8.オレを繋いでいたいなら三回廻って鳴いてみろよ ぱし、と。 乾いた音がした。 一瞬遅れて、手の甲にじんと痺れるような鈍い痛みが走る。 肩に置いた手を叩き落とされた。 次いで寄越されるのは、冷たい目。 こんな目も出来るのかと、思わず息を呑んだ。 「しつこいんだよ。俺はテメェとつるむ気はねーって、何度言ったら分かるんだ?」 苛立ちと怒りに彩られたその言葉は、低く。 耳を打つその音に、御柳は背筋がぞくりとするのを感じた。 這い上がったのは、愉悦感だ。 きっと、彼のチームメイトは誰一人としてこんな表情を見たことはないに違いない。 誰も知らないものを暴くというのは、気分がいい。 それが人目を引いているものなら、尚更だ。 御柳は天国の普段がどういうものなのかは、知らない。 けれど以前の練習試合の時の様子を顧みる分には、不機嫌や苛立ちに任せて誰彼構わず当り散らすタイプではないだろうとは判断出来た。 だからこそ、面白いと思えた。 叩かれた手をひらひら振りながら、肩を竦めてみせる。 「おーこわ。平和ボケしてるお前のチームメイトが見たら腰抜かすんじゃね?」 「うるさい」 「でも俺、そーゆー顔かなり好きかも」 笑いながら言う御柳に反して、言われた天国は苦虫を噛み潰したような表情で。 何か言いたげに薄く口を開いたものの、結局何も言わずに顔を背けてしまう。 付き合ってらんねえ、とばかりに溜め息をつくのが聞こえてきて、御柳はますます面白くなって笑った。 天国はそんな御柳に構おうとはせずに、早足で歩き出す。 御柳はくっくっと喉の奥を震わせながらその後を追った。 「なあ、待てよ猿野。何でお前、その牙隠してるわけ?」 「……テメェにゃ関係ないだろ」 「気になんだから、関係あるっしょ」 「勝手に気にしてろ。答える義理はねー」 「相変わらずつれねーの。でもさあ、分かってんの?」 「っ、触るなっつって…!」 天国の隣りに追いつき、その左肩を掴む。 睨み上げる天国がその手を振り払うよりも早く、御柳はもう片方の手で天国の首筋を掴んだ。 痛みと驚きに、天国が瞠目する。 それににやりと笑ってみせて、息を吹きかけるように耳元に囁いた。 「そういう態度。すればするほど、煽られるって」 「……っ!」 低音の、有体に言えば劣情を煽るような響きの御柳の言葉に、天国が肩を震わせた。 怒りか、もっと別の理由でか、その頬がカッと赤くなる。 音がしそうな勢いで御柳を振り仰いだ天国の目には、それでも。 屈服しない、と。折れたりしない、そう言いたげな強い光が在った。 それは即ち、御柳への怒りだ。 天国が御柳に掴まれていない方の手、右手を動かすのが見えた。 やばい流石に殴られるかも、と思いつつ何だか避けるのも無粋に思えて。 瞬き一つもせずに動向をみやっていると、何故か天国が唇の端を吊り上げた。 何だよその顔。 やっぱお前も、俺とおんなじじゃん。 「いっ、なに……」 そう考え切る前に、右耳に痛みが走る。 激痛、とまではいかなかったが予想だにしていなかった痛みに、顔を顰めた。 それは、一瞬覚悟した頬へ叩き込まれる拳に比べれば、ずっと大したことない痛みだったのだけれど。 思わず洩れた声に、天国がくっと笑うのが聞こえた。 次いで、耳にふっとかけられる息。 その吐息に混じるように囁かれた言葉に。 今度は御柳が瞠目する番だった。 一瞬硬直したその隙に、天国はするりと御柳の腕を振り払っていた。 逃がした、と御柳が気付いた時にはもう既に天国は手の届かない場所へと離れていて。 からかうような、どこか小馬鹿にしたようなそんな表情を御柳に向けるとそのまま、天国は俊敏な猫のように人込みに紛れていく。 追い掛けようかとも思ったが、徒労に終わることなど目に見えていたので結局やめた。 汗をかいて不様に追いかけるのは自分のキャラじゃないと思ったから。 「あ〜あ、逃げられた」 軽い調子で呟いて、力任せに引っ掴まれた耳を指先で撫でる。 掴まれた所為か、それとももっと別の理由でか。 耳が、熱いような気がした。 囁かれた言葉が、まだ残っている。 『オレを繋いでいたいなら、三回廻って鳴いてみろよ』 天国はどんな表情で言ったのか。 見られなかったことが、無性に惜しく思えた。 きっと残酷に、それでいて酷く綺麗に笑っていたに違いないのに。 そこまで考えて、御柳はまた楽しげに笑う。 一見自分と正反対に見える天国に、何故か惹かれた理由。 ちらつかされた牙は御柳の持つそれと限りなく酷似していて、やはり直感は正しかったのだと悟った。 同時に、天国に囁かれた言葉の意味も。 高慢な響きの言葉、それは御柳へ叩きつけられた挑戦だ。 俺はテメェに堕ちたりしねーよ。 そんな声が聞こえてきそうな気がする。 「上等じゃん。俺は負ける賭けはしねーよ、猿野」 その挑戦、受けてやる。 こんなにも純粋に楽しいと思えるのは久し振りかもしれない。 笑って、御柳もまた雑踏に身を滑り込ませたのだった。 END |
何故か書きたくなってしまった、殺伐とした芭猿です。 同族嫌悪に近い感情で御柳を鬱陶しがる猿と、 自分に似ていると本能で感じとって猿に興味を抱く芭唐。 タッグを組んだら最強(最恐?)コンビ。 しかし現時点では歩み寄りならず。 芭唐の明日はどっちだ?! …ていう話だったわけです。 UPDATE 2005/6/16 |