8.君がぐっすり眠れるように



 違和感。
 を、覚えて、目を開けた。

 枕が替わると眠れない、なんて殊勝なことを言うような性格では生憎ないけれど。
 勘や本能、と呼べるような何かが働くことは時々ある。
 それがまさか寝ている時に訪れるとは思いもしなかったけれど。

 しかも。


「は……?」


 隣りで寝ている恋人が若返っている、なんて。
 そんな非現実…を通り越してファンタジーだろオイ、という出来事が違和感の原因だなんて、認めたくもなかったけれど。
 寝転んでいた体を起こし、ベッドの上に胡座をかいて座る。


「オイオイ…どんな特異体質なんだっつの、天国」


 決して寝起きがいいとは言い難い御柳だが、さすがに一発で眠気など吹っ飛んだ。
 呆れた様に呟きながら、眠る天国の頬を人差し指で突付く。
 目を閉じているので正確には分からないけれど、すうすうと穏やかな寝息を立てる天国は小学生くらいの外見に縮んでいた。
 成長期前だからか、腕も脚も細く、何だか頼りなげな印象を抱かせる。


「つーか、頭ン中ってどーなってんだろな」


 頭の中…というか、中身が。
 御柳の知っている天国なのか、否か。
 とりあえず天国を起こそうと肩に手を置いた所で、ふとそれに気付いた。

 中身がそのままなら、いい。
 勿論天国は自分に訪れた非常事態に騒ぐだろうけれど。
 突然こうなってしまっていた以上、戻るのもきっと突然だろうと至極楽観的に御柳は考えていたから。
 寝て起きれば元通り、ということがあるかもしれない。

 それよりも、もし天国の中身までが外見通り後退していたとしたら。
 当然の事ながら、天国は御柳を知らない。
 この当時には会ってもいないのだから、仕方のないことなのだけれど。


「んー……」


 それは、何というか。
 イヤだ。
 と、思う。

 天国の顔で、声でアンタ誰、なんて言われたら少なからずショックだ。
 立ち直れない程ではないにせよ、痛手にはなる。
 想像しただけで痛い。
 恋人が自分のことを知らない、なんて。

 天国の肩に手を置いたまま、暫し悩む。
 触れている肩は、御柳の知っている天国のものではなかった。
 細くて未発達で、力を込めれば折れてしまいそうに思える。


「つーか、俺がデケエのか」


 俺にもチビの頃があるわけだし。
 一人ごちて、思わず笑った。
 年下と関わる機会など、滅多にない。
 今更ながら自分の成長の度合いを感じる羽目になろうとは、予想だにしていなかった。
 だからこそ何故か、おかしさが込み上げた。


「飽きねーな、まったく。オマエと付き合ってっと」


 くく、と笑いが抜け切らないまま、眠る天国の髪を梳く。
 中指と人差し指とでそっと絡めるように触れた天国の髪は、御柳の知っているものと変わらずに。
 それに、何だか安堵を覚えた。


「うー……んん」

「っと」


 天国が呻きながら身じろぐ。
 起こしたかな、と思いながらも髪に触れる手を離そうともしなかった。
 天国の中身が自分の知っているものでも、知らないものでも。
 どちらでも構わないと、そう思えた。

 変わらなければ、恐らくパニックを起こして騒ぐだろう天国を宥めて。
 変わってしまって、もし自分のことを知らないと言ったのなら。
 もう一度名乗る所から始めればいい。
 そんなことを思っていた。

 それに。
 俺好みに育てんのもちっとアリだよなー、とか。思うわけでさ。

 なんて、天国が聞いたなら問答無用で殴られそうなことが頭を過ぎったりもしていたのだけれど。
 そうこうしているうちに、目元を擦りながら天国が目を開けた。
 幼げな仕草が可愛く見えて、そんなことを思った自分にまたおかしくなる。
 勿論それは天国が相手なのだからだろうと、億面もなく思ったりもするのが御柳芭唐という男なのだけれど。

 いかにも寝起きと言いたげな、ぼんやりした目をしている天国に、とりあえず笑顔を向けた。
 御柳は自分の顔の造作を知っていたし、どんな表情をすればどんな効果があるかも熟知していたから。
 ともかく今は、天国の中身がどうなっているにせよ警戒をさせないこと、安心させることが重要だろうと判断したのだ。

 笑ってみせた御柳を、天国は起き抜けのぼんやりした顔で見上げてくる。
 その無防備な表情が自分に向けられているという事実が、何だかこの上もない幸福のように思えた。
 きょとりとした天国の目と表情からは、どっちなのかは窺い知ることが出来ない。
 さあ、どうなってんだ?
 出目の分からない賽を振る時のような感覚。
 高揚と、ほんの僅かな不安と。
 そんなものを抱きながら天国の動向を見守っていた御柳だったのだが。

 突然。


「っ、ぁ、天国?」


 ぼけっとしていた天国の目から、涙が零れた。
 あまりに前触れのないそれに、思わず焦る。
 ストレートでも変化球でもない、消える魔球でも投げられたような。
 予想外の展開に慌てていると、天国が手を伸ばしてくる。

 細い指が物言いたげに目の前に晒されるのに、反射的にその手を掴んでいた。
 天国が、絡められた手をぎゅっと握り返してくる。
 痛いほどの必死な力で。
 それに、顔には出さなかったものの思わず怯んだ。
 握る指の強さ、その所為ではなく。その指の熱さにだ。

 離したくない、離さないでほしい。
 そんな想いが、縋る指先に込められていた。
 微かに震える指が痛々しくて、想いを返すかのように握った手に力を込める。
 そっと、けれどぎゅっと。
 御柳の温度に安堵したのか、ようやく天国が表情を緩ませた。
 ふにゃり、と目もとが緩み笑顔になる。


「…にぃ、ちゃ」

「……天国?」


 笑んだ天国の唇がわずかに動く。
 そこから発せられた掠れた声が耳を穿った。
 吐息のように洩れた言葉。小さく、それでも確かに誰かを呼ぶ声。
 呼んだその後、更に天国の唇が形作った言葉を見逃す御柳ではない。
 音にされなかった、声。想い。
 それでも尚握られたままの指先に、その想いは溢れている。

 行かないで。

 天国の持つ明るさもひたむきさも、嘘じゃない。そんなの分かっている。
 けれど。
 淋しさも苦しさも、人と同じように感じているのだ。
 周囲に、どんな顔を見せていようとも。

 むしろ、周囲に明るさを振り撒いているからこそ、抱え込んだ苦しさはもっとずっと痛いものかもしれない。
 それを表に出せないから。
 痛みも苦さも、全部抱え込んで、顔を上げて。
 無理矢理飲み込んだ苦さに顔をしかめて、時に涙するのは。
 こうして、夢の間際だけ、なのだろうか。


「ここに、いっから」


 天国の髪を撫でながら、言ってやる。
 ついぞ発しないような優しい声で。
 夢の狭間で涙する天国が、安堵しぐっすり眠れるように。

 御柳の声に、天国はゆるゆると目を伏せた。
 眦に溜まっていた涙が、音もなく頬を伝い落ちる。
 それを指の先で拭うと御柳は天国の横に体を投げ出した。

 泣かなくていい。
 俺はここにいる。

 そう、声に出して言う代わりに細い体を引き寄せると、難なく腕の中に収まった。
 小さな手と指は、御柳の手をぎゅうと握ったままだ。
 程なくして聞こえてきた規則正しい寝息に、御柳もまた眠気を誘われる。
 ふわりと背中を包まれるような倦怠感に、くあ、と欠伸を一つした。

 これからどうするか、とか。
 考えなければならないことは色々あると、分かっているのだけれど。
 腕の中の天国は安心しきったように身を預けているし。
 明日のことは明日悩めばいいか、と。
 割り切るというよりも投げ出すようにそんなことを考えて、訪れた睡魔に身を任せるべく目を伏せた。

 兄だと思われているのは、ちょっとどころではなく不本意だ。
 癪に障るにも程がある。
 ……けれど。
 それで今の天国は安心して眠れるというのなら、今は我慢しようと思う。
 あんな風に痛みも哀しみも押し殺したように、ただ涙を流すだけだなんて。
 見ている方がずっと苦しいし、心臓にも悪いことこの上ない。


「そやって、ずっと生きてきたんかよ。オマエ」


 そんな素振り、欠片も見せていないのに。
 何だか無性に悔しくなって、御柳は天国の背を抱く手に力を込めた。
 それでも、眠っている天国を起こさないように力加減だけは見誤らない辺りが流石というか、何というか。


「俺が、いるっしょ」


 呟いた言葉に、天国が少し身じろいで。
 握ったままの手に、少しだけ。
 ほんの少しだけ、だけれども力が込められた。
 そんな気が、した。







「あ、戻ってら」


 目覚めた第一声は、それだった。
 腕の中の天国は、御柳の見知った姿で。
 一瞬、よく出来た夢でも見ていたのかとも思ったのだけれど。
 明確な理由も根拠もないのに、何故だかあれは現実だったのだと確信にも近い考えを抱いていた。

 細い肩も、指も。
 伸ばされた手も、零れた涙も。
 俺が居るから、と強く思ったことも。
 どれも、夢で済ませるにはあまりに強烈に記憶に刻まれていたから。

 何故あんなことが起こったのか。
 理由は分からないし、それを解明しようとする気すら起きない。
 今、こうして。
 御柳はここにいるし、隣りに天国がいる。
 だから、それでいい。


「俺がイチバンだろーしな」


 オマエのことここまで好きな奴。
 だから、あんな奇跡起こっちゃったんだったりして?
 笑いながら呟いて、キスを贈る。
 頬に、額に、首筋に。


「ん、うー……んだよ、みゃあ……朝っぱらから……」

「あーそうそう、それそれ」


 やっぱ天国は俺を呼んでなきゃっしょ。
 名前を呼ばれた、ただそれだけのことなのに。
 たまらなく上機嫌になった御柳は、眠たげな天国にキスを繰り返す。

 寝ぼけているのか、天国はぼんやりと御柳を見上げたままその行為を受け留めている。
 いつもの天国なら、ウザイうるさいと突っぱねる所なのに。


「天国、まだ眠い?」

「それもあるけど、さ……」

「けど何だよ」

「……んで、起きるなりこんな機嫌いいんかなって」


 寝起きの所為というより、目覚めるなり上機嫌の御柳に対して途惑っていたらしい。
 きょとんとした寝ぼけ顔の天国が、昨夜の顔と重なる。

 幼い顔だちで、それでも深い色の瞳。
 なあ、俺は少しでも。
 少しだけ、でも。
 オマエの痛みとか苦しみとかそういうのを、軽く出来たんかな?

 問えるはずもない問いを、胸中で呟く。
 今目の前にいる天国に言っても、知る由もないだろう。
 だから、口には出さずに。
 御柳はただ、目の前の天国に笑ってみせた。
 昨夜の天国に向けたのと同じように、作為なくただ、笑う。


「天国んこと好きだからに、決まってっしょー」


 過去に立ち戻ることなど、誰にも出来ない。
 その時に抱いた想いを取り消すことも。
 けれど、だから。
 今の自分に出来るのは。


「好きだから、一緒にいられんのが、幸せ。嬉しい。つーことっしょ」


 戻れないなら、今を、これから先を、ただ幸せに過ごすこと。
 それが何より、あの時静かに泣いていた天国に出来ることなのだろうと。
 すんなりとそんなことを思っていた。


「だいじょーぶだいじょーぶ。天国がぐっすり眠れるように、俺が隣りにいてやっからさ」



 アーユーオッケイ?
 笑いながらそう言って、再度キスを落とす。
 返された答えは。

 首に回された、腕だった。





END


 

 

世にも奇妙な物語、を目指して。

シリアス一転砂糖吐き。
ま、まとまりというものは何処。



UPDATE 2006/2/10

 

 

 

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