5.四角い部屋の隅で 孤独に震え





 何故、如何やって生き延びたのか。

 天国の記憶はそれを留めてはいなかった。
 それを覚えていたからと言って何をしたわけでもないだろうが、自分が生きているということはプログラムに参加させられた他のメンバーは命を落としたということだろう。



 音は、ひどく乾いた音だった。
 それでいて軽い、こんなもんなのかと拍子抜けするような。
 銃弾は左足の腿を掠め、もう一発は右手の甲に当たった。
 誰が撃ってきたのかは分からない。
 森の木立が相手の姿を覆い隠していたから。

 その時の混乱で、親友とはぐれた。
 次の放送で、天国は親友の死を知った。
 どこで、どんな風に死んだのか。
 分からなくて恐くて哀しくて、壊れたように涙が出た。

 仲間を殺したりしない、とか。
 絶対皆で生きて帰るんだ、とか。
 思っていたのに。
 色々、考えていた、その筈なのに。
 全て押し流されてしまった。
 恐怖という、強い感情によって。

 震えながら、茂みの中に身を隠していた天国のほど近くで銃声がしたのはそんな矢先のことだった。
 銃、というよりもマシンガンだったのだろう。
 ぱららら、と音が連なっていたから。
 悲鳴と怒声が入り混じり、結構な人数で相対しているのだと思った。

 けれど天国は、ただ恐かった。
 命が奪い、奪われていくその音が。
 だから、逃げた。
 闇雲に走って逃げて、その途中でふっと体が宙に浮いた。
 崖、とも言い難い勾配を、天国の体はぽーんと落ちたのだ。
 記憶は、そこでふっつり切れていた。



 途切れた意識が復活した時には、天国は病院に収容されていた。
 状況が飲み込めない天国に、政府関係者だと名乗る男が説明してくれた。
 勝者が天国であること。
 プログラム時に負った怪我の治療の為にこの病院に運ばれたこと。
 ここは十二支高校から程近い病院であること。
 プログラム終了から三日間、天国が眠ったままだったこと。

 淡々と語る男の声を聞きながら、けれど天国にはどれもこれもが遠く思えた。
 現実感が伴わないのだ。
 プログラムの話も、自分が生きてここにいることも。
 腕や脚のあちこちに包帯が巻かれているのが目に写るのだが、それすらも遠くに感じられた。
 痛む筈なのに、そう思えない。

 男は最後に優勝おめでとう、とやはり無機質な声で告げた。
 天国はそれにきょろりと目を向けただけで、何も言わなかった。
 正確には、言えなかったのだ。
 告げられた言葉の意味は理解できるのに、それに対してどんな感情も湧きあがらない。
 泣くことも、怒ることも。
 何一つとして、天国を揺さぶることはなかった。


 病院を抜け出したのは、その日の夜だった。
 腕も脚も、まるで鉛でも仕込まれたかのように重たかった。
 政府の男が帰った後に入れ違いで訪れた医者に、天国は怪我の状況を説明された。
 医者は天国の事情を聞いているらしく、親身になって懇切丁寧に今の怪我の具合や完治するまでの期間を話してくれた。
 天国も、それに頷いた。

 けれど。
 天国の頭の中で、その情報は整理されることはなかった。
 聞いてはいた。
 一応、覚えてもいる。
 だがその意味が分からない。
 肋骨の骨折だの完治後のリハビリだの、今の天国にとってはどれも興味の対象ではなかった。

 だってさ。
 死んでった奴らには、そんなん、ないんだろ?


「着いた……」


 ふっと息を吐き、天国は笑うように目を眇めた。
 実際は決して笑ったのではないのだけれど。
 天国が訪れたのは、十二支高校だった。

 久し振りに訪れる学校の佇まいは、以前と何ら代わりがなく。
 夜も遅いからだろう、校舎にもグラウンドにも人影はない。
 けれど、今の天国にはそれが妙に寂しく感じられた。
 誰かがいたならいたで、きっと困っていただろうことは分かるのだけれど。
 何せ天国はプログラムの生き残りで、きっとその事実は学校中に知れ渡っているのだろうから。

 誰もいない。
 しんとした暗いグラウンドを見ながら、天国は呆然としていた。
 こんなにも、広かっただろうか。
 こんなにも、ここは寂しい場所だっただろうか。

 グラウンドを眺めながら、思う。
 悪い夢を見ているに過ぎないんじゃないか。
 朝日が昇って、目が覚めて、また遅刻しそうになって慌てて走って、グラウンドではいつものように皆がいて。
 それなら早く、早く早く目を覚まさなきゃ。
 遅刻したらまた埋められるし。

 じりじりとした想いで暫く待つも、夜明けも目覚めも訪れそうにない。
 天国は息を吐いて、軽く首を振った。
 どうしようもなくて、どうしたらいいのか分からなくて。
 天国はふらりと踵を返し、部室棟へと足を向けていた。



 ほどなくして部室棟に辿りつく。
 その、野球部部室前のドアの前に何かが置かれていた。
 当然のことながらここにも灯りはないので、暗い。
 遠目からでは、積まれているそれが何なのか判断することはできなかった。

 首を傾げつつ部室前に歩んでいった天国は、それが何なのかわかった瞬間瞠目していた。
 ひゅ、と空気が音を立てて喉を過ぎる。
 そこに在ったのは、野球部部室の前に積まれていたのは、無数の花束だったのだ。

 何か言いたいのに、叫んでしまいたいのに、口にするべき言葉が見つからない。
 天国は痛みに耐えるような表情で唇を強く噛んだ。
 それでも、歩みは止まらない。
 ふらついた足が、幾つかの花をぐしゃりと潰した。

 ドアの前まで辿りついた天国は、縋るようにドアノブを掴んでいた。
 当然鍵がかけられているだろうと予測していたドアは、予想に反してすんなりと開いた。
 まるで、天国の来訪を待っていたかのように。
 予想外のそれに、けれどもう驚くこともない。
 驚くことが出来るだけの心の余裕は、天国にはもう残されていなかった。

 ドアを開き、転がり込むように部室に入る。
 数歩も歩かないうちに、怪我の所為か以前より重くなってしまった左足が何かに引っ掛かった。
 がつ、と鈍い音がしてバランスを崩す。
 体勢を立て直すことも出来ず、またそうする意思も浮かばずに。
 天国はそのまま床に倒れ込んだ。


「うっ」


 おそらく怪我をした場所をぶつけたのだろう。
 体のあちこちにずんと重みを感じ、天国は呻いていた。
 低く、小さな声で。
 悲鳴など出なかった。
 痛い、とは思わなかったから。
 感じたのは、自分にかかる重力が倍になったかのような、けれどそれもどこか曖昧な感覚だった。

 そのまま暫く、天国は床に体を投げ出したまま動かずにいた。
 動けなかった。
 瞬きもせずに、天国はぼんやりと部室の空気を肌で感じることだけに専念していた。

 綺麗好きのキャプテンの影響か、男所帯の部室にしてはまあ手入れが行き届いている方だと思うけれど。それでもどこか砂っぽいというか埃っぽいと感じるのは仕方ないだろう。
 倒れ込んだ床を、そろそろと指でなぞる。
 砂が指と床の間で擦れて、じゃりじゃりと微かな音をたてた。
 いつもいつも聞いていた、音。
 過ごしていた、場所。
 なのに。

 なのになのに。
 誰もいない。
 こんな時間だから、ということだけが理由ではなく。
 誰もいない。
 鍵の開いた部室と、積まれた花束。
 突き付けられた、もう誰もいないのだという事実。

 突然。
 何の前触れもなく天国の目から涙が零れた。
 一気に蛇口を捻ったかのように、ぼとぼとと溢れ、零れる。
 唐突なそれに驚いて、天国はのろのろと体を起こした。
 涙は止まる気配もない。
 そもそも、何故泣いているのか。
 それが分からなかった。

 皆が死んだこと。
 一人生き残ったこと。
 もう野球が出来ないだろうこと。
 どれもこれも哀しいことだとは思う。
 だけれど、それは天国の心に響いていないのだ。
 頭で理解しているだけで、心まで浸透して来ない。
 現実感がない。


「はは……何で俺、泣いちゃってんの」


 乾いた声で笑って、頭を振る。
 涙がぱらぱらと散った。
 声もなく泣いて、どれくらい経った頃だろうか。
 数分だったのか、もっと長かったのか、天国には時間の感覚がないから分からなかったけれど。

 涙が止まらないまま、天国はふらりと立ち上がった。
 そのままドアの方へと向かう。
 いい加減目は暗闇に慣れていたから、今度はつまづくこともなくすんなり辿り着いた。
 ドアを開け、閉まらないように手で押さえながら身を屈める。
 天国が手を伸ばし掴んだもの、それは。

 捧げられた花束の幾つかだった。
 掴み、引き寄せ、抱える。
 花の名前なんて知らない。
 分からない。
 興味がない。
 今の天国にとっては花の種類よりも、それが死んでいった部員たちに捧げられた花であるという事実こそが重要だった。

 花束を包むビニールを引き千切るように取り去る。
 そのまま、天国はふらふらとロッカーに向かった。
 最初はやはり、この人だろう、と。


「キャプテン……お疲れさまでした」


 呟いて、ロッカーにそっと指で触れた。
 ロッカーの表面は、淋しくなるほどに冷たかった。
 天国はくしゃりと顔を歪め、頭を下げる。
 ぽたぽたと、止まることのない涙が床に落ちた。
 それから、花束の中から花を一本手に取り、ロッカーの前に置いた。

 俺は生き残った。
 何の因果か気まぐれか、逃げていただけの俺が。
 なら、別れも告げなきゃだめだろう?

 誰に、何の別れか。
 それはまだ考えたくない。
 知識として頭にはあるけれど。
 ただ、花を捧げずにはいられなかった。

 泣きながら一人一人のロッカーに手を触れ、名を呼び、花を置く。
 プログラムに参加させられた者の遺体は帰ってこないのだと聞いた。
 この場所こそが、天国にとって彼らの墓標になりうる場所だったのだ。


 長い時間をかけて、全員分のロッカーを回り終えた。
 最後、天国はぼぉっとした目で一つのロッカーに目を向けた。
 一つだけ花が置かれていない場所。
 即ち、生き残った天国自身のロッカーだった。
 幾つかの花が、まだ手の中に残っている。

 ロッカーと、手の中の花と。
 順番に見やっていた天国は、つかつかと己のロッカーの前まで歩んで行くと、おもむろにそのドアを開けた。
 出掛ける前と何ら代わらない、ロッカーの中身。
 持ち帰り損ねた英和辞書と、沢松に借りた漫画。
 畳んであるジャージの上着と、畳む暇なく突っ込んだ体操着。
 今にも日常が戻ってきそうな雰囲気に、天国は目を細めた。
 自分でも笑いたいのか泣きたいのか分からない心境で。


「……ばいばい」


 一言、呟いて残っていた花を全て。
 己のロッカーの中に、ぶち撒けるように放り投げた。
 数は多くなかったけれど、花は天国の荷物の上にぱらぱらとふりかかる。
 それがやけに綺麗で、何とも言えない気分になった。

 哀しい、というと語弊がある。
 今の天国には、どんな感情も届かないから。
 それでも、そんな天国の心を揺さぶるような。
 胸を突かれたような、それは。

 どうしようもない孤独。
 塞がりようのない空虚。

 そんな、ものだった。

 胸の内側にぽかりと穴が空いたようで、天国はふらりと壁にもたれかかった。
 癒しようもない、癒せるはずもない、孤独感に。
 カタカタと身体が震え出す。
 皆がいない。
 皆の居る場所に自分がいない。
 喪失感は、恐怖を煽った。

 震えながら頭を抱えて、ただ首を振った。
 何を否定しているのかなど、自分にも分からないまま。
 不快な音を立てて、空気が喉を通り過ぎる。
 いつの間にか、天国の息は上がっていた。
 叫びたいような気分なのに、何を叫んでいいのか分からない。
 何でもいいじゃないか、そう思うのに。


「う、ぅ………あああああああああっ!」


 ようやく、絞り出された声は。
 天国自身これが自分の声なのかとは信じられないほどの、悲哀と絶望に満ちた、悲鳴だった。
 その、ようやく出された慟哭ですら。
 誰に聞かれることもなく、夜の闇に吸い込まれた。

 後には、震えながら泣き続ける天国だけが取り残された。
 多分きっと、己自身からも。




END


 

 

久々なバトミスネタでした。
前回と違い、部活単位で召集されて。
天国さん、生き残ってます。

泣きながらロッカーに触れる天国さんの絵が浮かんで、
こんな話になりました。
芭猿展開になる続きがあったりしますが……
これだけで終わった方がいいかも?


UPDATE 2005/11/1(火)

 

 

 

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