月が連れてくる (2009/6/8) 少年が姿を消すと、凌は本格的に一人になった。 まだ少し、頭の芯が痺れているような感覚が在る。常とは違う入り方をした後遺症のようなものだろうか。 それでいて、身体は軽い。神経が研ぎ澄まされているように。 ふるり、と頭を振る。 ノイズ混じりの通信が途切れ途切れに入り、だがすぐに消えた。 どうやら通信圏外に近いらしい。 「……行くか」 ともかく、はぐれた仲間と合流しなければならない。 耳を澄ましたが、順平も真田もこの近くにはいないらしく、人の声は愚か気配のようなものはなかった。 階段を探し歩きながら、何となく思い出すのは荒垣のことだった。 突入組と待機組で別れようとした時、呼びとめられた。 結局大したことは言われなかったが、その時の荒垣の、どこか物言いたげな表情が何故か脳裏に焼き付いている。 先ほどの少年といい彼といい、何を知っていて何を言いたいのだろう。 気にはなるが、追求しようとまでは思えなかった。 沈黙にはそれなりの理由がある。 話したいのなら話せばいいし、そうでなくともそれは個々の事情だから仕方のない事だ。 凌は彼らの抱える事情を知り得ないから、どちらでも別に構わないと思う。 言い慣れたフレーズを使うなら「どうでもいい」からだ。 なのに。 心のどこかが、それでは納得していないのを感じた。 知りたい。教えてほしい。 そう思う自分が確かにいる。 それは、今までの自分なら決して思うことのなかった感情だった。 思えばこの街を訪れ、彼らと出会ってからの自分は今までとは違う状態になる事が多い気がする。 果たしてそれが歓迎すべきことなのか忌避すべきことなのかは、凌には分からなかったが。 試練がやってくる、とあの少年は言っていた。 満月の夜に訪れる、試練。 その言葉が示すものが何であるのかは、凌にはどうでもよかった。 凌にとっては、今までの自分にはなかった変化が身の内に起こっている事の方が、余程重要だったからだ。 「! っと」 考えながら角を曲がると、シャドウと鉢合わせた。 互いの姿に気付いたのはおそらくほぼ同時。だが警戒をしていた分、凌の方が反応が早かったようだ。 数は二体。相変わらず通信はない。 だが凌は自身でも不思議な程に落ち着いていた。 走り出し、一体に斬り付ける。 体を回転させながら、二撃目。シャドウの影のような体が、ぐにゃりと歪む。 いけそうかな、と胸の内で呟きながら跳躍し、三撃目。 三撃目で、シャドウは散った。 次は、と確認しかけた矢先、右手側から二体目が現れる。 どうやら攻撃の隙を窺っていたようだ。 「っ、ぅく」 シャドウが影のような手を突き出してくる。 体勢が整えられていなかった凌は、その一撃をまともに喰らった。 咄嗟に体を丸め急所を庇ったが、攻撃が当たった場所に痺れるような痛みが走った。 瞬間。 身の内に、ひどく凶暴な衝動が湧き上がるのを感じた。 考えるより先に、体が動く。 脚が、シャドウの仮面を蹴り飛ばしていた。 影がそのまま実体化したような形のシャドウは、どこに急所があるのかイマイチ判断し難い。 だがそんな事を考えるまでもなく、凌の腕は剣を振るっていた。 それは斬る、というより叩き割る、と表現した方が近いような、力任せの動作で。 真っ二つに割れ、落ちた仮面の欠片を踏みつける。 仮面は靴の底でぐしゃりと潰され、そのまま消えた。 「っ、は、う……」 シャドウが消え、けれど凌は肩で息をしながらがくりと膝を着いていた。 荒い息を押さえるように、シャツの胸元を手で掴む。 心臓が暴れるように脈打っていた。 「……っ、落ち、着け……っ」 抑えるように、呟いた。 我を忘れるなんてこと、今までなかったのに。 シャドウを叩き斬った感触が未だ手のひらに残っているようで、それを振り払うように首を振る。 落ち着け。冷静になれ。理性を欠くな。 深く息をしながら、ゆっくりと立ち上がる。 歩きながら、これが試練だというのなら確かにそうかもしれない、とふと思った。 知らない自分も知らない他人も、同じようなものだ。 どちらも、予期せぬものを連れてくる。 けれど気付いてしまえば、出会ってしまえば、なかった事には出来ない。 ゆっくりと、息を吐く。息を吸う。 乱れた鼓動が、段々と落ち着いてくる。 月が、何を連れてきても。 逃げられないものなら、受け容れるだけのことだ。 許容し、時と場合によっては受け流す。それは、凌が日々の中で生きるために身につけた、処世術だった。 大丈夫。何も、変わらない。 言い聞かせ、前を向いた。 |
どうでもいい、と言えないこと。 UPDATE/2009.11.24 |