1.Raise your flag!!



 城の敷地に足を踏み入れるのは、二度目だった。
 だが正直、一度目の事はよく覚えていない。
 ヒルルクの死に絶望し、その死を笑った奴らへの怒りで目の前が真っ赤になっていたからだ。
 改めて間近で見上げる城は大きく、その造形は美しいものだった。

 この城には今、誰もいない。
 城の主であり、この国の王でもあった男は、家臣を引き連れ国から逃げて行ってしまった。
 人の気配がない城は、その大きさの分だけ余計に静けさが際立つ。
 綺麗だけれど、どこか淋しそうにも見えるのは。この城が、捨てられてしまったからだろうか。

 一人ぼっちは、淋しい。
 トナカイでも、人でも。
 だから、置き去りにされてしまった城が淋しくたって、ちっともおかしくない。
 そう、思う。

「チョッパー! いつまでかかってるんだい!」
「はっ、はいっ、ドクトリーヌ!」

 呼び声に我に返った。
 荷物を運んでいる途中だったのだ。
 抱えていた箱を持ち直し、城の中へ足を踏み入れる。
 ワポルはよほど慌てて逃げたのだろう。
 チョッパーとくれはがこの場所へやって来た時、城の門は大きく開け放たれたままだった。

 雪は城の中まで容赦なく入り込み、放っておけば上階の通路までも雪で埋め尽くされることは容易に想像がついた。
 雪かきをして門を閉めようかと言うチョッパーに、けれどくれはは笑ってそのままにしておきな、と告げた。
 使う予定のない部屋など、放っておけばいい、と。
 確かに二人きりでは使う部屋など限られているし、全ての部屋を管理するのは無理だろう。
 廊下を埋め尽くしている雪は多少邪魔なようにも思えたが、この国に生まれ育った者にとっては雪の中を歩くことは造作もない。

 何より。
 放っておけばいい、と言った時のくれはの口調が、いつもとほんの少しだけ違ったような気がして。
 詳しい理由は分からないままに、この城はこのままにしておくのが良いのだろうと、そう思わせた。

「ドクトリーヌ、これはどこに置く?」

 使うことに決めた部屋に入りつつ、問いかける。
 だがチョッパーの言葉に返されたのは、顔に投げつけられた布だった。

「わっ、な、なに?」
「仕事だよ。屋根にかかってる旗を外して、代わりにそいつを掲げてきな」
「う、うん、分かった」

 視界を覆う布の正体も分からないまま、ただ頷いていた。
 くれはの声には、有無を言わせぬ雰囲気があった。
 抱えていた荷物を足下に置き、もつれるように廊下に転がり出る。
 走りながら、一体何なのかと布を広げ。

 目の前に現れたドクロに、思わず足が止まっていた。
 忘れるはずもない、それ。
 ヒルルクの掲げていた旗が、チョッパーの前で揺れていた。

「……ドクター……」

 脳裏を過ぎる声。
 ドクロは信念の象徴だと言い、笑う。
 胸の奥が軋んだような気がして、慌てて首を振った。
 感傷に浸っている場合ではないのだ。まだまだ、やる事は山ほどある。

 何かを振り切るように走り、階段を駆け上がり、頂上へと辿り着く。
 窓から出て屋根へ上がると、舞い散る雪が腕にも顔にも容赦なくぶつかってきた。
 見上げた先では、ドラムの国旗が風を受けながら翻っている。
 けれど今や、その国旗は意味をなさない。王の消えたこの国には、名前すらない。

 チョッパーはゆっくりと旗に近づくと、結び目に手をかけた。
 まずは下の結び目を解き、次に上を解く。
 固く結ばれていたはずなのに、やけにあっさりと解けた。まるで、王の消えた国を暗示しているかのように。

「……あ」

 解き終えた瞬間、強い風が吹きつけてくる。
 足場の悪い屋根の上だから、反射的に身体が緊張した。
 足に力をこめた、その時。
 風はするりと、チョッパーの手から旗を浚っていった。
 見る間に遠くなっていく旗を、なんとなく見送ってしまう。
 やがて旗は、視界から消えた。

「……うん」

 誰にともなく小さく頷き、空いたポールにヒルルクの旗を結ぶ作業に移る。
 腰に巻きつけていた旗を広げ、固く固く、結んだ。
 風に吹かれて飛ばないように。消えないように。

「……ドクター」

 おれ、ドクトリーヌに医者を教えてもらってるよ。
 判断を委ねられるようにもなったし、薬の調合だってしてる。
 まだまだ一人前だとは言われないけど。
 何かを新しく知るたびに、おれはあの頃の自分が何も知らなかったんだって気付かされる。
 知識が増える毎に、ドクターの旗を振りながら言った"万能薬になる"って言葉の難しさを思い知らされる。
 だけど、おれはあきらめねぇから。
 ドクターが旗を掲げたみたいに、おれがおれの旗を揚げる日が、いつか訪れるように。
 今は、ドクターの旗に誓うよ。

「おれ、がんばる」

 呟くような言葉は、震えてしまった。
 どうして涙が出るのか。
 哀しいのか淋しいのか、それとも悔しいのか。
 自分でもよく分からないままボロボロと涙を流しながら、ヒルルクの旗を見つめる。
 雪混じりの風を受けながら、旗はその存在を主張するように翻った。
 解ける様子はなさそうで、安堵しながら涙を拭う。

 主の消えた城。
 訪れたのは一人の魔女と、一匹の化け物。
 屋根にはためくのは、お人好しの医者が掲げたドクロ。

 まるでどこかのおとぎ話のようだと思って、チョッパーは少し笑った。


END

 

 

あの旗を結んだのはチョッパーなんだろうなあ、と。
そんで、チョッパーの結んだ旗が今でもあの城のてっぺんにあるんだろうなあ、と。
くれはは時々それを見上げているといい。


UPDATE 2010/4/23

 






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