8.見えない明日に背を向けて



 子供が泣いている。
 そう思ったのは、その泣き方のせいだった。
 しゃくり上げながら、それでも泣くまいと必死に声を抑えて。
 すすり泣く声の合間に、不明瞭な呟きが紡がれている。

 声の主を突き止めようと辺りを見回したアッシュは、それが己のすぐ近くに蹲っている人影からだと気付いた。
 その姿を認めた瞬間、何とも言えない気分になる。
 これは夢か、それとも無意識に繋いだ回線なのだろうか。
 座り込み膝を抱え、その膝に顔を埋めるようにして泣いていたのはルークだった。
 アッシュのそれよりも明るい色合いの、朱金とも言える長い髪が、ルークが肩を動かす度に揺れる。

 自身のレプリカであるルークの存在は、アッシュにとって複雑なものであると言わざるを得なかった。
 自分でありながら自分でないもの。
 手を差し伸べるべきか振り払うべきか、どうすればいいのかどうしたいのか、目の前にする程に惑い、迷ってしまう。
 気に食わないと思いながらも、同一であるが故のいっそ暴力的なまでの強烈なシンパシーにも抗えない。
 舌打ちしながらも関わりを断てない、厄介な存在。

 声を潜めて泣くルークはアッシュの存在に気づいていないらしく、顔を上げようとはしない。
 痛々しくも聞こえる泣き声に、ルークは生まれて7年なのだと改めて突き付けられるような気がした。
 なまじ外見が自分と近い分だけ、いざ相対するとつい悪態に近い乱暴な言葉が口を吐いて出てしまう。
 とは言え、今更幼子に接するように態度を変えられるかと言えばそれもまた無理な話なのだが。
 第一ルークの見た目は17だ。それに対し7歳にするような態度をするのも見ていて微妙だろう。
 レプリカという存在のアンバランスさは対応が難しい。

 今だってそうだ。
 肩を揺らすルークを見下ろしながら、どうすればいいのか分からない。
 声をかけるべきか悩んで、何とはなしに繰り返される呟きを聞き取ろうと耳を澄ませようとした、その瞬間だった。
 続いていたすすり泣きが、息を呑むような音と共にぴたりと止んだ。
 こちらの存在に気付きでもしたかと考えた、アッシュの目の前で。
 ルークの体がぐらりと傾いだかと思うと、横倒しになった。

「お、い……?」

 弛緩した体が投げ出される、そう見えた瞬間。
 ルークの体は淡く光り、音もなく消えていった。
 第七音素のみで構成されているレプリカには、死体が残らない。
 始めから何もなかったかのように、消えてしまうだけ。
 ルークが乖離したらしいという事実にやや遅れて気付き、けれど何故かと訝しむ。
 消えて、いくのは。

「あれ、アッシュだ」
「……お前」

 だがそこに落とされたのは、どこか気の抜ける声だった。それも、自分を呼ぶものだ。
 聞き覚えのある、声音。
 アッシュから数歩分離れた場所できょとん、とどこか幼い表情で立っているのは今消えたはずのルークだった。
 つい今しがたまで泣いていたなどとは思えないほどに、いつも通りの表情と佇まいで。
 哀しそうな様子はおろか、頬に涙が伝ったような跡もない。
 上から下まで検分するようにルークを見やっていたアッシュは、「それ」に気づき眉を顰めていた。
 ルークの左手に握られているもの。

「何、持ってやがる」
「なにって」

 アッシュの問いに、ルークが困惑する様子を見せた。
 何故そんな分かりきった事を問うのか、と言いたげだ。
 聞かずとも見れば分かるだろう、と。
 勿論、分からないはずがない。
 ルークの左手にあるのが一振りの剣であること位、分かりすぎるほどに分かる。
 アッシュが問いたいのは、その切っ先が血に塗れているその理由だ。

 生まれてからの実年齢に引きずられるように、ルークの表情は自分のものよりかどこか幼い。
 だからこそ、その表情で血に濡れた剣を握っているというのは空寒い光景のように思えた。
 そういえば、先ほどまでアッシュ同様に長かったはずのルークの髪が、いつの間にか短くなっている。
 見慣れたはずのそれに、何故だろうか強烈な違和感を覚えた。

「何をしたか、聞いている」

 詰問する口調になってしまったが、ルークは怯えるでも慌てるでもなく僅かに首を傾げた。

「だって、うるさかったから」
「何だと?」
「しにたくないとか、ころしたくないとか、こわいとか、さ」

 膝を抱え、泣きながら繰り返していたのは、そんな言葉だったらしい。
 だが何故それをうるさいと否定し消してしまうのがルーク自身なのだろうか。
 アッシュの問いに答えるルークの顔には、辛そうな色も痛そうな様子もない。
 まるで当然のことをしたまでだ、と言わんばかりの態度だった。

「おれは、かわらないといけないから。だから、だめじゃん? そんなこといってたら、さ」
「……駄目、とは」
「おれにできること、やらなきゃ。みかぎられちゃうだろう?」

 例えばそれが、己を殺すようなことであろうとも。
 微笑しながら言い放ったルークを見ながら、アッシュは背筋が冷たくなるのを感じていた。
 ルークは言った。自分を削るのは当たり前のことだと。
 そうしなければ認めてもらえないのだ、と。

 だがそれは、生きていく上で本当に必要な決意と言えるものだろうか。
 自身を殺し、削り、果てに残るものは。
 それは、その生き方は。
 続きがないから、見えないからと明日に背を向ける、その様は。

「……どこまで……」

 呟き、思わず手でこめかみの辺りを押さえていた。
 頭が痛い。
 何故こんなにも、同じであろうとする。
 誰にも、何にも教えられてもいないのに。
 一体誰を恨み、文句を告げればいい。世界にか。
 落とした視線の先、剣の柄を握りしめるルークの手が震えているのを目に留める。
 変わらない表情。震える腕。
 如何とも形容しがたい気分が込み上げ、アッシュは思わず顔を背けていた。

「……ゆめのなか、なら。かんたんなのに、なあ……」

 独り言のような調子で、ルークが言った。
 何がだ、とはもう問えなかった。
 ルークが今までに何度、人知れず己の心を葬ってきたのか。考えると無性に気分が悪かった。
 壊したのは、壊されたのは、誰で、何だったのか。
 それすらも分からなくなっていた。

「ゆめだから、おきたらわすれるよ」

 告げられた言葉が、ルークに対してのものかアッシュに対してのものか、それとも両方に対してのものかは判断がつきかねた。
 起きたら、忘れる。
 それでも、なかった事にはならないのに。
 目覚めてまた、明日に背を向けたまま生きていくのだろうか。
 傍から見れば出来の悪い喜劇にしか見えないだろう日々を。
 互いにすれ違いながら。

「……もうすこしだけ、だから」

 ぽつり、ルークが言った。
 目を向ければ、そこに在ったのは哀しげとも諦めともつかない、曖昧な表情で。
 どういう意味だ、と問おうとした所でふと意識が遠くなった。
 目を伏せてしまったルークが一度、ふるりと首を振る。

「お、前」

 続きに何を言おうとしたのかは、アッシュ自身にもよく分からなかった。
 ただ、思ったのは。
 起きて忘れてしまうなら。残酷な世界に放り込まれるだけなら。
 いっそこのまま目が覚めなければいい、と。
 そんな事だった。
 あれ程確執し気に食わないと思い続けていた筈のルークを前にして、すんなりとそう考えていた。

 俺がいても、いなくても。
 お前は一人で、自分を殺し続けるのか。

 そう問い質したら。
 震える手に握られた剣を取り上げていたら。
 ルークは、どんな顔をしただろうか。
 無性にそれが知りたいと、そう思った。



 END


 

 

自分を殺し続ける子供のはなし。

ルークに厳しいともアッシュに厳しいとも言えそうな。
とりあえずティアさんにはサクっと。
断髪後の見限る発言からこっち、私の中でのティアは存在空気よか軽いんで。
もうね、いっそヒロインはアッシュでいいんじゃないかな(笑)
平仮名喋りのルークが、なんとなく好きでした。

UPDATE 2009/5/11(月)

 

 

 

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