1.正しくはないけれど 間違いじゃないきっと 盛大に泣いた翌日。 川原の風に吹かれていた事か、それとも精神的なものか直接の原因がどちらかは分からないけれどもまあともかく。 新八は、熱を出した。 万事屋…は朝電話をしても誰も出ないのは分かっているので登勢に連絡しておいた。 風邪を引いた、と言っても知恵熱のようなものだろう。 とにかく一日寝て治すしかない、そう判断して布団に潜り込んだ。 本当ならば栄養のつくものを食べるなりすればいいのだろうが、いかんせん食欲がなかった。 全く予期せぬタイミングでの発熱は、苦しいというよりもだるさが先に立ち。 何もせず、何も考えず、ただ眠りたいと思った。 先刻仕事から帰って来た妙にも事情を話し、大した事ないからと納得させた。 妙は心配そうな顔を見せてはいたものの、新八の言葉に嘘はないと分かったのだろう。今は自室で休んでいるはずだ。 「……いつも通りだった、かな」 とりあえず、は。 布団に潜ったまま、ぼそりと呟く。 聡い姉の事だから、自分に何かあったのだとは気付いているだろう。 けれど追求されることはなく、新八も普段通りに振る舞えた。 勿論、幾ら客観視しても自身を外から見ることは出来ないのだから、そう推測することしか出来ないのだけれど。 少なくとも新八の目から見て、妙も自分も何か変わったような態度も言葉もなかった。 何気ない日常。 当たり前のようなそれに、こんなにも安堵する日が来ようとは。 己の気持ちに向き合ったことで一番不安だったのは、姉に接する時の態度が変わってしまうのではないかという事だった。 けれど、その心配はどうやら杞憂に終わったらしい。 妙を前にしても、いっそ驚くほどに心は凪いだままだった。 それに安堵すると同時に、ああ本当に終わったのだと改めて思った。 始まることなく終わった恋が、ゆるゆると溶け、消えていく。 この熱はきっと、その名残だ。 そんな事を考えながら、眠りに落ちた。 からり。 襖を開ける音に、目が覚めた。 部屋に足を踏み入れたのが誰か、など確認するまでもない。 何せこの広い屋敷には、二人しか住んでいないのだから。 とは言え、眠りに沈み込んでいた意識と体はすぐに動いてくれるものでもなく。 手足が重い。どうやら熱はあまり引いてはいないようだった。 体を起こすのは勿論、瞼を持ち上げる事すら億劫に思えた。 「あねうえ……?」 甘える子供のような声が出た。 様子を見に来てくれたのだろうか。足音が布団の傍に近付いてくる。 どうにかこうにか、目を開けて。 「……おきたさん?」 ぼやける視界で、それでも自分を覗き込んでいるのが姉ではないとだけは判断できた。 熱の所為で緩慢になっているのか、驚きはしたもののそれは声にも表情にも殆ど現われず。 新八はただ、そこにいるのが見間違いではないのか確認するかのように、何度か瞬きをした。 沖田は、相変わらず何を考えているのか分からない表情で、新八の顔をほぼ真上から見下ろしていた。 布団に体を横たえたまま、新八はただ沖田を見上げる。 何でこの人がここにいるんだろう。 あ、大きな湿布。やっぱり腫れたんだろうなあ、頬。 視界同様不明瞭な思考で、そんな事を思った。 「痛そうですね、それ」 「結構な力で殴られたからなァ」 定まらない思考で、ただ浮かんでくるに任せて言葉を紡いだ。 口をついて出たのは、自分でも拍子抜けするほどに平素と変わらない口調で。 そんな新八に対し、殴られた沖田は別に怒った風でも気にしている様子でもなくさらりと答えを返した。 そのまま、新八の枕元に腰を下ろす。 不法侵入者には厳しい対処をする妙が、放っておくとも思えない。 何しろ彼は件のストーカー直属の部下なのだから。 という事は、沖田をここまで通したのは妙なのだろう。 つまりそれは、沖田が至極正当な方法で、且つ妙を納得させるような態度を取ったということだ。 一体どんな顔で、何を言ってここまで来たのか。 常ならば問い質している所だが、今はただだるくて。 新八はぼんやりと、沖田の顔を見上げていた。 「姐さんなら、俺と入れ違いで出てったぜィ」 「あれ……もうそんな時間ですか」 眠りに沈み込んでいたせいで、時間感覚が麻痺しているようだった。 妙が出かけたという時はもう夕刻なのだろう。 早いなあ、と考えていると。 「……昨日の事、何も言わねえんだな」 ぽつり、沖田が口にした。 その口元が、僅かに歪む。 苦笑のようなそうでないような、曖昧な表情だった。 昨日の事。 口の中で反芻し、息を吐く。 熱の所為か、口内がひどく乾いていた。 「何を言ってほしいんですか。あなたの不躾な言葉と、僕の殴打でチャラだと思ってますが」 「……ふーん」 「だから謝りませんし、謝ってもらわなくても結構です」 虚勢ではなく、本心からそう思っていた。 昨日の今日で沖田と顔を合わせても平静でいられたのは、早くにその結論に達していたからだ。 突然の訪問には多少なりとも驚いたが、神出鬼没な沖田のことだと思えばいちいち追求しようとするのもバカらしかった。 どちらかと言えば。 沖田がわざわざ自分から昨日の事を言い出した、という事の方が予想外だった。 「俺は別に、お前ェの想いを咎めたわけじゃねえんでさァ」 「……そうなんですか」 何を言い出すんだろう、この人は。 よく分からない人だとは以前から思っていた事だが、昨日からもうずっとその不可思議さに拍車がかかっている気がする。 向けられる言葉も、表情も、行動も、総てが。 理解できるなどとは元から思っていなかったけれど、こうも翻弄されるとどうしていいか分からなくなる。 そのくせ、目が離せない。 引きずられ、呑み込まれていくような。 「人の感情に、いいも悪いもねーだろ。どんな奴のでもなァ」 呟くような声だった。 元より沖田は喜怒哀楽の激しい性質ではないけれど。 静かな声と、パッと見ただけでは何を考えているのか分からない表情と。 そのくせ覗き込んで来る目は、まっすぐに強く。 指先が痺れるような悪寒が走ったのは、きっと熱のせいばかりではなかった。 「沖田、さん?」 ひどく、喉が乾く。 水が欲しい。 砂漠で迷った旅人のように、水を欲しいと思った。 冷たいそれが乾いた喉を潤す感覚は、どれほどに心地良いだろうか。 喉の乾きを覚えたまま、途惑いがちに呼んだ声は。 己のものとは俄かに信じられないほどに、か細く掠れていた。 その声に、沖田の目がすうと細められる。 それはどこか、笑っているようにも見えた。 「正しくはなくても、間違いじゃねえんだ」 「間違いじゃ、ない?」 僕の、あの、気持ちが? 沖田が言ったのを鸚鵡返しにして、ゆっくり瞬いた。 どうしてこの人は、こんなことを言うんだろう。 疑問に思いながら、絡んだ視線を逸らせずに。 熱に浮かされるまま、ただ沖田の目を見据えていた。 夜の色をした自分とは違う、透き通る色。 心の奥底まで、見えてしまいそうだ。 そんな事を考え、自分はこの色ではなくて良かったと思う。 自分がもしこの色だったら、きっと隠し事の一つも出来なかったように思う。 それ程に。 沖田の目は、透き通った色だった。 「……なんて目、してるんでィ」 言った沖田が、ふと。 眉を寄せ、困ったような顔になった。 これまでに見たことのない表情だった。 年相応の、いや普段が普段なだけに年よりか幾分か幼く感じられるような。 初めて見るそれに驚いていると、ひらりと手が伸びてきた。 手はそのまま、新八の目元を覆う。 発熱しているからか、触れる沖田の手は心地よく感じられて。 新八は振り払うでもなく、その手を享受した。 「間違いじゃ、ねえよ。お前ェの気持ちも」 きし、と。 畳みが、軋む音。 「……俺の気持ちも、な」 「沖田さんの、ですか?」 聞き返す声に返事はなかった。 視界は未だ塞がれたまま。 見えないというのは、少なからず恐怖を覚えるものだ。 まして、沖田には昨日の今日ということもある。 それなのに。 何故か、振り払おうとは思わなかった。 「間違いじゃねえんでさァ……多分」 独り言のような呟き。 それは沖田らしからぬ、不安げなものだった。苦しいような、哀しいような。 知っている。僕は、この声を。 その響きを。 どうしてあなたが、そんな声を出すんですか。 だって、その声は。 不安なような、ひび割れているような、そんな響きの声は。 昨日の、僕が。 混乱する。 沖田の顔が見えない。 どんな顔で、この声を出しているのか。 もどかしく思い、けれど。 その声の響きこそが、新八の動きを封じる。 腕も、脚も。 何かを言うことすら出来なくなって。 「俺ァ、お前ェが好き、なんでさァ」 吐息のような声が耳に滑り込むのとほぼ同時に。 唇に触れた、熱。 昨日も触れたはずのそれは、けれどうってかわって密やかに、自信なさげなもので。 切ないぬくもりを撥ね退ける事が出来なかったのは、熱でだるい体のせいばかりでは、なかった。 静かな声とは裏腹に、嵐のような感情がすぐ傍に在るのを感じて。 新八は沖田の掌の下、その瞼をそっと下ろした。 じわり、熱が沁みて広がっていく。 それが体になのか、心になのか。 今は、分からなかった。 END |
PlCファンタジー9からの続き。 ただの沖→新に辿り着きました。 あ、あれ? 沖新じゃねえのか? あと一話。 UPDATE 2007/5/6(日) |