2.「お安い御用さ」




 どうしよう。
 姉上が船に乗ってしまった。
 なのに、僕は一人ここにいる。
 乗り損ねたのか置いていかれたのか、どちらなのかは分からないけれど。

 僕は姉上の隣りではなく、地上に立って船を見上げているだけだった。
 姉上を乗せた船は、ゆっくりと高度を上げていく。
 僕はアレに乗らなくちゃ。
 行かなくちゃ、いけないのに。
 足が動かない。
 バカみたいに突っ立って、船を見上げていることしか出来ない。


「なんだ、どしたよ。置いてかれたか?」


 声がした。
 いつの間に現れたのか、僕の隣りに人がいた。
 銀色の髪に、銀色のスクーター。
 何だかやけにだるそうな顔で、僕のことを覗き込んでくる。
 どうしてだろう、僕は全然知らないその人に対して口を開いていた。

 姉上が、行ってしまったんです。
 僕もあの船に乗らなきゃいけないのに。
 間に合わなかった、みたいです。

 行ってしまった。
 戻らない。
 話しているうちに、段々とその事実が重く圧し掛かってきた。
 視界の端がぶれて、涙が浮かんだことに気付く。
 それを手の甲で拭っていると、その人が言った。


「じゃ、連れてってやろうか?」


 軽い口調だった。
 まるで近所に散歩にでも行くかのような。
 何でもないこと、みたいに。
 飛び立ってしまった船に、連れて行くと。
 できるんだろうか。そんなことが。
 驚いて声も出ないままにその人を見ていると、にやりと笑われて。


「できるんだぜぇ? お安い御用さ」


 まるで僕の心を読んだみたいに、その人は言った。
 全然知らない人なのに、どうして。
 話す気になったんだろう。
 信じる気に、なるんだろう。

 お願いします。

 言って頭を下げた僕に、その人は手に持っていたヘルメットを被せてきた。
 多分、了承の返事代わりに。
 大きな手のひらは、暖かかった。
 でも、どうする気なんだろう。
 船は既に随分高い位置まで上がっている。


「だいじょーぶ。コレ、ジェット付いてっから」


 しっかり掴まってろよ、とその人が言って。
 ジェットってどういうことだろう、と思った瞬間。
 がくんと体に負荷がかかった。
 その後は、何がどうなったのか認識する暇も余裕も、なかった。




 飛んだとか連れてこられたとか、そんな言葉じゃ足りないような方法で、僕はともかく船に乗れた。
 何というか、あれは船に向かって特攻をかけたと言った方が正しいような気がしないでもなかったけど。
 それでも僕の力じゃどうにもならないことだったから、文句をつけることも出来ない。
 というか、頭の中がぐるんぐるん回っているみたいな今の状態じゃ、声を出すことも出来なかったのだけれど。

 ヘルメットを脱いで、くらくらする頭を押さえていると。
 ふと。
 聞き慣れた声がした。
 頭は回っているし、視界は上手く利かないしで散々な状態だったけど、それでも。
 聞き間違えようのない声だった。


「新ちゃん!」


 あねうえ。
 やっと再会出来たのに、上手く声が出なかった。
 仕方ないので苦笑って、姉上の手を握る。
 慣れ親しんだぬくもりに、思わず泣いてしまいそうになった。
 けれどここで泣くのは恥ずかしいから、どうにかこうにか耐える。

 良かった。
 また会えた。
 そうだ、あの人にお礼を言わなきゃ。
 僕をここに連れてきてくれた、銀色の人。

 ありがとうございます、姉上と会えました。
 これで一緒に父上に会いに行けます。

 頭を下げて言った僕に、その人はそわそわと目を逸らす。
 どうかしましたか、と聞くと今度は何だか困ったような顔になって。
 どんな表情をしても、目の色があまり変わらない人だなあ、とか。
 呑気に考えていると、その人は頭の後ろをかきながら言った。


「言いにくいんだけどよ……この船、落ちっから」


 何言ってんですか。
 聞き返す間もなく、ぐらりと視界が傾いだ。
 何が起きたのか分からない僕が、それでも聞き取れた声は。


「父上に会いに行くにゃあ、まーだ早いだろ。新八」


 だから船、壊したってんですか。
 無茶苦茶だなアンタ。

 それが口に出来たのかどうかは分からない。
 けれど。
 僕の言いたいことは伝わったのか、その人はにやんと笑った。
 傾く世界で認識できた、最後は。

 いつものように笑う、銀さんの顔だった。








「……ヘンな夢」


 目覚めて開口一番の言葉がこれなのもどうかと思うが、これ以上に今の心境にしっくりくるものは見つからなかった。
 欠伸をしながら体を起こす。
 眼鏡をかけて時間を確認すると、起きるには些か早かった。
 万事屋に泊まるのは久し振りだったから、気付かないうちに意識のどこかが緊張でもしていたのかもしれない。
 それこそ柄じゃないな、とは思うのだけれど。


「何であんな夢見たかな……」


 姉上に会いに、飛んでしまった船に銀さんと乗り込む。
 何となく初めてじゃないような。
 デジャヴ、というのとはまた違う感覚。
 顎に手をやり、ううーんと唸る。
 記憶の糸を手繰り寄せ手繰り寄せ。


「あ、あれか」


 昨夜のことだ。
 ドキュメンタリーを見ていた神楽が、ふと新八に聞いてきたのだ。
 新八は銀ちゃんとどうして知り合ったネ?
 と。

 その時はバイトをクビになる原因を作って、尚且つ人を犯罪者に仕立て上げようとしたんだよねこの人、なんて言ったけれど。
 (だってまあそれも事実ではあることだし)
 あの救出劇がなければ、自分は今ここにはいなかっただろう。

 でも考えてみれば。
 先刻見た夢は、あの時とほぼ同じだった。
 あの時も、ほぼ見ず知らずだった銀時に、何故か。
 理由は分からないけれど、頼る気になったのだ。
 この人なら大丈夫だと、そう思ったのだ。


「ある種の特技だよなァ、あれ」


 一見ただのやる気なさげな風貌なのに。
 どうしてだか、人を信じさせる何かを持っている。
 だから多分、自分も神楽も定春も、ここにいるのだ。

 ホントに時々だけど、カッコイイしね。
 悔しいながら。


「スクーターにジェットはないけどさ」


 呟いて、可笑しくなって。
 一人笑ってから、布団を抜け出した。
 起きるには少し早い時間だけれど、もう眠れそうになかった。
 だから今日の朝ご飯は、いつもより一品多くしよう。
 ぐっと背筋を伸ばして。


「偶には給料、お安い御用だって出してくれればもっといいんだけどね」


 叶うはずもない呟きは、朝の空気に溶かしておく。

 さあ、一日の始まりだ。



END


 

 

「ジェット付いてっから」
って言う銀さんが浮かんで書いた話。


UPDATE 2006/3/15

 

 

 

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