4.幾億もの花の中で 誰よりも愛しい君。





 ざあ、と音がした。
 風の音かと思ったそれは、正確には吹き過ぎた風が木の枝を揺らす音だった。


「う、わ……」


 音を何とはなしに目で追う、その先にあったのは。
 優しげな春の陽光を一身に受け、薄紅色の花弁をはらはらと散らす、見事な桜だった。
 思わず、感嘆の息が零れる。
 どこかふわふわとした足取りで桜に向かって歩み寄りながら、そう言えば今が見頃だとか天気予報で言っていたっけかな、と頭の隅で考えた。
 そうこうしている間にも、桜はひらひらとその花弁を落とし続ける。
 肩に、髪に、惜しげもなく降り注ぐそれは優しげな雪のようで。
 天国は思わず、木を見上げて目を細めた。

 音もなく散る桜は、ただ綺麗で。
 そしてその分、どこか切ないようにも見えた。
 何故そんなことを思ったか自分でも分からないのに、ただ漠然とそう思った。
 考えたと言うよりも、本能でそう感じたと表現した方が近いのかもしれない。

 何を思うでもなく上向けた手のひらに、はらりと1枚、薄紅が飛び込むように落ちた。
 幾千、群生している場所ならば幾億と降り注ぐ花びらだけれど、舞い散るそれを掴もうとすると存外難しい。
 捕まえようと思ったわけでもないのに飛び込んできたそれに、案外こんなものかもしれないな、と何だかおかしくなった。


「世界は綺麗なモンと皮肉で出来ている、なんてな。皮肉なんつったら、アイツ喜びそ」


 手の上の薄紅をそっとつまんで、くっと笑う。
 桃色というには薄く、白というには色づいている。言ってしまえば、どうにも中途半端な色だと思う。
 春に咲く花には、もっとずっと鮮やかで人目を引きつけるものが沢山あるというのに。
 けれど、何故か。鮮やかでも派手でもない色なのに、何故か人目を引く。

 蕾が膨らみ始めると人々は何やらそわそわし始めるし。
 花が開けばそれを口実に花見だ宴会だと騒ぐ。
 そして花が散ってしまうと、夢から覚めたかのように普段通りの生活に散り散りに戻っていくのだ。

 不思議な花だなあ、と思う。
 桜の下に人々がこぞるのは、一年のうちでほんの短い期間だけだ。
 花が咲き、散るまでの数瞬。
 けれど人々はそれを心待ちにし、喜び、祝う。
 春に咲く花は、何も桜だけではないのに。
 桜のように風に吹かれてぱらぱらと散る花でなくても、しっかりとした花弁と優美な姿を晒す花が、それこそ数えきれないほどにあるというのに。

 それでも、人は桜に集う。
 風に吹かれて散る薄紅を、瞳を細めて綺麗だと口にする。
 儚くも哀しい、それでいて春の訪れを祝い喜ぶその花を、褒め称えるように。
 春を祝うには、桜でなければいけなかった。
 数ある花々の中でも、風に吹かれ雨に降られて花弁を零す、その儚さを人は好んだ。

 多分、誰かが誰かを選び、愛するようにして。


「俺がアイツを、選んだみたいに」


 口元に笑みを刻みながら、そう呟く。
 理由なんて分からない。
 ただ、選んだ。
 訳もなく引き寄せられるようにして。
 だからこそ、上手くいっているのかとも思う。

 理由なんて、挙げようと思えばきっと幾らでも付けられるのだ。
 がちがちに固めた理論武装で身を護るのが間違っているとは思わないけれど、一瞬で下された本能が全てを超越してしまうことだってある。
 そして天国も彼も、後者を好んだ。
 それだけのこと。

 だってさ。
 幾千幾億の選択肢があって、その中から自分にとっての最善を選び取るなんてどれくらい難しいことか。
 掴んでしまったものが、たとえば望んだものとは違っていたとしても。
 それを嘆くよりも、どう楽しむかってことに頭使った方が、世の中よっぽど有意義じゃんか。

 生真面目な大人が聞いたなら、顔を顰めるかもしれないけれど。
 だけど自分の人生は自分のもので、だから顔を顰められる義理なんてこれっぽちもないと思う。
 心配や憂慮はありがたいけれど、どれだけそれを貰っても結局のところどうにかこうにかするのは自分の選択なのだから。


「天国ー!」

「おっせーっつの、みやばか」


 呼ばれた声に、口の中でそうぼやく。
 何分遅刻したか確認してやろうと、ポケットに入れていた携帯をごそごそと探った。
 指先で抓んでいた薄紅は、離されて重力に伴い落下する。
 ごお、と音がして強い風が吹き抜けていく。
 目で追うこともしていなかった花弁は、風に吹かれて浚われて、すぐに見えなくなった。





END



 

 

桜の季節記念〜!

猿しか出てません、が。
これを芭猿と言いきる、芭猿バカです。
CP曖昧にしても良かったんですけどね。
皮肉を喜ぶなんて言わせちゃってるんで、固定です。

皆様は桜、楽しまれましたでしょうか?


UPDATE 2005/4/12

 

 

 

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