でいたのも事実。 犬飼がメールを見るとは限らない、見ても来るとは限らない、と。 そう考えていたから。 けれど。 予想を裏切り、犬飼は来た。 息を切らせて、慌てて窓から飛び込んで来て。 あ、やべえ。 何か今更ちょっと嬉しいかも? つーかいつもならすぐに言い返してきやがるのに、何で今日に限って黙って……って。 「オイ真っ青じゃん……だいじょぶかよ」 「ああ、まあ……とりあえず」 「その辺座れば? ここなら見つかんねーだろうしさ」 どうやら言い返すどころの騒ぎではないらしい。 未だ肩を上下させている犬飼の顔色は、数時間前に廊下で一瞬見た時よりも悪化していた。 天国にしてみれば贅沢な悩み抱えおってこのエセジュノンボーイが、と悪態の一つもついてやりたい所なのだが、犬飼の様子があまりに必死というかボロボロというかで、そんな気分も萎えてしまう。 何からしくねーなあ、と思いつつも座ることを薦めれば、犬飼は無言のまま腰を下ろした。 座り込んだ犬飼からはあからさまに淀んだ空気が漂っていて、天国は思わず苦笑した。 だってこんな様子の犬飼、今までに見たことない。 「何っつーか。意外とセンサイだよなあ、お前って」 「……うるせえよ」 「あーでも、お前に限らずピッチャーってどこかしらそうかもな。マウンドの真ん中に立ってるくせして、なーんか繊細っつーか神経質っつーか……あ、デリケートって言った方がいいんかな?」 「誰と比べてんなこと言ってやがる」 「お前を筆頭に諸々」 にやあ、と笑いながら言ってやれば、犬飼は複雑そうな顔で黙り込んでしまった。 否定しないのを見る限り、思い当たることがあるらしい。 「ま、可哀想なワンコいびりはこれぐらいにしておきますか!」 「誰がカワイソウだ……」 言い返す言葉にも明らかに覇気がない。 そんなに怖いもんかねえ、と思い返して、自分には一生縁がない光景だろうなと思ったら何やら腹が立ってくる。 むう、としたものの今ここでHP残量1くらいの犬飼に攻撃しても虚しいのは自分だ、と言い聞かせてグッと堪えた。 ふる、と頭を振った天国を、犬飼は不審げに見やっている。 眉間に寄せられた皺は減点対象だが、まあ確かに整った顔立ちだよなー、と思った。 非常に不本意ではあるが、犬飼が美形であることは天国も認めてはいるのだ。 とてつもなく気に食わない事象ではあるのだけれど、事実は事実なのだから仕方ない。 「そういや……」 「へっ? あ、ああ何」 まじまじと見つめる天国をどう思ったのかは知らないが、犬飼が口を開く。 唐突に話し掛けられ、何故だか少し慌ててしまう。 しかし犬飼はそんな天国の様子に構うことなく、何やら落ち着かなげに視線をうろうろと彷徨わせて。 うーわ、イロオトコの挙動不審てある意味最強に怖ぇ。 なんてことを天国が思ってしまったのは、仕方ないことかもしれない。 図体のでかい男がそわそわもぞもぞしているのだから。 「ここ、教えてくれて助かった」 「あ? あー、まあ、な」 「こんなになるなら、休みゃ良かった」 しょんぼり。 なんて擬音が聞こえてきそうな様子の犬飼に、天国は思わず。 「廊下ですれ違った時、大変そうだったからよ。誕生日くらいは助けてやろっかなーって」 言うつもりのなかった本音を、さらりと零してしまった。 言ってしまった、その事に気付いたのは犬飼がその金色の目を丸く見開いてからだ。 「あ……?」 「知ってたのか?」 思わず口を押さえかけたが、それより早く犬飼が口を開く。 普通の会話でこんなに饒舌な犬飼、見たことがない気がする。 だけど。 それが、何となく楽しいかもっつーか。 そんなことを考える自分に気付いて、驚きやら途惑いやら。 「知ってたのか、俺が」 繰り返される。 もうここまで来たら腹を括れ、とがしがしっと頭をかいて天国は照れくさそうにしながら答えた。 「あ、あー……今日、辰っつんに会ってさ。聞いた」 「そうか」 「うん、まあ、何かさ……プレゼントとか柄じゃねえじゃん? まあ用意してなかったし、金もねーんだけどさ俺」 何言ってんだろ、俺。 言わなくてもいーのに。 でも、何ていうか、さ。 犬の奴が嬉しそうなの、気のせいじゃねえよな。 ……多分、だけど。 喋っているうちに段々気恥ずかしさが消えてきた。 前向きは美徳、と常々天国は考えているので。 この際、勢いに任せて言ってしまってもいいかな、と思えてくる。 絶対言うことなどないと思っていた言葉。 何を頑なにそんなことを考えていたのだろう。 悪いことじゃないのに。 「だから、俺なりに逃げ場所提供ってことでさ。ハッピーバースデイって」 にへ、と笑って。 犬飼が先程よりもずっと大きく目を見開くのが分かって、ますますおかしくなった。 そんなに驚かれると、言った甲斐もある。 うん、そうだ。 俺は多分きっと、言いたかったんだろうな。 だってさ、めでたいし。どんな奴でも、生まれてきてありがとう、ってさ。 その言葉は嬉しいじゃん。 だから。 「誕生日、おめっとさん」 情報提供だけでは何なので、もし居たら渡そうと思っていた購買のコロッケパンを、犬飼の手に押し付ける。 犬飼が音を立てるような勢いで赤面し、それに笑い転げるのは。 あと5秒後の話。 Happy Birthday,Happy end. |
これを犬猿と言い張ってすいません。 季節外れの犬飼ハッピーバースデイ、 背中を押してくださった要さんに捧げます。(実名いいのか…?) UPDATE 2005/12/20 |