15.いつか、まためぐり会えますように



 残された時間が少ないと知った、その時。
 頭を過ぎったのは、自分の腕で息を引き取った者たちの顔だった。
 フリングスと、イオン。
 切れ切れの息の下から、それでも穏やかに言葉を紡ぎ、そして。
 自らの死を悟り受け入れた彼らは、ひどく穏やかな顔をしていた。
 少しだけ、長い旅に出る。そうとでも言い出しそうな、柔らかな。

 だけど、俺は。

 自らの手を見下ろしながら、考える。
 あの時。
 レムの搭で、己の死を覚悟した、あの時に。
 自分がそんな表情を出来ていたなどとは、到底思えなかった。
 正直言うと、あの時のことは殆ど覚えていないのだ。
 アッシュを死なせたくないと思ったのも。
 レプリカ達への謝罪の念も。
 どちらも嘘ではなく考えたことだけれど、それより何より、ただ。
 怖くて。
 死にたくなくて。

 死にたくない死にたくないと、そればかりが頭を巡っていた。
 何とか一命を取りとめて、けれど残された時間は僅かなのだと知り。
 自分が死に向かって歩いているのか、それとも死がこちらに歩み寄っているのか。
 どちらかは分からないけれど、迫り来る死の影からは逃れようはずもなく。
 ふとした瞬間に、死というものはどんなものなのか、と考えるようになっていた。……それと同時に、生きることの愛しさも。

 そういえば。
 アッシュは、どうだったのだろう。
 その死を目前で確認したわけではないけれど、何故だろう。きっとその表情は、穏やかなものであったような気がしてならないのだ。
 それはルークの希望であるのかもしれないけれど。

 今の俺は、どんな顔してるんだろうな。

 鏡も持っていない今は確かめようもないことを考え、少しだけ眦を緩ませる。
 自分が死を看取った人たちほどではなくとも。
 それでも、ほんの僅かでも、優しい表情を出来ていればと願う。

 死が、どんなものなのか。
 明確な答えは分からないまま、ここまで来てしまった。
 息を吐き、剣の柄を握る指に少しだけ力を込める。
 指の腹に、手のひらに、伝わる固い感触。
 今、生きて、ここに在るから、分かるもの。
 これがなくなるのは、分からなくなるのは、やはり少し、怖いと思う。
 けれど、不思議なことに心の中はひどく静かだった。

 優しいイオン。
 なあ、今ならお前が最期に見せた顔、それがどうしてあんなに優しげだったのか、分かる気がするんだ。
 死ぬ事が怖くないわけじゃない。
 諦めたから、でもない。
 大切な人たちとの別れは淋しいけれど、それ以上に。
 生まれてきた事、出会えた事、大事だと想えた事、そんなすべてが愛しくて仕方ない。

 哀しみも不安も凌駕するほどに、感謝と愛しさがある。
 死の間際から見た世界は、愚かで残酷で、それでも優しくて綺麗なものだった。
 それがルークが見つけた、死というもの。その答え。

 一度だけ目を伏せ、開ける。
 剣の柄を握り直し、ゆっくりと顔の前に掲げた。
 その目には迷いも逡巡もなく。
 掲げた剣を、足元へまっすぐに突き刺す。
 光が、溢れた。

 音を立てながら、辺りが崩れて行く。
 崩壊し、沈んでいく。
 けれどその振動も轟音も、ルークには届かなかった。
 ローレライの鍵から淡い光が洩れているのが分かったが、さして驚きもしなかった。

 ジェイド、覚えてるかな。
 イオンが死んだ後に、生まれ変わりの話をしてくれた事。
 ああいう、おとぎ話みたいな話をジェイドがしてくれるなんて思ってもいなかったから、すごく驚いてよく覚えてる。
 確証のない事を口にしない、がジェイドの基本姿勢だったから、余計に。
 俺は、ジェイドは何でも知ってるような気がしてたけど。
 そうじゃ、ないんだよな。
 世界は、一人の人間が理解できるほど狭くも簡単でもなくて。
 何が起こるか分からない。
 ……それなら、俺は。

 足場がなくなり、ルークの視界も徐々に沈み出した。
 ローレライの鍵からは、ルークを護るように光が放たれ続けていた。
 実際、崩れ落ちる瓦礫などはその光の内側に届くことはなく。
 膜のようになっている光のその中だけは、外とは違うゆっくりとした時間が流れているようだった。
 周囲の建造物が、大地が崩れ壊れていくのを眺めていたルークは、ふと。呼ばれたように視線を上へ向ける。
 ルークの頭上に落ちてきた、人物。
 見覚えがあり過ぎる背中に、声には出さずに唇だけを動かして呼んでいた。
 アッシュ、と。
 返る声はないと、分かっていながら。

 ややあってアッシュの体が、光の内側に入り込んできた。
 ルークは自然と手を伸ばし、その体を抱きとめる。
 自分と全く変わらない体躯のアッシュを支えることが出来るのだろうかとちらりと思ったが、光からの特殊な力の所為かほとんど重さを感じることはなかった。
 眠っているかのように瞳を閉ざすアッシュを見て、ああやっぱり、と思った。
 アッシュの面には、苦痛も無念もなかった。

 死は恐ろしいものでも忌むべきものでもなく。
 誰にでもいつか訪れるそれは、新たな旅への標のように思えた。

 なあ、アッシュ。
 俺の気のせいじゃ、なかったらさ。
 最期に言葉、くれなかったか?
 ……勝手に気のせいじゃなかったことにするけど。
 あの声が、言葉が、俺を認めてくれたものだったこと。
 自分でもびっくりするくらい、俺はそれが嬉しかった。
 恨まれ、憎まれただけじゃなかったってことが。
 ……嬉しかったんだ。

 伝わらない言葉を口に出すのは淋しくて、心の内だけでそんな事を思う。
 そうしているうちに感じた気配。それが誰のものであるかなど考える間もなくルークの目の前に光の塊のような流れのようなものが現れる。
 音素数としては己と同じ存在だからだろうか、すんなりとそれがローレライだと分かった。
 そのローレライの紡いだ言葉にも、ルークは何を返すでもなく。

 ゆっくり、目を伏せた。
 まるで微睡むだけのようなその表情は、奇しくもルークの腕で生を終えた二人と寸分違わぬ穏やかなもので。
 やがて光の奔流がルークとアッシュを包み、覆い隠した。

 世界の仕組みは、まだ解明なんてされてなくて。
 ジェイドの言ってた生まれ変わり、てのがあるのかないのかも、分からないっていうなら。
 ……それなら、俺は。俺は、ある方に賭けるよ。
 俺は、俺の大事だと想う人たちに、いつかまた、会いたいから。

 その時には、笑っていられるように。
 今は、哀しい顔をしないでおく。


 いつか、まためぐり会えますように。



END


 

 

ローレライなんとかしろよぉ!
…ってルークファンは叫んだと思う。


UPDATE 2007/10/1

 

 

 

              閉じる