5.優しい悪魔が崩れだす



  【妖の宴・烏と狐は相容れるか】


 浚われた。
 それはもう、鮮やかな手並みで。
 進路を塞ぐように止まった車は見覚えのあるもので。更に運転席から自分に向かってひらひらと手を振る男は知り合いだったものだから、挨拶の一つもしておこうかと近づいたのだ。
 そんな自分に落ち度はない。決してない、と思いたい。
 どこの誰がそのまま腕を引かれて車内に連れ込まれ、有無を言わさず車が発進するなどと予想できるだろうか。
 思えばあの時助手席の窓が中途半端に開けられていたのも罠の一つだったのだろう。
 今となってはどれもこれも結果論でしかないのだけれど。
 一連の流れはあまりにも滑らかで、警察よりも人浚いの方が向いているのではないかと本気で思った程だ。

 本当ならば強引な行為に対して文句の一つも言うのが筋なのだろう。
 だが新八は一つ溜め息を吐いただけで、シートに座り直した。
 どうせどれだけ言い募っても馬耳東風というか暖簾に腕押しというかなのは目に見えているのだ。
 それならば無駄な労力は使いたくないというのが思う処だったりする。
 この人との付き合い方も慣れたよなあ、なんて苦笑交じりに考えてみたりもして。

「で? 今日は何なんですか、沖田さん」

 運転をする横顔を見ながら、聞いてみる。
 滅多なことでは喜怒哀楽を表わさない沖田の顔は、今もやっぱり何を考えているのかよく分からなかった。
 端的にいえば無表情であるのに、造形が整っているというのは得だと思う。
 武装警察の隊長、という物騒な職に就きながらも、沖田がもてているのは知っていた。

 興味がないのか面倒なのか、引く手数多でありながらどの誘いにも乗っているのは見たことがなかったが。
 どちらなのかと問えば、きっと意地の悪そうな顔で笑うか、無視をするかのどちらかだろう。
 新八は、そのどちらでもあるのだろうと踏んでいたりする。
 女のひとは、美しいが故に魔性だから、なんて。
 告げたらまた笑われるだろうか。

「少し、付き合ってくだせェ」
「……どこにですか?」
「ナイショでさァ」

 人差し指を立てて口元に持っていきながら、沖田が少しだけ目を眇める。
 ちらりと寄こされた視線は楽しそうで、追及する気がなくなっていくのを感じた。
 言っても教えてくれないだろう、というのが半分。
 もう半分は、沖田が自分に何を見せてくれるのかへの期待だった。
 ああもう、まったくこの人は。

「……狐の扱い、慣れてきてるじゃないですか」
「そりゃ、俺もこれで存外、必死なんでねィ」

 嘘ばっかりだ。
 そんな平然とした顔で言われたって、ちっとも信じられるわけないでしょうが。
 内心でぼやく。
 運転中だから当然なのだが、沖田は前を向いていて。
 だからこそ新八は気兼ねなくその横顔を眺めていられた。
 その視線がこちらを向かないことが、なんだか少しだけ淋しく感じられたけれど。
 気付かないフリで、やり過ごした。




「着きやしたぜィ」
「……何かあるんですか、ここ」

 沖田が車を止めたのは、どこだかは分からないが山の上だった。
 車でそこそこ走ったから、結構遠くまで来ているのだろう。
 生活範囲内ならともかく車での移動など殆どない新八には、今いる場所がどの辺りなのか見当もつかなかった。
 加えて日も落ち辺りが暗いとなれば、土地勘のない場所がどこなのかなど分かりようはずもない。
 建物があるわけでもない、何故沖田は自分をこんな場所まで連れてきたのだろうか。
 辺りを見回しているうちに、沖田はドアを開けて外に出てしまった。

 えーもうなんなのかなあ、僕も出なきゃダメな空気なのかなコレ。
 なんて、悩んでいると助手席側に回ってきた沖田が外からドアを開けてきた。
 手が、ぽんと肩に置かれる。

「ケガしたくなきゃ、じっとしてんだぜィ?」
「は? 何ですかいきなり」
「すぐ分からァ」
「沖田さ……って、ちょっと……!」

 肩を掴まれ引き寄せられて、抗議の声を上げようとした。
 だがそのまま膝裏に手が差し込まれ、腰の辺りに手を添えられ、感じた浮遊感に驚いている間に。
 ひゅ、と風を切る音が、した。
 次いで頬を撫でる、風。

 まさか、と慌てて下を見る。
 当たって欲しくなかった予想通りに、先程まで乗っていた車の屋根が見えた。
 車は段々と遠ざかり、まるでおもちゃのようになっていく。
 もしかしなくても、浮いている。
 いや正確に言うならば。

「何っ、考え、てんですか、沖田さんっ」

 ばさり、と羽ばたく音が耳を打った。
 詰りつつも新八は微動だにしなかった。出来るはずもない。
 何せ今の新八は、空を飛ぶ沖田に抱えられている状態なのだから。
 それも不本意ながらも俗に言うお姫様抱っこ、という姿勢で、だ。
 沖田の背に見えるのは、漆黒色の翼だ。
 烏天狗であるからには珍しくもないもの。けれど彼がそれを露わにしているのは初めてだった。

 妖であることは知っていたし疑っていたわけでもないが、目に見える形で示されたことは今まで一度もなかった。
 それは新八も一緒で、その気になれば耳も尻尾も出せるし狐の姿にだってなれるのだが、妖の特徴はひた隠しにして人間として生活を送っていた。
 妖が人間に紛れ人間として生きているのにはれっきとした理由がある。
 今や江戸を筆頭に世界中にに台頭している天人の存在だ。彼らはその圧倒的なまでの軍事力をもって、無体な真似も法外な真似も平気でやってのける。
 和平が締結した今となっては表沙汰にされないが、それ以前は人を捕えて奴隷のように捌いていたという話もある。今だって胡散臭い話題には事欠かない。
 人間でさえそうなのだから、珍しい存在である妖がどう扱われるかなど考えるまでもないだろう。
 だから、妖は天人がこの星に降り立つ以前よりもずっと慎重に巧妙に、その存在を隠すようになった。
 人目を避けて山奥に移り住むもの、人として生きるもの、その手段は様々だったが。
 そう、だから。
 こんな風に空を飛ぶ、なんて目立つ行為は本来あり得ないはずなのに。

「誰かに見られたらっ、どうするんですかっ!」
「あー、見られねェから平気でィ」

 飄々と答える沖田に、何でアンタはそう根拠のない自信で満ち溢れているんだよ、と突っ込んでやろうかと思ったが。
 不意に強く吹き付けてきた風に驚いて、思わず目を固く閉じてしまった。
 地に足が付いていないことがこんなに不安を誘うものだなんて知らなかった。

「しんぱち」

 耳元で、そっと名前を呼ばれる。
 ずるいひとだ。こんな状況下で、こんな声で、呼んでくるなんて。
 心臓が跳ねているのは、恐怖感からだ。だから、このひとはずるい。
 吊り橋効果なんて、僕は信じてないし!

「腕、首に回しとくといいぜィ。俺もその方が楽だ」

 愉しそうな声に従うのは癪だったが、不安定な体勢のままではいられずに言われるまま沖田の首に手を回す。
 ぎゅうとしがみつけば、沖田がくつくつと笑う声が耳を打つ。
 悔しい、と唇を噛んだ。
 何が悔しいかって、このドSの思い通りになってしまっていることだ。

「新八、大丈夫でさァ。今この山、結界張ってるんで」
「だからってこんな不用意な行動ってどうなんですか!」
「お前ェに見せたかったんでさァ。この、景色を」

 顎で示された方を見やる。
 そこにあったのは、街の灯りが煌めいている見事な景色だった。
 今夜は空にも雲がかかっていないためか、ちらほらと浮かぶ星とも相俟って、美しい夜景が広がっていた。

 状況も忘れて、思わず見入ってしまう。
 街中を歩いている時には溢れるネオンを気に留めることなどほとんどないというのに。
 少し離れて眺めるだけで、こうも違うものなのか。

「綺麗だろィ?」
「ええ、まあ。ていうか、沖田さんにもそういう人並みの感性があるんですね」
「ひでェ言い草だなァ。これでもまだガラスの十代ですぜ」
「そういうの自分で言うから胡散臭いんですよアンタ」

 しれっと言い放つ沖田には、言葉通りの繊細さなど見受けられない。
 少なくとも外見上では美青年のはずなのだけれど。
 何がダメかって、多分この滲み出るそこはかとないSのオーラというか何というかなのだろう。
 新八の言葉ににやりと黒さ全開で笑ってみせたりするから、ますます繊細さとは対極のように見える。

「けど、嬉しいのは本当だぜィ」
「結界まで張って、なんでしなくていい苦労をわざわざしてるんですか」
「新八と、見たかったからでィ。この景色を」
「…………」

 あ、しまった即答出来なかった。
 ツッコミとして常識人として、人の言葉には即反応するように普段から心がけているのに。
 つい言葉が出てこなかった。
 目の前で言った沖田の顔に、ひどく嬉しそうな笑みが浮かぶのを見てしまったから。

 一緒に夜景が見たいから、ただそれだけの理由で。
 わざわざ結界を張って、人を浚って、普段は決して見せることのない翼を露わにして。
 言葉だけで見るとバカなことしてるなこの人、としか思えないのに。

 言えなかった。
 年相応のような顔で笑うのを目の当たりにしては。
 その笑顔は、新八の心の柔らかい場所にふわりと触れたから。
 だから、少しだけ。

「……綺麗ですね」
「だろィ?」
「景色もですけど。沖田さんの、翼が。初めて見ました」

 ほんの少しだけ素直な気持ちを、吐露してみたりする。
 漆黒の翼。
 物語でいうところの、魔の使いのような。
 だがそれ以上に生きた力強さを感じるそれは、ただただ美しいものに見えた。

 驚いた顔をした沖田が、みるみるうちに照れと途惑い半々のような表情になっていく。
 ドSな沖田を普段見ている者からすれば、きっと驚くような。
 してやったり、と新八はくすくすと笑った。

「……っ、反則、だろィ……」
「振り回されるだけなんて性に合いませんから」
「あークソっ、浚っていきてェー」
「いや、浚われましたけどここまで」


 振り回されたのは、さてどちらか。
 結論はさておき、烏と狐の相性はこと此処においては良好であるらしい。



 end


 

 

振り回しつつ、振り回される。
そういう沖新が好物です。わんわん。

UPDATE 2010/10/31

 

 

 

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