4.生きてこの手で ノックの音。 控えめなそれだったが、意識を引き戻されるには充分過ぎるそれに、ジェイドは追っていた文字から目を離した。 「ジェイドー。いるかー?」 次いで、耳馴染んだ声。 どうぞと告げれば、ドアノブが動いてドアが開いた。 開いた隙間から顔を覗かせるようにして現れたルークは、何だか落ちつかない様子で部屋の中に入ってきた。 その手に(ルークが持つにしては)見慣れない物が乗せられているのを見て、ジェイドはほんの僅かに目を細める。 「アニスといい貴方といい、千客万来ですねえ」 個室ではありますが、執務室は一応仕事部屋なんですがね。 そう言ってみれば、ルークは気まずげに眉を寄せた。 「う、やっぱ仕事……忙しい、か?」 「忙しくないとは言えませんが、まあ予想の範疇でしたしね。部下にも出来る限りの指示はしてありましたから、まあ程々と言ったところでしょう」 「邪魔するつもりじゃなかったんだけどさ……」 「これで邪魔するつもりだったと言われたらお仕置き出来たんですけどねえ。いやあ、残念だ」 にっこり、と笑顔で言えばルークが頬を引き攣らせた。 言葉にはされなかったものの、そこにはやっぱ性格悪いお前、とでも言いたげな色が浮かんでいる。 けれどこんなやり取りはいつものことだからか、ルークもそれ以上何か言い募ろうとはせずに。(言い返した所で勝敗は見えきっているのもまあ事実なのだが) あまり弄りすぎても卑屈方向に凹むことが見えているので、揶揄もそこそこにジェイドはとりあえずルークを中へ通した。 「さて、では用件を窺いましょうか?」 「ああ、えっと……とりあえず、先にこれ」 言いながらルークがジェイドに差し出してきたのは、小さめの銀色のトレイだった。 上にはティーポットが一つ、カップが二つ、そして小さな皿の上にはサンドイッチが乗っていた。 それが即ちルークが持つにしては珍しいもの、である。 ルーク自身もそれを理解しているのか否か、何だか居心地悪そうな顔をしていた。 ともかく差し出されたそれを受け取ってやれば、あからさまにホッとした表情になる。 基本的に嘘の下手なルークだが、ポーカーなどには絶対向いていないな、と何となく考えてしまった。 思ったことが素直に顔に出すぎるのだ。 だからこそ、つい揶揄してしまったりするのだが。 「受け取っておいて何ですが、何の為の賄賂ですか? 事と次第によっては引き受けかねますが」 「わ……っ、人聞きの悪いこと言うなよな。ジェイド、ここに詰めっぱなしってことは昼まだだろうと思って……勝手に持ってきただけだっつの」 口をへの字に曲げ、視線をそらしながら言う。 いらなきゃいいよ、俺が食べるし。 などと口の中で呟くのが聞こえた。 拗ねているのを隠そうともしないのが、おかしく思えた。 もしかしたら、本人としては表に出していないつもりなのかもしれないが。 感情を隠そうとするにはルークはまだ子供すぎで、対するジェイドは酸いも甘いも噛み分けた人生経験豊富な大人だった。 「冗談です。もうそんな時間になっていましたか。有り難く頂きますよ」 「……味の保証はしねーけど」 「ということは、こちらのサンドイッチは」 「俺が作ったんだよ。悪かったな、バリエーション少なくて!」 ジェイドの言葉を皆まで言わせず、ルークがやや早口に言った。 そういえばルークの得意料理はサンドイッチだった。 ルーク自身、自分の料理の腕前を分かっているのだろう。 自分の腕前以上の無理はせず、出来ることをしてきたらしい。 自分に出来ることをやる。 その出来ることが、どれだけ小さなことであっても。 出来ることの少なさに、歯痒い思いをすることがあっても。 ルークがそう誓った瞬間を、ジェイドは知らない。 アクゼリュスが崩落し、ユリアシティで意識のないまま別れ、アラミス湧水洞で再開した時には、もうそんな決意を抱いていたように思う。 表情も言動も、それまでが嘘だったかのように変わった。 時折、物事を知らないが故の失敗もあるけれど。 ルークの変化、それが良いのか悪いのか、正直な所ジェイドにそれは分からなかった。 自身を見据え、他人の為に動くことが出来るようになった。 それだけ聞けば喜ばしいことかもしれない。 けれど。 壊れたが故に作られたもの、もあるのだと。 漠然と、そんなことを思う。 どれだけ同じ時間を過ごそうと、ルークがその身の内にどれだけの闇を、想いを抱え込んでいるかなど分かりはしないのだ。 それは、ルークだけが抱えることを許されたものなのだから。 きっと誰にも、知ることは愚か触れることさえ出来ない。 誰にでも、ジェイド自身にだって、そういうものは在る。 茶器で二人分の紅茶を注ぎながら、そんなことを考えていた。 ルークが口を開いてくれていれば、意識をそちらに集中することも出来たのだが。 どうやらジェイドが行動を終えるのを待っているようだった。 注いだ紅茶を薦めれば、ルークがいただきますと呟くような声で言う。 拗ねていた表情が、紅茶の香りを嗅いでふわりと和らいだのが見えた。 「で? まさか、これだけが用事ではないでしょう」 「う……まあ、そうなんだけど、さ」 「では、どうぞ」 にこり、笑みを向けて言えば。 それでもルークは暫し逡巡する様子を見せていた。 あー、とかうー、とか意味のない声をもらして、ようやく意を決したような顔になると、ジェイドに向かって何やら紙切れを差し出してきた。 それを受け取り、書かれた文字に目を走らせる。 書かれていたのは、とある本の題名だった。 「その本、持ってたら借してほしいんだけど」 「いいですよ。お借ししましょう」 「え、あんのか?」 「なければお断りしてますよ」 言い置き、本棚へ向かう。 そこから1冊の本を抜くと、ジェイドはまたルークの前に戻った。 あっさりと話が進んだからか、ルークはどこか呆然とした様子だった。 そんなルークの手に本を押しつけるようにして渡してやると、ありがとう、と言葉が落とされた。 素直すぎる。 彼の性格なのだろうけれど、だから騙され、からかわれるというのに。 そう思いながら、やめる気もない。 ジェイドはルークに笑いかけ。 仕掛けた罠を、発動させることにした。 「大切に扱ってくださいね。その本、絶版して久しいですから」 「絶、版?」 「ええ。市場に出回ってないんですよ、もう」 「……それ、知ってたのか?」 「さあ、どうでしょうねえ?」 うわあどうしようすっげ殴りたいというか何というかなんだけどでも本貸してもらっちゃったしそうもいかないよなあ他の2冊は確かに分かり易かったってのもあるわけだし。 頬を引き攣らせて、何かを言おうと口を開いて、けれどそれをやめて、がしがしと頭をかいて。 目の前で百面相を披露するルークの反応は、予想通りで。 堪えきれずに肩を震わせれば、脱力するようにずるずると座っていたソファに背を預けた。 「ルーク」 「……んだよ」 「お詫びに一つ、お教えしますよ」 「……何を」 「その本には続編が出てるんですよ。そちらも絶版になっていますが」 ジェイドの言葉にルークは手の中の本に目を落とす。 そうしてからまた、ジェイドに視線を向けた。 きょとりとした目は、それで、とその先を促していて。 「お望みなら、そちらもお借ししますが。どうします?」 「借してくれんなら、借りたい」 「分かりました。じゃあ、その本を読み終えたら言ってください」 「え、一緒に借してくれねえの?」 なんだよそれ、と言いたげな顔をしたルークに、ジェイドは唇の端を上げてみせた。 それを見たルークが、一瞬たじろぐ。 構わずに、言葉を続けた。 「読み終えたら、貴方が自分で返しに来なさい。ここに」 生きて、その手で。 言えない言葉を隠して、存外真剣になってしまった声音に自分でも驚いた。 ジェイドの言葉を聞いたルークは、驚いたように目を丸くして。 それから一度、ゆっくりと瞬きをした。 涼やかな色の碧が一瞬隠れ、また現れる。 向けられる視線は、迷いなくジェイドを射抜いた。 「うん。……そうする」 頷いた声も顔も、以前では決して見られなかったものだ。 あの時生き残ったルークは、深い色をした瞳で哀しい嘘を言えるようになった。 それも多分、壊れたものの変わりに作られた、もの。 「本、借りてくな。ありがとう、ジェイド」 仕事大変だろうけど、ちゃんと休めよな。 言い置いて、ルークは執務室を後にした。 去り際に向けられた、優しげでどこか痛ましい笑顔。 その横顔には誰も触れられないのだ、何故かそんな考えが頭を過ぎった。 自身の考えに首を振り、息を吐く。 ルークの持ってきたサンドイッチに手を伸ばし、口にした。 瞬間、ジェイドが珍しく瞠目する。 皿の上に乗っていたのは、ルークが得意なチキンサンドではなかった。 確認もせずに口に運んだ自分を、軍人にあるまじきことだと苦笑う。 挟まれていたのは、レタスやキュウリといった野菜類だった。 ジェイドにしてみれば、チキンよりかは食べやすい。 恐らくはルークが気を遣ったのだろう。 咀嚼しながら、ジェイドは目を伏せた。 生きてください。 面と向かってその言葉を言える日が来るのだろうか。 もし来たのだとして、それはどんな時なのだろうか。 死を前提としながら、生を望むことのどれだけ残酷か。 それでも。 「生きなさい、か……」 それでも自分は、彼の生を望むだろう。 この命がある限り、きっとずっと。 END |
何だかうっかり薄ら寒い話になってしまった…… な、ジェイルクです。言い張ります。 この話はもろ続き、てな感じですな。 ・消えかけた記憶を呼び戻す ・「ありがとう。」本当の気持ちです。 読了後の方が分かり易いかと思われます。 できればそちらもお願いシマス、てな感じで。 や、なんかも、すいませんっしたー! UPDATE 2006/9/5 |