11.同じ時代に生まれ 切ない奇跡が起きている 「浚っちまおうかな」 不意に零された言葉を聞き取ることが出来ずに、天国は剣を磨いていた手を止めて御柳の方へ顔を向けた。 御柳はベッドに腰掛け、天国を見ていた。 その表情は、普段と変わらない。……一見すると。 眇められた目に、薄く笑んだ唇。気だるげな仕草。 けれど。 その目の奥に揺らめく、静かな炎のような感情を。 天国は、確かに見た。 「……何つった?」 「んー? お前を、浚っていこっかなって」 「正気か? 冗談か?」 御柳の言葉は普段通りの響きで、その態度も表情も変わらないままで、だから判断がつきかねる。 それでも一瞬見えた、瞳に宿った炎が見間違いではないと思ったから。 天国は、茶化すことなくそう問うた。 その態度は御柳の機嫌を損ねることはなかったようで、返ってきたのは満足そうな笑み。 次いで御柳は、そのすらりとした手のひらを天国に向けて差し出した。 誘う、手。 この同じ手で数え切れないほどの女をエスコートし、また泣かせても来たのだろう。 そう思うと腹は立つ。 だが、振り払えない。自分に伸ばされている、この手を。 拒絶が出来ない、わけではなかった。 けれど天国は今まで御柳の手を拒んだことは1度もなかった。 何となく、そうしてはいけないような気がしていた。 自分の身の安全の為と、もう一つ。 御柳の為に。 どうしてこんなことを考えるのか、自分でも疑問に思うのだけれど。 今もまた、伸ばされる手を拒否できない天国は。 小さく嘆息し、手入れ途中だった剣を鞘に収めた。 立ち上がり、歩み寄り、御柳の手に自分の手を重ねる。 旅を重ねる手のひらはそれを物語るかのように固く、無数の傷跡が残る。 手だけではなく、腕も脚も体も、あちらこちらに。 だがそれは天国も同じことだ。 冒険者として世界を回る限り、傷は幾らでも増え続ける。 痛いのは嫌いだけれど、こうして残る傷はそう嫌悪するものでもなかった。 傷は男の勲章、とまでは行かずとも旅の名残のように思えて。 「怪我、また増えた気ぃすんな」 「お互い様っしょ」 「そだな」 握られた手をぐ、と引き寄せられる。 そのまま御柳の膝の上に向かい合って腰を下ろす体勢になった。 天国は決して小柄というわけではないのだが、御柳と並ぶと比べずとも分かる程には身長差がある。 何となく矜持を刺激されて、明日から牛乳毎日飲もう、などと誓ってみたりして。 そうこうしているうちに、御柳の唇が頬に押し当てられる。 久方振りのその感触がくすぐったいような、けれど暖かくて落ち着くような気分で天国はふっと笑った。 どうしてだか分からないけど、俺はやっぱりコイツが好きなんだよな。 なんてことを内心で考えながら。 「屑桐さんがさ」 「うん?」 天国の肩にもたれるように額をことん、と当てて、御柳が言う。 何だか疲れているような、途方に暮れた子供のような響きの声だった。 抱擁のせいで体温は伝わるのに表情は見えない。 見られたくないのだろうと思い、体勢はそのままで御柳の姿勢を倣うようにその肩に頭を乗せた。 背中に腕が回される。 ぎゅう、と閉じ込められる。 「ここ来る前、ちっと厄介な怪我したんだよ」 「うん」 「盗賊の討伐でさ。その一味自体は俺たちにしてみりゃ楽な相手で」 「うん」 「けど、連中の中に呪術士がいたんだ」 「……そりゃ、面倒だな」 呪術士。 天国も知識としてあるだけで、実際お目にかかったことはない。 魔術とはまた違う術を操るらしいと聞いている。 その素養を持つ者自体が少ない為、ある種謎に包まれた職業と称してもいいかもしれない。 呪術士に限らず、対する敵の情報が少ないということは攻撃への対処が遅れ無防備になるということだ。 そしてこの世界では、それがどれほど危険なことか。 一瞬の油断や判断ミスが命を左右する、冒険者たちは程度の差こそあれ常にそんな世界に身を置き続けている。 「相手の力量が低かったから無事に済んだけど、下手すりゃ死んでたかもしんねーって、医者に言われた」 「うん」 「……俺らは、そういう位置にいるんだって、分かってたつもりだったんだけど」 「……うん」 元々低い御柳の声が、一段と低くなる。 落とされたトーンで密やかに紡がれる声音は、静かな部屋でなければ聞き逃してしまいそうなほど。 頷きながら、天国はそろりと手を動かして。 御柳の背に、そっと腕を置いた。 強く抱きしめ返すでも、あやす様にさするでもなく。 ただ、ここにいるのだと伝えるように。 「身近に突き付けられたら、すっげーゾッとした。俺の知らないトコでお前が死ぬこともあるんだって。お前の知らないトコで俺が死ぬかもしんねーんだって」 それが、怖いと思った。 だから、このまま浚おうなんて言ってみたりした。 御柳はそう言った。 言って、天国の背を抱く力を強めた。 痛いぐらいの力に少し眉を寄せ、それでも振り払うことはしない。 向けられる想いの強さと真摯さは、ちゃんと伝わってきたから。 天国は目を伏せ、御柳が呟いていたのと同じくらいの音で言った。 「人は、いつか必ず死ぬよ。早いか遅いかだけだ。原因がどうとか、そんなん関係なくってさ。死んだって、死んじまったって、ただそれだけのことなんだよな。遺された人間にとっちゃ」 存在の喪失。 死んでしまった人間にはそこまでしかない。 全てがなくなり、希望も絶望も感じなくなる。 死後の世界というものがあるのかどうかは天国には分からないし、確立されていないものを信じ縋る気にはなれなかった。 肉体の死は、終わりでしかない。 死んだ本人にとっては。 だが、遺された者たちは違う。 己の隣りに当たり前に居た存在、それがなくなったこと。 哀しくて悔しくて誰を責めたらいいのかも分からず、永劫とも思える空虚さを感じて、それでも生き続けなければならない。 苦いものも甘いものも、全てを受け容れ存在し続けること、それが生きていることだから。 「死ぬことに怯えるなんて、俺たちみたいな奴らは当たり前に持ってる感覚だろーがよ。つーかそれがなきゃ、冒険者なんて務まらない」 「それぐらい、俺だって分かってんよ」 拗ねた子供みたいだなあ、と思う。 御柳の口調も、行動も。 そんなことを言おうものならどんな報復をされるか分かったものではないから、間違っても口には出さないでおくけれど。 まして、そんな部分を見せられるのが自分であるというのが嬉しく思える、だなんて絶対言わない。調子に乗るだろうことが火を見るより明らかだから。 苦笑しているのを悟られないようにしながら、天国は御柳の背に置かれた右手の人差し指だけをと、と動かした。 軽く優しく、楽器を奏でるような動きで。 たったそれだけの行為だけれど、御柳が気付かないわけがない。 背中に回っていた腕が、片方だけそろりと動き。 天国の髪を一房掴み、軽く引いた。 「明日のことなんて、分かるわけないだろ。俺もお前も、それは一緒だし。これだけは絶対、なんてことの方が世の中少ないもんだって。そんなの、お前だって分かってるくせに」 「分かってっけど。……分かってっから、傍にいてーって思うのも、人だろうがよ」 「……ああ、まあ、な」 御柳の言うことも、よく分かる。 自ら望んでこの世界に身を置きながら、それでも。大切な人の死に目に会えないのは、また大切な人の傍で安らかに逝けないのは、因果で哀しいものだとは思っていたから。 旅の途中でそういう人を見るたびに、やり切れない想いを抱いたのもまた、事実なのだ。 死を覚悟しながら、死に怯える。 矛盾しているけれど、そういうものなのだと思っていた。 両方があるからこそ必死に生き、死にたくないともがくのだと。 「だけど俺は、明日のことだって分からない世界の中で、お前に会えたよ」 吐き出された声は、その音は天国自身が驚くほどに静かで柔らかな響きだった。 鼓膜を揺らした己の声に、ふっと胸の内が暖かくなる。 俺はそれほどまでに、コイツが好きなのだと。 弧を描く唇の形は密着している御柳からは見えないのだろう。 それでも、ただ伝えたかった。嬉しいのだと。 会えて、知れて、想いを言葉を重ねて。 それが幸せだと思える、それがこんなにも自分を支えている。 「明日のことは分からない。それでも俺は、またお前に会えるといいなと思うし。会いたいと思うから、きっと是が非でも生にしがみつく。お前に会えたことって、それだけで俺を救ってくれてるよ」 大層な理由なんてなくていい。 好き、とか。 大切、とか。 会いたい、とか。 そういう単純で暖かいものが心の中にあるから、生きられる。 勿論、そういうものがあるから不安が消え去るかといえばそれは違う。 冷たいものも暗いものも、消えることなく心を支配し続ける。 両方があるから、人なのだと思う。 「……そんなもん、俺だってそうに決まってっしょ」 手が届かない遠くにいることなんて、しょっちゅうで。 むしろ1年の大半は顔を合わせる事も出来ない。 それは互いが互いの道を歩むが故に、仕方のないことなのだけれど。 いくら同じ空の下にいる、なんて綺麗事言ってみても、会えない寂しさは満たされることなく心のどこかに空洞を作る。 それでも。 同じ感情が、彼の人に会いたいと思わせて。それが自分を支えている。 生きる理由はそれだけではないけれど、己を支える大事な支柱なのも確かだ。 「縁さえありゃ、そんで会いたいって思ってりゃ、どうやってでもまた会えるだろ。今までだってそうだったんだから。そんなの奇跡でも何でもねーじゃん。そうだろ?」 「お前らしい言い方。バカみてーに自分を信じてやんのな」 く、と御柳が笑う。 その声がいつも通りの響きで鼓膜を揺らし、天国はそれに何だかひどく安心している自分を感じた。 立ち止まるな、なんて言わない。 そんなこと自分にも無理だから。 それでも。 御柳には、やっぱりいつでも余裕で不敵な笑みの一つでも浮かべているのが1番似合うのだと思う。 「当ったり前だろ? じゃなきゃ、何を信じろってんだよ」 「ま、お前のそーゆートコ、俺キライじゃねーわ。運なんてのは天に任せるもんじゃねーからな」 「あ、それ聞いたことある。前も言ってたよな」 「俺のポリシーなんだよ。運なんて自分の手で転がしてやるってな」 「その物言い、お前っぽい。キライじゃねーよ?」 「真似してんじゃねーよ」 あ、照れてる。 顔は見えないけれど、声でそれが分かった。 共に過ごせる時間は長くはないけれど、そういう事が分かるのが何だか嬉しかった。 肩を揺らして笑っていたら、意趣返しとばかりに御柳が肩に歯を立ててきた。 背中に回された腕が、するりと動いて背中を撫で上げる。 覚えのある動きに、目を細めた。 あの熱は、キライじゃない。 天国は首を傾けて御柳の首筋にそっとキスを贈った。 奇跡も運も、ここにはない。 在るのは互いの存在と、その熱だけ。 それがすべてで、それがいい。 御柳もきっと同じようなことを考えているのだろうと思いながら、天国は与え合う熱に意識を委ねた。 END |
長っ。甘っ。 ひたすらいちゃこいてる話です。 不安になるのは御柳の方が先かなあ、と。 43210を報告してくださった刹那さまへ捧げます。 ありがとございました!! UPDATE 2006/8/10 |