13.繋いだ手と 手のようなその想いとこの想いが




 ぎゅう。と。

 音がしそうな、強い力でその手を握った。
 帰したくない。帰りたくない。
 想いが重なり合っているのが分かるから、言葉もなく手を繋いでいた。
 それしかできなかったから。

 しばらく二人、無言のままで。
 何を言うわけでも、目を合わせることもなく、ただ重なり合った気持ちと手のひらの温度とを静かに感じていた。

 沈黙を破ったのは、唐突に響き出した電子音だった。
 音の発生源は、榛名のポケットだ。
 鳴り出した音に、けれど榛名は動こうとしない。
 そんな筈はないだろうに、まるで音そのものが耳に入っていないような素振りに、隣りにいる三橋がおどおどしだした。


「はる、な さんっ」

「んー? ナニ?」

「あの、電話……」

「放っときゃいーって。どうせ家からだし」

「う、えっ」


 しれっと言い放つのに、三橋は返す言葉に詰まる。
 元々ボキャブラリーが豊富ではない上に頭の回転がよろしいとは言い難い三橋が、こんな時にすらすら喋れるはずもない。
 おたおたしている三橋がオモチャみたいだなあ、と考えて榛名は少し可笑しくなった。

 平気な顔をしている榛名とは裏腹に、三橋は電話が気になって仕方ないらしい。
 視線をうろうろと落ち着かなさげにさ迷わせ、何か言いたいのだけれど言葉が見つからないのだろう口をぱくぱくと開いたり閉じたりした。
 三橋の携帯が鳴っていて、それに出るなと言っているならまだしも。
 今鳴っているのは他ならぬ榛名の携帯で、持ち主の榛名自身が放っとけばいいと言っているというのに。
 そうこうしているうちに、電話は鳴り止んだ。


「ほら止んだ」

「で、でも」

「なんだよ、帰ってほしいのか?」

「違います、け ど」


 けど、の続きが聞きたくて、俯いた三橋の頬に触れようと榛名が指を伸ばしかけた、その時。
 先刻と変わらないメロディがまたも響き出した。
 思わず舌打ちをしかけて、それを寸での所で思い止まる。
 いっそ面白いほどにネガティブ思考な三橋には、どんな小さなマイナスの欠片も見せないでおくにこしたことはない。
 何より今の榛名は三橋に対して苛立っているわけでは、決してないのだ。

 それはそうとして、榛名はまたも携帯の呼び出しを当然の如く無視を決め込もうとしていたのだけれど。
 伸ばした指が三橋の頬に触れるより早く、三橋が俯いていた顔を上げた。
 何やら意を決したような、ついぞ見ない強い目が寄越される。
 榛名はそれにお、と僅かに驚いた。

 三橋のそういう、強い目を見るのは初めてのことではなかった。
 確かに三橋はなかなか目が合わないし、人見知りは半端ないし、その気弱さと言ったら時にいらっと来ることもあるけれど。
 それでも、弱くはないのだ。
 痛いほど真摯な目を、三橋はすることがある。


「出て くだ、さいっ」

「……んでそんなに薦めんの?」

「急用、かもしれない です」

「分ぁったよ」


 引き下がらない三橋に、負けたとばかりに肩を竦め、榛名は鳴り続ける携帯を取り出した。
 ぱちんと開いたそれに表示されているのは、予想通り自宅の文字で。
 つまんねー用件だったら即終了させてやる、と誓いつつ通話ボタンを押した。
 そうしながらも、繋いだ手はそのままで。


「もしもし?」


 三橋は榛名の声を聞きながら、視線をそろそろと繋がれた手にやった。
 体格のいい榛名の手は、三橋の手より大きい。
 包み込まれるほど、と言えば大袈裟かもしれないが、それに近いものはある。
 その手のひらは、榛名の今までを物語るように厚く固い。

 これは宝物だ。
 そんなことを思って、三橋は小さく笑う。
 嬉しそうに幸せそうに。
 電話をしている榛名が、ひっそり三橋の顔を覗っているとは知らずに。


「あー……」

「?」


 何やら唸るような声が聞こえてきて、三橋は顔を上げて榛名に視線を向けた。
 見ると、榛名は何やら電話を耳に押し当てたまま天を仰いでいた。
 どうしたのだろうかと訝しむ三橋だったが、次に榛名が言った言葉に目を丸くしてしまった。


「ワリ、ちょっともう全部ダメだ。オレ今日帰んねーわ。後輩んトコ泊まるから」


 いつもより若干早口でそう言うと、さっさと通話を終了させてしまう。
 当然ながら相手の返事など待ってはいない。
 更にそのまま、電源も切ってしまった。

 三橋はといえば、声も出ないのか口をぱくぱくさせている。
 びっくりしてます、と言われずとも伝わる表情に榛名は小さく吹き出した。


「事後承諾になっちまったけどさ。行ってもいーか?」

「え、う と」

「親御さんにはオレからちゃんと言うからさ」

「オレ、は 嬉しいですけ ど……」


 嬉しい、と口にしておきながら三橋の表情はちっとも晴れやかではない。
 正確に言えば、嬉しさと途惑いが入り混じったような複雑な顔をしていた。
 榛名はそれを見て、携帯をポケットに押し込むと空いた手で三橋の髪に触れた。
 けど、と言ったまま口篭もってしまった三橋の言葉の続きを聞きたいと思う。
 三橋は視線をうろうろさせ、今は足元を見ている。

 三橋が言いかけた言葉の続きを知りたい。
そう思いながら、けれど焦りは禁物だということを繰り返した逢瀬の中でしっかりきっちり学んでいる榛名は、決して三橋を急かすようなことをしなかった。
 なでなでと、緊張と不安を解きほぐすように三橋の頭を撫でてやる。
 暫くそうしていると、三橋の肩からふっと力が抜けるのが分かった。


「嬉しい、けど?」

「オレ、朝 早いです、から」

「ああ、んなの知ってるって。前にも聞いたし」


 なんだそんなことか、と榛名は表情を明るくした。
 元から暗くなってはいなかったのだけれど、何かもっと深刻な理由でもあるのかと思っていたから、三橋の言葉に拍子抜けしたのだ。
 朝が早いことなど重々承知。
 というより榛名も三橋と同じく野球に勤しむ高校生なのだ。朝練の為に早く起きることなど日常である。


「オレも野球やってんだぜー? 朝早いのくらい慣れてるっての」

「で、も……榛名さん、オレんとこ来たら、朝練 は?」

「あ、言い忘れてたっけか。オレんとこ明日はねーの。朝だけだけど」

「うえ?」

「だーから、レンが出るのに合わせりゃ一旦家にも帰れるしさ」


 だからへーき。
 何がどうあっての平気、なのかはよく分からないけれどもともかく榛名の中では無問題らしい。
 言い聞かせるように三橋にそう告げて、駄目押しとばかりににっこり笑ってみせる。
 むしろ言い聞かせた、というより言い包めた、と表現する方が余程正しいような気もするが、それも含めて榛名にとってはノープロブレムなのだろう。

 綺麗な顔からにかっと笑顔を向けられて、ようやく三橋の顔から不安や困惑といった類の感情がすうっと抜けた。
 どきりとするのは、こういう瞬間に三橋が見せる眼差しに、だ。
 深いような澄んでいるような、まっすぐな目。
 おどおどしているしすぐ泣くし、それでも三橋の底にある折れない芯。それを垣間見たような気分になる。
 そして榛名は、三橋のそんな表情を見るのが好きだった。


「そんじゃ、帰っか」

「はいっ」


 正確には榛名は三橋家にお邪魔するのであって、帰るのではないのだけれども。
 三橋は榛名の言葉を否定することなく思いきり頷いたし、生憎その言葉を否定するような人物はこの場には存在していなかった。
 もし誰か居たとしても、嬉しそうな三橋の表情を目の前にすれば何も言えなかっただろうが。


 手を繋いだまま歩き出す。
 元はといえば二人して握った手が離せないと思ったから、立ち止まってしまったわけで。
 榛名は何気なく、繋いだ手を見やる。

 三橋の手は榛名のそれよりずっと、小さくて薄くて、細くて白い。
 かと言って女のコのように柔らかいわけではない。
 その手には、努力の跡が色濃く残っている。
 ざらりとした手は、誰が何と言おうと心地良いものだった。

 その感触が、あたたかさが、どうしようもなく嬉しくなる。
 触れ合った場所から伝わり流れ込んでくる感情に、暖かくなるのは体温だけではない。
 心も同様だ。
 電話の最中に三橋が繋がれた手を見て笑ったのが、分かる気がした。


「榛名さ、ん?」

「んんー?」

「何か 楽しそう、ですね?」


 言う三橋こそにへ、と口元を緩めて嬉しそうにしている。
 それはこっちのセリフだろうと少し呆れながら、けれど自分も大概緩んだ顔をしているだろう自覚はあったので。


「オマエもだろ、レン」


 笑いを含んだ声音を隠そうともせずに、榛名は三橋の耳元にそう囁いてやった。
 三橋がひゃあ、と声をあげて肩を竦める。
 顔を赤くする三橋と、悪びれもせず笑っている榛名と。

 それでも、手は、繋いだまま。

 少しでも長くこの手を繋いでいられればいい。
 そう思ったのは多分、二人ともが。
 重なる手と、重なる想いと。

 そのぬくもりと重さのことを多分幸せというんだろうな、と。
 そんなことを考えたのもおそらく、二人が同時に。



END


 

 

らぶらぶばかっぷる、だー。
何がどうなってこうなっちゃったんだか。
とにもかくにもラブです。
愛は地球以下略です。


UPDATE 2005/9/6

 

 

 

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