3.汝の太陽を奪いし者




 暗い。
 月も星もない夜に、更に墨でも落としたかのような。

 誰もいない。
 何もない。

 自分の置かれた状況を探るべく辺りを見回していたアッシュは、ふと自分から少し離れた場所に誰かが立っていることに気付いた。
 暗闇の中溶けこむように、置いて行かれたかのように立ち尽くしている。
 何者なのか判断すべく凝視して、それが子供であると分かった。
 アッシュよりも大分低い背丈に、細い手足。
 視線を落とした子供の足は裸足で、それが余計に子供の孤独感を際立たせているように見えた。
 子供は、アッシュに背を向けて立ったまま身動ぎもしない。


「……オイ」


 暫く逡巡した後、アッシュは子供に向かって声をかけた。
 肩を震わせ、子供がゆっくり振り向く。
 その顔を見た瞬間、アッシュは息を呑んだ。
 幼少の頃の自分、そのものだったのだ。

 呼ばれた子供は何も言わず、表情も動かさず、ただじっとアッシュを見上げてくる。
 子供を観察する時間を得たアッシュは、子供が自分とは違うことに気付くことが出来た。
 自分よりも色素の薄い髪に瞳。

 「これ」は「レプリカ」だ。

 アッシュの居場所を奪い、ルーク・フォン・ファブレを名乗っている、レプリカ。
 けれどルークが幼子の姿をしていることで、アッシュはこれが夢なのだと悟った。
 実際のルークは自分と同じように見た目だけは17歳に成長しているのだから。

 何故こんな夢を見ているのだろう。
 溜め息の一つも吐きたい心境で考えていると、目の前に立っていたルークがふいと踵を返した。
 裸足の足が、ひたりひたりと密やかな音を立てる。


「……どこへ行く気だ」


 低く問えば、ルークは足を止めてアッシュに視線を向ける。
 相変わらずの無表情で、見慣れていない顔に別人と相対しているような気になった。
 実際これはアッシュの夢であってルーク本人ではないと分かっているのだけれど。
 不躾なまでの視線に、けれど逸らすことなく見返せばルークはゆっくりと首を振った。
 どうやら、どこへ行く気でもないらしい。

 アッシュの疑問に答えると、ルークはまた歩き出す。
 子供だから歩みは遅い。
 けれど止める気にも追いかける気にもなれず、アッシュはただその背を見送っていた。

 不思議なことに、一片の光もない闇の中なのに。何故だか離れてしまったルークの姿をアッシュの目はしっかりと捉えることが出来ていた。
 声を張り上げねば会話が出来なさそうなくらいに距離が離れた時、ふとアッシュはルークが胸元に何かを抱え込んでいるのを目にした。
 子供の小さな手で、落とさないようにとしっかり掴み抱えている。
 それが何であるかは分からない。
 分からないのに、何となく興味をそそられた。
 無視できない、とでも言おうか。


「何を持っている」


 だから、問うた。
 離れているから、先程よりも大きめの声で。
 それでも何もない空間では大きすぎる程に響いたように感じられた。
 アッシュの言葉に、ルークは足を止めないまま答えた。
 ぽつりと、落とすような声だったにも関わらず。
 その答えは、やけにハッキリとアッシュの耳に届いた。


「たいよう」


 太陽は、奪われたのだ。
 ルークレプリカによって。
 だから、この世界はこんなにも暗いのか。

 瞬時にそう理解したアッシュだったが、ルークを追ってそれを取り戻そうとは思わなかった。
 1度動き出した歯車は止められないと、そう思っていたからかもしれない。
 けれど、止められなくとも己の意思で動きを変えることは出来る。
 壊すなり、何かを挟んで止めるなり、新たな動きを加えるなり。
 そう思うから、だから。


「だいじょうぶ、だから」


 ルークの声が耳を穿った。
 大分遠くに離れてしまっているのだから、少し唇を動かしただけの声など届くはずもないというのに。
 それでも立ち止まり振り向いたルークがそう言ったのだと、何故だか分かっていた。

 大丈夫、だと。何がだ。
 訊こうとした瞬間、ルークが抱えているものが見えた。
 大事そうにその両手にしているもの。
 それは。
 太陽などでは、なかった。


「……っ、待て!」


 弾かれたように叫び、アッシュはルークの元へ駆け出すべく足を踏み出した。
 声に振り向いたルークは、これまでの無表情が嘘だったかのように穏やかに笑みを浮かべた。
 憂いも哀しみも苦しみもない、無邪気な笑顔だった。
 だが今は、それすらアッシュの焦燥を煽った。
 これが夢なのだと意識していたことも忘れていた。

 何を考えている、どうして笑える。
 そんなものを抱えて、何故。


「だいじょうぶ」


 もう少しでルークの元に辿り着ける、そんな距離まで来た時。
 ルークが再び、そんなことを言った。
 その言葉に眉を寄せた、次の瞬間。
 ルークの姿は周囲を覆う闇に塗り潰されるように、見えなくなった。

 目標を見失ったアッシュは立ち止まり、それでも諦めきれないように周囲を見渡した。
 何もない闇の中、あんなにもハッキリ見えていたはずのルークの姿はどこにもなかった。
 舌打ちしたアッシュは、握り締めた拳の中に何かが在ることに気付いた。
 つい先刻までは、何も持っていなかった筈なのに。
 そっと指を緩めると、隙間から光が洩れた。何であるかなど、すぐに分かった。

 太陽だ。
 ルークが持っていると口にしたはずの太陽が、アッシュの手の中に在った。
 何もない闇の中、望んでいた筈の光。
 それを目の前にしながら、アッシュは手の中の太陽を忌々しいものでも見るかのように見下ろしていた。

 一瞬ではあったけれど、アッシュにはルークが抱えているものが見えたのだ。
 それは太陽などではなく。
 一片の光も存在しないこの闇よりも、もっとずっと暗くて深い、全ての黄昏を注ぎ込んだかのような闇だった。
 ルークはそれを抱えて、大丈夫だと笑ったのだ。


「……屑が」


 太陽が辺りを照らし出す。
 明るくなる視界に目を眇めながら、アッシュは吐き捨てるように呟いた。
 けれど内容に反しその言葉には侮蔑も嘲笑もなく。アッシュはどこか呆然とした表情で、その場に立っているだけだった。

 ルークは消えてしまった。
 この、光と引き換えに。






 太陽を奪ったのは、誰だ?




END


 

 

これアシュルクつったら怒られるのかしらどうかしら。
夢から覚めたアッシュがどうするのか見物。
大爆発ってこんなもんだったんじゃん? と、いう話。


UPDATE 2006/08/10

 

 

 

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