7.デリケートが良いとは限らない

(ハッピーバースディ、ちょっと前)




 何とかかんとか逃げ切り、息も荒くしゃがみ込んだ。
 無駄に体力も気力も使ってしまった。
 集団の力というものは何故ああも恐ろしいのだろう。
 普段からそれを身を以って体感している犬飼だったが、今日はそれに輪をかけて凄まじかった。
 途中生命の危機まで感じてしまったのは、まあ罪には問われないだろう。
 重苦しい溜め息を吐きながら、犬飼はくしゃくしゃと頭をかいた。

 今更ながら、やはり今日は休んでおくべきだったかもしれないという思いに駆られる。
 部活まであと数回、この猛攻に耐え逃げなければならないのだと考えると気が重かった。
 いや、もしかしたら部活後も安心は出来ないかもしれない。
 何せ今日は年に一度しか訪れない日だ。
 その年に一度しか訪れない、一般的にはめでたい日の筈の今日。
 何故こんなにも息を切らせて、精神的にも疲弊して逃げ回らなければならないのか。


「あー……クソ」


 理不尽だ、と苛立ちと虚しさを覚えながら肩を落とす。
 このまま帰ってしまおうか、と思う。出来もしないと分かっていながら。

 一言。
 貰えるのか貰えないのかも定かではない、むしろ貰えない可能性の方がずっと高い、たった一言が欲しかった。
 その為にこうなることがある程度予測されながらも休まずに登校したのだ。
 自分自身を思わずバカだよなあと、自覚しながらも。
 貰えるかどうかも分からない一言に、その限りなく低い可能性に、縋ってしまった。
 だからここにいる。


「! っと……?」


 不意に、ポケットに押し込んであった携帯がぶるぶると震えた。
 マナーモードに設定してあった為、着信音は鳴らない。
 鳴ったところで最近ようやく携帯の基本的な使い方をマスターしたばかりの犬飼の着信音は、メールも着信も全て同じ味気ないピピピピ、という電子音なのだけれども。

 いつもならあまり持ち歩かない、それ。
 今日に限って肌身離さず持っていたのにはちゃんと理由がある。
 学校に来る道すがら、辰羅川に何度も念を押されたのだ。
 曰く、どうにも身動きが取れなかったり、連絡を取らねばならない事態が起こった時の為に絶対持ち歩くように、と。
 流石に付き合いの長い辰羅川は、今日1日がどんな風になるかも予測していたらしい。

 けれど。
 犬飼が律儀に携帯を持っていたのは、それだけが理由ではない。
 辰羅川の言葉も尤もだし、今から昼飯をデリバリーしてもらおうかと考えたりもしていたのだけれど。
 何より、メールが来るかもしれない、と。
 そんな露とも霞とも知れぬ期待を、抱いていた。

 顔を合わせると喧々囂々、くだらない言い争いばかりの犬飼と天国だが。
 何度かやり取りしたメールでは、天国の犬飼に対する態度はごくごく普通のものだった。
 ギャラリーがいるのといないのとでは、天国のテンションは随分変わる。
 それが誰に見せることもないメールともなれば、わざわざテンションを上げる必要もないのだろう。
 何より天国はメールよりも会話を好む性質らしく。
 数回交わしたやり取りは、普段の天国を知る者が見れば途惑うほどにそっけなく簡潔なものだった。

 ま、来るわけねーけどな。
 内心で呟き、苦笑う。
 天国は今日が自分の誕生日であるということも知らないのだから。
 かと言ってわざわざ自分から言うのも気が引けるというか、不自然だ。

 たった一人から、たった一言を聞きたいだけなのに。
 その可能性すらほとんどない。
 何やってるんだ俺、と思いながら携帯を開いた。


「あ……?」


 画面に光る、文字。
 その送信者に、犬飼はピタリと動きを止めた。
 ついでに言えば思考も止まった。

 記されていたのは、猿野天国、の文字だった。



 

 

今更な感満載なワンコはぴば話。
もちょっと続きます。


UPDATE 2005/12/20

 

 

 

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