7.すべてが消えうせるなら 貰った種はひどくちっぽけで。 それでも、手のひらの上でずしりと存在感を持っていた。 これは多分、生きているものの重さなのだと。何となく、そんなことを思った。 植える機会も場所もないまま、種はいつまでもルークの手元にあった。 ハンカチに包んだそれは、ポケットの中に入れてある。 ふとした時にそれを思い出し、早く何とかしないとな、と考えるのが最近の常だった。 レプリカの最期には、何も残らない。 肉体はおろか、服も持ち物も。 腕の中からイオンが消えた瞬間の事を、ルークは今でもハッキリと覚えていた。 イオンは、消えてしまった。光の粒子になって。 それは死というよりも、音素に還元していくような。 淋しくて哀しくて、何かの拍子に彼がいないということに気づいて、ぽっかりと穴が開いたような気持ちになることが幾度もあった。 己の体に訪れている、死というものを実感した時やっと生きていることをも実感した。皮肉な話だとは思うけれど。 死の事を考えると、どうしてもイオンの最期を思い出す。 自分もああして、何も残さずに消えるのだ。 彼も自分も、レプリカだから。 「早くしないと、な」 呟いて、ポケットの植えからそっとハンカチを押さえた。 小さな種は布に包まれてしまえばその感触など分からなくなっていたけれど。 今俺が消えたら、この種も一緒に消えてしまうんだろうか。 きっとそうなるだろうことを自問し、想像する。 やるせない気分が押し寄せてきて、ルークは目を伏せた。 所用でバチカルに戻った時、ルークはペールを訊ねた。 屋敷にいる時、ペールは毎日のように中庭の花を世話していた。 ルークの部屋は中庭に面していたから、顔を合わす機会も多かった。 身分だ何だと知ったこっちゃねえ、とばかりに庭師だろうがメイドだろうが気兼ねなく話しかけるルークに、屋敷の人間たちは快く言葉を返してくれていた。 執事などは身分を考えろと何度も言っていたが、ルークにはよく分からなかったしどうでもいいことだった。 狭い世界、その中で自分が発した言葉に答えが返されること。それだけが重要なことだったからだ。 そこには身分も人間性もない。 この間戻ってきた時、ペールは近い内に暇を貰うつもりだと話していた。 おそらくはグランコクマに構えられたというガイの邸へ行くのだろう。そこまで聞きはしなかったが、何となく分かった。 ペールはホドの出身でガイの剣の師だと聞いたから。 それでなくとも、ペールはガイのことを孫のように思っているのではないかと、何となく思う。 何はともあれ、まだペールが屋敷に居てくれてよかった。 草木に関しての知識なら、ルークが知る者の中で誰より長けているのがペールだからだ。 博識であるジェイドなども、もしかしたら知っていたかもしれないけれど。 それでもルークは種のことは仲間内の誰にも告げていなかった。 フローリアンから貰った、というのをアニスに知られるのは避けたかったし(嘘があまり上手くない自覚はあるので)、誰にも内緒、と言う響きが少し気に入っていた。 「お、いたいた」 先に訪ねた私室は留守で、それならきっと中庭だろうと足を向けた先にやはりペールは居た。 ルークが屋敷に軟禁されていた頃とちっとも変わらない、好々爺たる面持ちで花の植え替えをしている。 「ペール、ちょっといいか?」 「おやルーク様。おかえりなさいませ」 「ただいま。って言っても明日にはまた発つんだけどな」 「お忙しそうですな。所で、私に何か用ですか?」 促され、ルークはポケットからハンカチを出した。 きちんと折り畳まれたそれを開くと、転がる種が一粒。 目にしたペールがおや、と声をあげた。 「エタナディアの種ですな」 「見ただけで分かるんだな」 「伊達に庭師をやっておりませんでな。ルーク様、こちらをお育てになるおつもりで?」 「あ、うん。今すぐってわけじゃないんだけどさ。育て方とか、気を付けることとか聞いておこうかなと思って」 自分が花の育て方を聞く日が訪れようとは、まさか夢にも思わなかった。 何となく気恥ずかしくて、意味もなく種を指先で突付いてみたりする。 ペールは僅かに驚いたようではあったが、すぐに優しく笑って。 「エタナディアはセレニアの亜種でしてな、元が逞しいですから育てるのにそう苦労はいりますまい。気をつけると言えば水のやりすぎくらいですかな。自生する強さがあるくらいですから、2日に1度の頻度くらいで充分かと」 「うん」 「そうですな、この中庭とまでは行かずとも一日に数時間でも日の光が当たる場所ならば、問題なく花を咲かせるでしょう」 「そうなのか」 真剣な顔でペールの言葉に耳を傾けていたルークは、この小さな種にそんな強靭な生命力があることに驚いていた。 ダアトでフローリアンが見せてくれた花は小さく可憐で、地面の低い位置で咲くその姿はどこかいじましいもののようにすら見えたのに。 生きることに貪欲で必死なのは、人や動物だけではないのだ。 だからきっと、その姿は美しいのだろう。 ルークは柔らかく笑むと、種を元のようにハンカチで包み込んだ。 「ありがとな、ペール」 「お役に立てたようなら何よりでございます」 「助かったよ。そっか、日当たりのいい場所か……」 「ルーク様、よければ鉢の用意をいたしましょうか?」 「いや、いいや。気持ちだけ貰っとく。この種貰ったの、内緒なんだ」 だから秘密な、と立てた人差し指を唇の前に持ってくる。 ペールはそれに笑って承りました、と頷いてくれた。 ポケットの中にハンカチを入れて、さてどこに植えたものかと思案しながら歩き出す。 鉢植えで育てるつもりも、屋敷で育てるつもりも始めからなかった。 この花が咲くのを自分の目で見られるかどうか、それすら危ういと思っていたから。 けれど。 自生するほどの強さを持っているのだと聞いて、何故かひどく安堵している自分が居た。 この旅の終わりに、自分はきっと消えるのだろう。 残酷な事実は、けれど憶測ではなく確かな未来として横たわっている。 それでも、きっと花は咲くだろう。 自分の手で植えた花が、自分がいなくなってからも花を咲かせていると思うと何だか無性に嬉しかった。 何も残さない自分が、それでもこの手で植えた花が世界に残る。 いや、何も残らないからこそ。 優しげな花を残していくことぐらい、許される気がした。 すべてが消えても。 花はきっと咲く。 揺れる花を思い、ルークはふっと微笑んだ。 END |
作中に出てきた花は捏造です。 エタナディア=etnadna=(反転)Andante=アンダンテ(音楽用語/歩く速さで) でした。 ネーミングセンス皆無ですいまっせん…… PLCお題「見覚えのある横顔が重なり消えた」からの派生話でした。 ルークが愛されてればいいよ、もう…! 前回も今回も特に時期は考えてません。 が、音素乖離が始まってしまっているということだけは今回でハッキリしたようです(他人事?) UPDATE 2006/08/10(木) |