13.数えればきりがない





 面白いものを見せてやろう、そう言われてルークがピオニーに連れて来られた部屋。
 そこに置いてあったのは、一台のグランドピアノだった。
 何をするつもりなんだろう、考えている間にピアノの側まで招かれる。


「お前はそこな」


 とん、と肩を押されて座らされたのは、ピアノの傍らに置かれていた一人掛けの椅子だった。
 事態が理解できず、ルークは目を瞬きながら首を傾げた。


「あの……陛下?」

「どうした」

「いや、何がどうなってるのか理解できないんですが」


 問うと、ピオニーはに、と笑みを見せて。
 座ったままのルークと視線を合わせるように軽く腰を下り、ぽんと肩に手を置いてきた。
 さりげなく置かれた手が、やけに大きく感じられた。
 それは大人の、男の手だった。
 今まで触れた誰のものとも違う、と。
 何故か、そんなことを思った。

 自分より年上の、大人の手に触れるのは初めてではなかった。
 ガイも、ジェイドも。
 邸に居た頃はヴァンにだって教えを乞う時にその手に接触したことがある。
 それなのに。
 触れた手は、今までの誰とも違っていた。

 何が違うのか、具体的に説明しろと言われれば答えに窮するだろうけれど。
 ただ、違うと。
 そしてその違いが、嫌だとは感じなかった。
 ルークに理解できたのは、それぐらいのものだった。


「まぁ座ってろ。珍しいものを披露してやるから」


 言いながら笑うピオニーの顔は、何だか子供のように見えた。
 それに、そこまで言われてしまえば、珍しいもの、が何なのか気になってくる。
 ルークがこくりと頷くと、ピオニーはよし、と呟き。
 やけに優雅な動作で、ピアノの前に座った。

 座っているルークから伺えるのは、その横顔だけになる。
 その目が伏せられて、次に瞼が上がった瞬間。
 同時に、ピアノが音を奏で始めた。

 さして音楽に興味がなかったルークには、演奏されている曲が何なのかまでは分からない。
 陛下はピアノが弾けるのか、と驚き、響く音が心地良いと思うぐらいだった。
 腕前の良し悪しは分からなかったけれど、ピオニーの手は淀みなく鍵盤の上を滑っている。
 つい先刻自分の肩に置かれた手が、今は舞うように音を奏でているのが不思議な気分だった。

 白と黒の上を、踊る様に跳ねる様に。
 指が鍵盤と語らう度に、音が鳴り、空気を震わせ、絡み合い一つの楽曲になる。
 奏でられる曲は、ピオニー自信の人柄を表す様に雄大で壮麗なものだった。

 やがて曲が終わり、鍵盤から手を放すとピオニーがルークに向き直った。
 それを見て初めて、ああ曲は終わったのかと気付く。
 音楽など嗜まなかったのに、いつのまにか音の波に引き込まれていた。


「久々だったが失敗はしなかったな。どうだった、ルーク」

「俺、正直音楽とかほとんど知らないんで……何をどう言えばいいかとか、分からないんですけど。凄かった、です」

「そう言って貰えると、弾いた甲斐もあるってもんだ」

「驚きました。陛下がピアノを弾けるなんて思ってなかったんで」

「まあ、軽く嗜んだ程度だがな」


 貴族ってのは無駄が多い、などと言いながら肩を竦めて。
 その言葉に、そういえば自分にも音楽の家庭教師がどうのという話が出たりしていたのを思い出した。
 結局ルーク自身に楽器をやるような気が全くなかった為、その話が実現することはなかったのだが。
 けれど実際目の前で演奏されるのを見ると、そう悪いものでもなかったのだなと感じられた。

 普段、何気なく耳にしている音、というもの。
 誰かの声だったり、物音だったり、時には風の吹く音や、雨の時には雨音。
 大きいものから小さいものまで、数えればきりがない、目には見えない、音というもの。
 そんな風に当たり前にあるものが、形を変えればこんなにも心に響くものなのだと。
 それを知らされたような、気がしていた。


「あ、の。ありがとう、ございます」


 思うままに、謝礼を口にする。
 ルークの言葉に、ピオニーがほんの僅かに瞠目するのが見えた。
 それを見て、あ、珍しい、なんてどこか冷静に考える自分がいるのに驚嘆する。

 目の前にいるのは一国の皇帝、だ。
 キムラスカの王族に名を連ねている自分にとっては、いわば敵国の王、になるわけで。
 それがなくとも、元々自分はこの人がどこか苦手で。
 キライ、ではないのだけれどその立ち振る舞いにどこか眩しさのような苦さのようなものを感じてしまって。
 その反面、何故だか自分を気に入ってくれたのが嬉しくもあって。
 だから今日も、招かれるまま着いて来てしまったのだ。
 緊張も安堵も萎縮も憧憬も、全てが綯い交ぜになった複雑な感情を抱えて、それでも。

 訪れた沈黙に、段々と焦りが生じてくる。
 深くを考えて礼を言ったわけではなかったのだ。
 ただ、言いたくなった。
 ピアノを聞かせてくれたこと。
 自分に意識を向けてくれること。
 それが、嬉しくなって。

 どうしよう、何か続けた方がいいのか、でも俺話術なんてないし。
 ぐるぐる考え込んでいると、ふっと空気が動いた。
 和らいだ、と表現してもいいだろうか。
 見れば、ピオニーが穏やかに笑んでいた。


「音楽にはな、緊張や気持ちを解きほぐす効果があるらしい」

「そうなんですか?」

「俺も正直、半信半疑だったが。あながち間違っている話でもなさそうだな」


 お前が笑った。

 さらりと言って、ピオニーは嬉しそうにルークを手招く。
 言葉の意味をしっかり理解する前に手招かれ、ルークの意識はそちらへ傾いてしまった。


「あの?」

「少し弾いてみるといい。押せば音が出るからな、比較的楽な楽器だぞピアノってのは」

「え、でもあの、俺は音楽は……」

「誰でも最初から曲など弾けんさ。先ずは触れる所からだ」


 俺もそうだった、と笑うピオニーに、ルークは躊躇いがちに椅子から立った。
 本当にいいのかな、だってこの人皇帝なのに。
 そんなことを考えながら、一歩ずつ、ゆっくり歩く。
 ルークの座っていた椅子はピアノのすぐ傍らに置かれていたので、ピアノまでの距離は五歩もない。
 僅かな距離を縮め、ピオニーのすぐ隣りにまで歩み寄れば。


「横だ、ルーク」


 目を眇めて笑ったピオニーが、そんなことを言いながら手を差し出してきた。
 いつのまに移動したのか、ピオニーは座っていた椅子の端に座っている。
 つまりは隣りに座れ、ということか。

 驚き、声も出ずに。
 ニ、三度瞬きをしてから、ルークはピアノと、椅子と、ピオニーを順番に見た。
 差し延べられた手は、未だそのままだ。


「おいで」


 となりに、おいで。

 優しい声だった。
 彼の立場なら、来いと命ずることも出来るのに。
 それでも、おいで、と。
 伸ばされた手も、向けられる目も、投げられた声も。
 強さを持ちながら、それでも優しいものだった。

 一呼吸置いて、己の中で決心をして。
 ルークはにこりと笑うと、一声。


「はい」


 頷いて、手を伸ばした。


 好きか嫌いか、で分けるとするなら。
 俺は、この人が好き、なんだろう。


 そんなことを考えながら重ねた手は、やっぱり。
 数が多いとは言えないルークの人間関係の中の、誰とも重ならないものだった。
 大きくて暖かい。
 そして、ルークの心の内の、何とも表現し難い感情にそっと触れてくる。
 その感情が何なのかは、分からないままだったけれど。
 決してイヤな気分ではなかった。

 この手は、好きだな。

 穏やかにそう思えるぐらいには。



 それから、そう間を置かずして。
 部屋に、拙いピアノの音が響いた。




END

 

 

ルークたん、それは恋だよ!
…って話になってもた(笑)

しかし陛下がおいで、って。
子供を誑かす悪い大人みたいな雰囲気びしばしで……
もうホントごめんなさいロイヤルカップル大好きなのにー!!!

勝手にピアノ弾かせました陛下すんまっせん。
でも上流階級は楽器の一つぐらい出来ると思う。
ピアノになったのは先日行ったイトコの演奏会の影響かな。


UPDATE 2006/11/1

 

 

 

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