13.もう二度と戻れないなら もう二度と戻れないから 「……ごめんな」 誰に聞き咎められることもない、呟き。 部屋に居るもう一人は、眠りの淵にいるから。 誰か、誰か誰か。 この場所を暴いて欲しい。 暴いて、俺を連れ去って欲しい。 誰の目にも触れない場所に。 誰の声も届かない場所に。 光も闇もない、そんな場所に。 俺を二度と逃がさないように、閉じ込めて欲しい。 そうしないと、死んでしまう。 俺の一番大事な人が。 でも、誰にも知られたくない。 俺はこの場所で生きながら死んでいて、それは酷く心地いい。 間違っているのだと分かっていながら、動くことも出来ない。 だって、俺はコイツが好きで。 一緒に居られる今が幸せじゃないかと問われれば。 多分、幸せだと答えられるから。 ここは墓場だ。 死んでしまった俺と。 これからここで死んでいくオマエと。 白く明るい、手を伸ばした先さえ見えない闇の中。 俺が笑う度に、俺の腕がオマエの喉を絞め上げるのが見えるみたいな気がするよ。 俺の笑顔は、きっと鎖。 それが分からない筈はないのに、どうして逃げてくれないんだろう。 俺はオマエをコロシタイわけじゃ、ないのに。 病院から抜け出し、部室で皆に別れを告げた。 その後から、天国の記憶は切れ切れだった。 断片的に、網膜が気まぐれに焼きつけた幾つかの場面を思い出せるだけだ。 それすらもどこか曖昧で、現実なのかどうかは分からない。 家に帰ったこと。 親が死んでいたこと。 涙すら流れずにいたこと。 何もする気になれずただ座り込んでいたこと。 御柳が、来たこと。 あの時何故、御柳の顔を見て笑ってしまったんだろう。 涙も枯れていたのに、どうして。 安心した。 嬉しかった。 何もかもが天国から遠ざかって行ったのに、その中で。 変わってしまった世界の中で。 御柳だけは、変わらなかったから。 だから、笑った。 笑って、しまった。 それが御柳を繋ぎとめる鎖であることなど、その時は分からずに。 曖昧な記憶の中で、何故だかその時のことだけは酷く鮮明だ。 御柳がいた、それが嬉しくて笑ったその後。 御柳は泣き出しそうな顔を、したのだ。 そうして天国を抱き寄せ、言った。震える声で。 『俺んとこ来いよ、天国』 今にしてみれば、あの時御柳は泣いていたのかもしれないと思う。 泣いたその理由までは、分からないけれど。 あの時御柳の顔を見て笑ったりしなければ。 今ここでこうして居ることはなかったのだろうか。 幾度となくそんなことを考え、その答えは見つかることはなかった。 天国にとって、世界は酷く遠いものになってしまった。 何もかもがガラスで覆われたようで、現実感がない。 右腕が時々重くなることはあるけれど、それすらどうでもよくて。 空に浮いているような白い部屋の中で、天国は外の景色と御柳だけを見て過ごす。 だって、もう、戻れない。 皆で過ごした日々に。 笑っていられた頃に。 戻れないなら、何も望まない。 戻れないから、何も望まない。 そんなことを考える自分が厭になりながら、どうすることも出来ないまま1日が終わって行く。 見捨ててくれていいのに、そう思う。 たとえば御柳が、この部屋を出て行ってそのまま戻らなくても。 きっと天国が御柳を恨むことはないだろう。 生きている人間は、死んだ人間に付き合うことはないのだ。生きているのだから。 告げたなら、御柳はどうするだろうか。 笑うか、怒るか。 それとも頷いて、二度とここへは戻らないだろうか。 そうしても、俺は御柳を恨んだりしない。 そんな権利俺にはないから。 だけど、この場所に一人にされたら。 多分、凄く…… 「ん……天国?」 呼ばれ、天国は思考を中断させる。 振り向けば、御柳が欠伸をしながらもぞもぞと起き上がる所だった。 夜が明けるにはまだ遠い時間だ。 1日うとうととまどろんでいた天国と違い、御柳が眠いのは当然のことだろう。 窓際に座り込んでいた天国は、立ち上がるとベッドサイドに寄って行った。 無防備に欠伸を繰り返す御柳は、どこか可愛い。 何となく触りたくなって、天国はベッドに膝を着くと御柳の頬に手を伸ばした。 指先が触れると、寝ぼけているのだろう御柳はふっと笑った。 一人に、されたら。 コイツに置いていかれて、一人になったら。 多分。 すごく、すごく。 「一人は、淋しいよ……」 ぽとん、と。 押し出されるように、声が洩れた。 天国の言葉はまるで水面に落ちた雫のように、波紋を広げた。静かな、夜の部屋に。 寝ぼけ眼だった御柳の目に、正気の光が戻ってくる。 そこに混じるのは、驚きと困惑だ。 「あ、まくに?」 「一人は淋しいよ、御柳」 繰り返した。 一人は、淋しい。 だから、一緒にいてほしい。 掠れた声の呟きは、天国の想像以上に淋しく響いた。 泣き疲れた子供が、親を呼ぶような声だった。 好きだから、っていうのも嘘じゃない。 俺はちゃんと、御柳が好きだ。 だけど、それよりも先に。 一人はイヤだ。 俺を俺だと分かっている人。 俺を俺だと認めてくれる人。 そういう人が、周りにいなければ。 生きていても死んでいても、同じじゃないか? 親も友達も仲間も。 全部全部なくなった俺の。 存在を認めてくれるのは、俺を生かしてくれるのは。 オマエだけなんだよ、御柳。 「何だよ、恐い夢でも見た?」 子供を宥めるように、御柳が言う。 ぽんぽん、と肩を叩かれた。 天国はそれに小さく首を振る。 御柳は首を傾げるようにして天国の目を覗き込みながら、だいじょーぶだいじょーぶ、と繰り返した。 優しい言葉は、その囁きは耳にするりと入り込む。 天国が気が抜けたようにずるずるとベッドに座り込むと、肩に触れていた御柳の手が今度は頭を撫でにきた。 すらりと長い指。 大きな手のひら。 変わらない暖かさに、また安堵するのが分かった。 「俺はお前の傍にいるよ?」 お前がイヤだって言わない限りは。 言って笑う御柳の表情は、ひどく穏やかだ。 ああ、このひとは。 いつからこんな風に、笑うようになったんだろう。 そんなことに思い当たって、急に切なくなった。 この白い箱のような部屋に来る前は。 もっとシニカルに笑っていた。そんな表情がとても似合っていた。 なのに。 俺はやっぱり、お前を殺してしまってる? 「ごめ……」 「何、なんで謝んだよ。ちょっと待てお前、泣いて……」 「ごめん、ごめん御柳、ごめんなさい」 「天国、待てよ、待てって!」 震えながら頭を抱えた。 恐くなった。 怖いと思った。 この手はきっと、血に塗れているから。 呪われてしまっているから。 だから、これからも誰かを殺し続けてしまう。 以前なら馬鹿げていると笑い飛ばしただろうそんなことを、本気で考えた。 好きなのに。 大好きなのに、それは嘘じゃないのに。 好きだと思うたびに、嘘じゃないと否定するたびに、冷静に呟く声が在る。 生きていたいだけだろう、と。 自分を自分だと認識してくれる唯一を、繋ぎとめておきたいだけだろう、と。 吐き気がする。 背骨を氷で撫で上げられたような、どうにもならない感覚。 天国は自分が泣いていることにすら気付かなかった。 泣く天国の肩を、御柳の手が包む。 「落ち着けよ、一個ずつ話してってみ? 聞いてやっから」 「俺はずるいんだよ、御柳」 「ずるい?」 天国の呟きに、御柳が怪訝そうに眉を寄せた。 逃げられないなら、話してしまえ。 全部吐き出して、全部知ったなら。 御柳は、ここから出て行ってくれるかもしれない。 本当に死んでしまう、その前に。 「お前が、俺を俺だと思ってくれるから」 「うん」 「だから、お前を俺に繋ぎ止めてる。お前は、俺に関わらなくても生きていけるのに」 「待った」 「っ、ぁ?」 言葉を止められた。 御柳は口でストップをかけただけではなく、天国の頬を挟み込むようにして止めたので驚きで思わず吐息のような声が洩れてしまった。 頬を押さえられているので言葉が出せず、天国は視線で御柳に問う。 何が待ったなのか、と。 御柳は、何故だか少し怒ったような目をしていた。 怒った? 怒っている? でも、それだけじゃない。 ほんの微かに、分からない程度に、違う感情が紛れている。 御柳はそれを隠しているのだろう、押し殺された感情が何なのかまでは天国には分からなかった。 「俺が、お前に関わらずに生きていけるって? 冗談言うなよ、俺はお前がこうなる前からもうずっとお前にハマってんのに?」 「み、ゃ?」 「お前さ、おかしいと思わないワケ? 今の、この状況を」 「何が…」 何を言われているのか分からない。 それは本当だった。 困惑した目で御柳を見る。 御柳は、何故だか苦しいような表情だった。 なんで、お前が。 そんな表情、するんだよ? 聞きたいのに言葉は喉から出て来ない。 代わりに天国は投げ出されていた腕を持ち上げて、御柳の頬に触れた。 御柳がそうしているのと同じように、御柳の頬を包むようにそっと。 触れた御柳の頬は以前と変わらず、やっぱり天国のそれよりか少し体温が低かった。 「外にも病院にも連れていかねーなんてさ、おかしいっしょ。全然思わなかった?」 「外……?」 「俺が、さ。病院なり何なり連れてって、リハビリとかそーゆーの、受けさせるのがホントなんじゃねえの?」 「でも俺は、そんなの」 「一般論は多分今俺が言ったので正しいはずだぜ? 受ける本人がどう思おうと」 ふ、と御柳が笑った。 それは先に見せた穏やかな笑みでも、以前していたようなシニカルな笑みでもなく。 諦めたような、哀しげな、見たことのない笑顔だった。 天国は思わず息を止めた。 何もかもが遠くなっていた筈の心が、さっきからもうずっとせわしない。 痛いぐらいの孤独を感じたかと思えば、今度はどうしようもない切なさを覚える。 次々に訪れる感情の波は、久々過ぎるせいか天国を混乱させた。 「お前が、段々正気になってんの、気付いてた」 「しょうき……って」 「ずっと見てたんだぜ? 分かるに決まってっしょ、それぐらい」 お前の目、日を追うごとに昏い色が薄くなってたし。 「みや、なぎ」 「俺が何思ったか、教えてやろうか」 聞きたくない、って言ったら。 お前はそれを言わないでいてくれんのかよ? そんな気ないくせに。 いつだって自分勝手なんだもんな、お前。 俺も、勝手だけど。 思ったことを声に出す前に、御柳が口を開く方が早い。 どうせ言うつもりもなかったけれど、何だか悔しい気がした。 「ずっとこんままでもいーのに、って。そう思ったよ」 頬に触れていた御柳の手が、するりと肩に落ちた。 何を言えばいいのか分からずに、何より口にする言葉も思い浮かばずに天国が黙っていると。 御柳の手が滑るように、天国の首に触れた。 長い指が喉に絡みつく。 段々とそこに力がこめられるのを、感じた。 そうしながらも天国はただ御柳の顔を見つめたまま。 だって。 俺だって、ずっと。 御柳の喉を、絞めてた。 「俺だってお前を、ここに……俺に、繋いでおきたかったんだっつの」 呟いた御柳の口元は、確かに弧を描いていた。 正気の切れたような目。 けれど、向けられるそれは何故だかひどく心地良かった。 なあ、御柳。 俺は、俺ばっかりがお前を繋ぎ止めてると思ってたけど。 お前も一緒だったんだ? じゃあ、おあいこってことか。 なーんだ。 似てんなあ、俺たち。 なあ……なあ、御柳。 俺さ、俺、やっぱり。 「お前が 好き だよ」 END |
ムックお題「四角い部屋の隅で孤独に震え」、 Cali≠gariお題「行き先は不明のままで」、 より続きです。 天国視点、芭唐視点、ときて再び天国視点。 うっかり続いております、自作お題でバトミス。 この話、最初は冒頭の天国一人称の部分だけで終わる予定だった… なんて言わなきゃバレナイ。 UPDATE 2005/11/1(火) |