12.行き先は不明のままで




 紅いスカーフを繋ぎ合わせて、長い紐を作る。
 柔らかい布地はするすると指先から逃れるように揺れる。
 それを捕まえながら、繋いでいった。
 その紅は、御柳の目元に引かれたのと同じ色だ。

 天国が唯一、嬉しそうに笑った、その色。
 その紅を目にした時。嬉しそうに幸せそうに、苦しみも哀しみも知らないような目をして、天国は笑った。
 何にも、誰にも反応を示すことのなくなっていた天国が見せた、ただ一つの執着。

 選ばれた、その事実は重く。
 けれど御柳は嬉しいと思った。
 その瞬間、ただそう思えたのだ。

 天国から向けられる、無防備で痛々しい、何より誰より強い愛に。
 自分の酷さを頭では理解していながら、心は喜びに打ち震えた。
 世界から離反してしまった天国が、それでも求める唯一が自分であるということに。


「天国ー……また寝てンの?」


 2メートルほどの長さになった紐を片手に、御柳が床に寝転がる天国の顔を覗き込んだ。
 起きているのかと思ったが、どうやら本当に寝ていたらしい。
 両の瞼は閉ざされ、すうすうと穏やかな寝息を経てて天国は眠っていた。体の左を下にして、子供のように無防備なあどけない顔をして。
 御柳は天国の背中側に座り込むと、その髪をそっと梳く。

 天国は、話さなくなった。
 怒ることも、泣くこともしなくなった。
 世界は天国にとって興味の対象ではなくなってしまったらしい。
 ただ一つ、御柳の紅を覗いては。
 御柳の目元、その紅と同じ色を目にしたその時だけ。天国は、ふっと柔らかく笑うのだ。
 世界で唯一無二の宝物をみつけた、とでも言い出しそうな表情で。
 憎しみも哀しみも何も知らない、子供のような笑顔で。


 天国が壊れた理由、それは政府主催の馬鹿げたプログラムに巻き込まれたから。
 それが唯一にして全て。

 プログラム対象は十二支野球部。
 そこで何があったのか、御柳は知らない。
 けれど結果として天国はチームメイトを失い、親友を失い、両親も失った。
 詳しいことは知らないが、天国の両親はプログラム参加を告げに行った政府の役人に反乱分子と見なされて殺されたらしい。
 大方激昂して役人に掴みかかったとか、その程度のことなのだろうけれど。
 この国は大概腐っている。

 御柳が天国の元を訪れた時、天国は腐敗が始まった両親の亡骸の傍らに座り込んで呆然としていた。
 天国が失ったのは周囲の人間だけではなく。
 居場所も、自分の心も、全て奪われ、失ってしまった。
 あの忌々しいプログラムの所為で。


「オマエは俺が守ってやんよ」


 髪を梳きながら、御柳は眠る天国にそう囁いた。
 甘い、けれど何かを誓うような声音で。

 守る、だなんて。
 天国に言ったのなら、顔を真っ赤にして怒ったに違いないのだろうけれども。
 ここに居るのは、天国だけれど、天国ではないから。
 硝子玉のような目で遠くを見るのは、天国だったらありえないから。

 それでも。


「好きだ、天国」


 オマエがどうあっても。
 どうなっても。
 俺はオマエの味方でいるから。
 俺はオマエを好きでいるから。

 己の耳にも届くか届かないかの小さな声で囁く御柳の表情は、ひどく穏やかなものだった。
 この感情が間違っていると、この愛が狂っていると、誰に指摘されても構わない。
 歪んだ世界の中で、正しいものも間違ったものも風に回る風見鶏のようにくるくると翻るものだから。

 御柳は体を前に倒すと、眠る天国の頬に軽く口づけた。
 唇で触れた天国の肌は、ひんやりと冷たかった。
 その冷たさに不安を覚えて、眦や耳の下にもキスを贈る。
 首筋に触れたその時、天国がぴくりと身じろいだ。

 生きている、それに安心して御柳はふっと微笑する。
 笑いながら、手ずから作った紅い紐を天国の右手首に巻きつけた。
 天国の右手の甲には、未だ消えない疵が残っている。
 銃傷だろうその疵から痛みはとっくに消えているはずだった。だが天国は時折、弾かれたように右手を震わせる。
 それが痛みなのかもっと別の何かなのか、それは御柳には分からなかった。

 ただ、医者の話によると天国の右肩は酷く損傷しているらしい。
 野球はおろか、日常生活でも時折不便そうにしているのを見るから、右腕そのものが上手く動かせない時があるのかもしれない。
 どれもこれも、御柳の想像でしかないのだけれど。

 御柳はしゅ、と音を立てて天国の手首に紐を結びつけた。
 そうして反対端を自分の左手首に結ぶ。


「これも一つの紅い糸、か?」


 呟き、御柳は少し声をたてて笑った。
 そういえば昔、紅い紐で繋がれた男女が当て所もなく彷徨う映画があったことを思い出した。
 あの映画を気取って、行く先も決めずに旅に出るのもいいかもしれない。

 壊れているのは己か、世界か。
 そんな問いに興味はないし、答えなどどっちでもいい。
 どこにいようと、何をしていようと、明日の絶対を保障することなど誰にも何にも出来ないのだから。
 それを御柳は知っていたし、きっと天国も分かっていることだった。

 行き先は不明。
 ぽつりと呟いて、御柳は天国の横に寝転がった。
 眠る天国が身じろいで、御柳の肩に額を擦り付ける。
 触れた場所から伝わる体温が、愛しいと思った。
 大切だと思った。
 それだけで、いい。

 軋みながらも満たされていく心を感じて、御柳は静かに目を伏せた。





END



 

 


バトミス後芭猿、天国生き残りVerでした。
一緒にいるけど、どうしようもなく寂しい。
天国も御柳も、取り残されてる感じで。
単品でも読めますが、
ムック15題「5.四角い部屋の隅で 孤独に震え」からの続き物だったりします。


UPDATE 2005/11/1(火)

 

 

 

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