10.貴方が 大嫌いです 逃げるものほど追いたくなる、とか。 好きなコほど苛めたくなる、なんて。 なんて面倒で矛盾した、男の性? 「言えよ、レン」 口調は優しく、けれどその言葉は命令形だ。 告げられた榛名の言葉に、三橋は驚いたように目を丸くする。 色素の薄い瞳は、まるで知らない言葉を耳にした子供のような色を浮かべていた。 それに向かって、榛名はにこ、と笑いかけてやる。 けれど向けられた榛名の笑顔に、三橋はいつもそうするように安堵したような、お気に入りにを抱え込んだ子供のような幸せそうな顔になることはなかった。 呆然としたまま、ただ榛名の顔を見据えている。 いつもうろうろおどおどと彷徨している視線が、珍しく榛名の顔から逸らされることなくまっすぐに向けられ続けていた。 ゆっくり、スローモーションのような動きで三橋が瞬きをする。その髪や虹彩と同様に薄い色の長めな睫毛が、上下した。 「言えんだろ、レン?」 「は、るな……さ、ん?」 「オレんこと、嫌い、って。言ってみ?」 「何……い、言えま、せんっ」 繰り返された榛名の言葉に、ようやく意味を理解できたらしい。 優しい声音で繰り返された、ひどい言葉。 それに三橋は慄き慌て、ぶんぶんと首を振った。 予想していたのと寸分違わぬ反応に、思わず笑ってしまう。 笑った榛名とは対称的に、三橋の目には涙が膜を張り始めていた。 かわいーなあ、なんて胸の内で呟きながら、三橋の髪に指を通す。 榛名のさらさらストレートとは違う、ふわふわしたくせっ毛。ふるふると小さく震えているのも相俟って、三橋の様子は小動物のように見えた。 榛名は三橋の頭を、その長い指で優しく撫でながら困ったな、と呟いた。 「榛名、さ……なん で?」 「んん? まあ軽い実験てトコかな」 「意味、が、よく……」 「分かんなくていいから。言えって」 「ム、ムリ ですっ」 三橋は頑なに首を振る。 その拍子に溜まっていた涙がほろほろと頬を伝い落ちた。 榛名は頭を撫でていた手を、すうっと頬に滑らせた。指先で、三橋の零した涙に触れる。 三橋の涙で濡れた指先は、痛いほどの熱さを訴えた。 三橋は気の強い性格ではない。 皆の前に堂々と胸を張って立つことも、率先して前を行くタイプでもない。 オマケに、高校生としては信じられないほどに涙腺が弱い。 それでも、三橋の中には決して崩れることも折れることもない芯があることも、知っていた。 榛名はまた少し笑って、三橋の頭を引き寄せた。 そのまま三橋の頭を抱え込んでしまう。 体格差のせいで、三橋は榛名の腕の中にすっぽり収まってしまうのだ。 驚いたのかスキンシップに慣れていないのか、おそらく両方だろう。引き寄せられた三橋は、呻くように喉を鳴らした。 「レン、野球が好きか?」 耳元に囁くように、問う。 抱いている肩が、ぴくっと揺れた。 少し間を置いてから、こく、と首が上下する。 ふわふわの髪が頬に触れるのが、くすぐったいと思った。 「ちゃんと、声に出せよ」 「ひっ……す、き、です」 自分の置かれている状況に対する混乱と、怯えと。 それに未だ止まらない涙の所為で震える声は、それでも好き、と口にした。 ハンパねえなあ、とおかしくなる。 同時に、その残酷なまでの潔さが好ましかった。 震える肩は細く、榛名の手のひらですっぽり覆ってしまえるほどだというのに。 「チームメイトは?」 「好き、で す」 「投げることは?」 「それ も、好き」 「じゃあ、オレは?」 「は、榛名さ、んはっ、スゴくて、カッコイイ で、す」 今三橋の顔を覗き込めば、多分きらきらしているんだろうと、何となくそう思った。 同時に、自分のしていることは、しようと思っていることはひどく子供じみていると感じる。 子供、と言いきっても差し支えないだろう三橋に、敢えて負の感情を見せつけ引き出そうとしているのだから。 何故そんなことをしようと思い立ったのか、それは自分でもよく分からない。 気が弱くて、泣き虫で、少し優しくしただけできらきらと目を輝かせる。 だけど、綺麗なだけの奴なんていない。いるわけない。 それを、証明してみたかったのかもしれない。 自分の手で。 「好きか、嫌いかで」 「へ…? 好き、です よ?」 たどたどしく告げられる言葉に、笑った。 今度は唇を歪めるだけでは済まなくて、喉からくく、と声が洩れた。 それに気付いたのだろう、三橋が抱き込まれている腕から顔を上げようと身じろいだ。 けれど榛名はそれを許さず、三橋の肩を抱く腕に力を込めた。 力の差は歴然で、第一三橋は力いっぱい誰かの手を振り払う、なんてことも出来ないのだから榛名の腕から逃れることなど出きるはずはなく。 三橋に出来たのは、慌てたように声を零すことだけだった。 「はる、なさ……っ、なに……」 「違うだろ、レン」 「あ、のっ、離し、てく……」 「教えただろ。キライって言えって」 「や、言え な……や、ですっ」 ああ、また泣き出したかな。 せっかく止まっていたんだろうに、と自分がそうさせたのに他人事のようにそんなことを考える。 三橋は、他人の目を酷く気にする。 特に嫌悪やそれに連なる感情には驚くほど敏感だ。 けれどそのくせして、向けられる好意を素直に受け容れられない。 嫌われるのを何より恐れるそのくせに、自分は疎まれて当然だと考えているふしがあるのだ。 面倒な性格だなあ、そう思わずにいられない。 好かれたなら素直に喜んで、嫌われたのなら放っておけばいいのだ。少なくとも自分ならそうするだろう。 榛名だって他人が全く気にならないわけではない。生きていくその上で、ある程度の人付き合いが必要不可欠であることぐらい分かっている。 けれど三橋のように他人の目を気にしすぎて己が消耗してしまうのは、違うと思うし理解できない。 卑屈と言ってもいいだろう性格は、見ていて苛立つことだってある。 顔を上げて胸を張れ、そう怒鳴りたい衝動に駆られたことだって珍しくない。 けれど、そこまで考えて理解できないのは今のオレもか、と苦笑った。 到底分かり合えないであろう人種と向き合い、あまつ抱きしめたりなどしているのだから。 「どうしたら言ってくれんのかな」 「言えな……言いた、くな い、ですっ」 「言わなきゃ腕、折るぞ」 声のトーンを下げて、言う。 次いでその右腕を掴めば、大袈裟なほどに三橋の体が震えた。 逃げればいいのに。 抵抗して、振り払って、逃げ出せばいいのに。 身動きできないようにさせている張本人が思うことでもないだろうが、そんなことを考える。 いつまでたっても動き出す気配もない三橋を不審に思い、抱きしめる腕の力を緩めて顔を覗き込んだ。 三橋は、蒼い顔をしていた。 強張った表情は、震える体は確かに三橋の恐怖を現しているのだろう。 だが、それよりも。 震える三橋の、その双眸に榛名は息を呑んでいた。 伏し目がちなその目は、どこを見ている風でもない。 何の景色も映していないその目には、ただ暗闇の底を覗きこんでいるかのような、どこまでも沈み落ちていってしまいそうな、昏い色が渦巻いていた。 負の感情を引きずり出したい、なんて。 何故思ったのだろう。 それが三橋の中に存在しないなんて、どうして思ったのだろう。 嫌悪感に見せる怯えも恐怖も、それを知っているからこその態度だったのだろうに。 「レン? 言えない?」 やっぱり吐き出される声は優しげに。 それでも促す言葉は酷い。 問いかけながら、榛名は三橋の右腕を掴んでいた手をそっと離した。そうされることで、三橋の目にゆるゆると光が戻ってくる。 涙腺が壊れてしまったんじゃないだろうか、と。 そう思えてしまうほどに、三橋は涙を零し続けていた。 しばらく喋れないかな。 そんなことを思いながら、何となくしたくなって三橋の頬にくちづけた。 大して深く考えたわけでも、意味がある行為というわけでもなく。 ただ、そうしたくなった。 衝動的に、というのが正しいのだろうか。 「っ、レン?」 言いよどんだのは、三橋が榛名の胸元を押したからだ。 押した、と言ってもほんの弱い力だ。それでも三橋の精一杯で、まさか三橋がこんな行動に出るとは予想していなかった榛名は驚いた。 腕を突っ張るような格好で榛名の腕から逃れた三橋は、両目をぎゅうと閉じていた。 痛みに耐えるかのように、固く。 「……レン?」 「う、ぅ……」 ひく、と三橋の喉が鳴る。 三橋は両手をぐっと握り締めていた。震えている。 その手に触れようと腕を持ち上げかけた、その時。 三橋が、目を、開けた。 「…ら、ぃ で、す……」 榛名を見据える瞳に宿る、強い光。 様々な感情の入り混じったその色は、苦しげで。けれどひどく意識を奪われた。 だけどオレは、この目を見たことがある。 そう、マウンドの上で。 選ばれたただ一人が上がれる、あの高い場所で。 前を見据える瞳に宿る光、そのギラギラとした強さは、普段の三橋を知る者なら目を疑ってしまうような光景だった。 今のように複雑な色ではなかったにせよ、宿る光の強さはきっと同じくらいだ。 折れそうで折れない、三橋の芯。 その根幹にあるのは、マウンドだ。それ以外は何もない。 ボールを投げること、それへの執着は目が眩むほどに強い。 そうでなければ投手など務まりはしないけれど。それでも三橋は、いっそ狂信的と言っても良いほどに投球への拘りがある。 多分、周囲をぞくりとさせるほどの強さで。 「きら、嫌い、ですっ」 睨みつけるかのような強い目と、尖った言葉。 握り締められた拳と、震える声。 そんなものを真正面から受けとめた榛名は、唐突に理解した。 オレはこの目を、受け止めてみたかったのか。 他の誰でもない、自分に。 マウンドもホームもない、ピッチャーもキャッチャーもバッターもない、そんなシチュエーションで。 おどおどして、弱々しくて、怯えてばかりの三橋がそれでも見せる強い目、その感情をただ自分に向けさせたかった。 そう、思ったのだと。 「はるな、さ……っ 大嫌、い……」 言葉の最後は、音にならなかった。 しゃくり上げる三橋は、耐え切れなくなったのだろう目を伏せる。 握られた拳が、乱暴に涙を拭った。ごしぐし、と頬を擦る様はまるきり子供の泣き方で。 溢れ続ける涙は、少し拭ったくらいでは無駄なことだろうに。 思いはするが、言葉が出てこなかった。 なるべく堪えようとしているのだろう、それでも零れ落ちる三橋の嗚咽だけがその場を支配する唯一の音で。 高校生にもなって人前でそこまで盛大に泣けるってどうよ、とちらりとでも思わなかったかと言えば、それは嘘になるのだけれど。 己の感情を隠そうとしない姿勢は、自分とは別の意味で強いのかもしれない、とも思えた。 「廉、泣きすぎ」 しばらくしてから、自然とそんな言葉を呟いていた。 それは決して大きな声でも、不機嫌な口調でもなかったのだけれど。 三橋の耳にはちゃんと、届いたらしい。 泣き続ける三橋が、見ていて分かる程に身体を固くした。 「目ぇ擦んなよ。赤くなるだろ」 泣かしたオレが言うのも何だけど。 言いながら、三橋の手をやんわりと掴む。抵抗はなかった。 真っ向から受けとめたらきっと背筋がぞくりとするだろう強い目を、自分に向けて欲しかった。 ふわふわと世間知らずな、おどおどと気弱な三橋に、他の誰に向けるでもない感情を抱かせたかった。 そうするのに一番簡単で早いと思ったから、怒らせてみた。 ……なんて。 あーあ、ガキかよオレ。 気になる子にちょっかいかけて泣かせて、それでもその目と意識を攫うことが出来たのが嬉しくて。 秋丸辺りが見ていたなら、盛大に溜め息を吐いて呆れただろうに違いない。 それでもって、困ったように笑いながら三橋を慰め安心させるような言葉の一つや二つ、口にしていたのだろう。 一緒じゃなくて良かったかも、とこっそり思ったのは内緒だけれど本当の話だ。 「まだ泣くん?」 「う、あ……や、榛名、さ」 「ごめんな、廉。意地悪言った」 「離して、くだ さ…い」 ひっく、うっくとしゃくりあげつつ、三橋が言う。 けれど榛名がその訴えを聞き入れる筈もなく、また目ぇ擦るからダメ、と少し笑って告げた。 ささやかな抵抗のように榛名の胸元を押したことさえ精一杯だっただろう三橋が、泣きじゃくる今掴まれた手を振り解くことが出来ることなど到底不可能で。 三橋は、榛名に手を掴まれたまま泣き続けた。 震える喉が痛々しく、可哀想で、抱きしめたい気分になる。 「廉がオレを嫌いでも、オレはお前が好きだよ」 「…っ、う……?」 「好き。だから、意地悪してみたくなった。ごめん、な?」 好き、と口に出したら。 三橋が目を丸くし、ぱしぱしと睫毛を上下させた。 まあるく見開かれた目は、驚きのせいだろう普段の三橋からすると考えられないほどまっすぐに、榛名の目を覗き込んでくる。 透明な光を思わせるような、薄い色の目が綺麗だった。 「…う、そだ……」 呆然としながら、それでも三橋は榛名の告げた言葉に首を振る。 好きなものほど構い倒して苛めたくなる、なんてきっと三橋には分からないのだろう。 予測はしていたけれど、そのままの反応に思わず頭を抱えたくなって。 けれどここまで来たら分かってもらうまでこの手を離さねえ、と三橋にしてみれば迷惑極まりない誓いを一人胸の内でたてる。 掴んだ手にきゅ、とわずかながらも力をこめれば、それに気付いたらしい三橋が逃げだしたそうに肩を竦ませた。 逃がさねえよ、せっかく自覚したんだかんな。 呟きは、あくまで心の中だけで。 逃げるものほど追いたくなる、なんて。 多分きっと本能だろう? 「嘘じゃねえよ。好き。すげー好き」 「う」 「嘘じゃねーの!」 震えながら、それでも頑なに首を振る三橋に元々気が長いとは言い難い榛名は、つい焦れて。 少し声を荒げて、掴んでいた手を引くと三橋をぎゅうと抱きしめた。 榛名からすれば薄っぺらい、と言えてしまう身体、その背に腕を回す。 ついさっきも同じような行動をした筈なのに。 意識一つが違うだけで、こうも感触が変わるものなのだろうか。 暖かくて、幸せで、どきどきする。 ふっと笑って、榛名は三橋の髪に唇を寄せる。 「マジ、大好きなんだって」 なあ、だから。 大好きです、って、言って? END |
自作お題は短いので行くって決めてたのは誰だい。 しかもお題が「大嫌い」なのにラスト摩り替わってます、よー。 そんな感じのハルミハです。 この話をメモってあった紙の最後に「リリカル榛名……(汗)」とありました。 その通りですね。何だこの榛名(笑) こそりと拘りは、自覚した後の榛名の呼び方がレン→廉なこと。 UPDATE 2005/4/24 |