推測する距離感と関係性 (2009/5/30)



 先輩である真田が怪我を完治させ戦線復帰し、元々特別課外活動部のメンバーだったという荒垣が寮に戻ってきたのが、土曜日。
 ちょうど一週間前に当たる。
 荒垣は何らかの理由で学校を休学しているらしく、登校している姿を見たことはなかった。
 だが、元々親しかったらしい真田や桐条とは勿論のこと、順平やゆかりとも概ね良好な関係を築いているようだった。
 成り行きとは言え、リーダーを任された身としては、人間関係が上手く回っているというのは安心する。
 関係の良好さは、咄嗟の時に噛み合うか噛み合わないかで現われてくるものだと思っているからだ。
 特にタルタロスやらシャドウやらと言った、所謂人外の物と対峙しているとなれば、一瞬の判断が生死に関わるような場面も出てくるだろう。
 そういう時の為にも、必要以上に仲良くしろとまでは言わないが通常の人間関係は必要だと考えていた。

 荒垣は口数は決して多くはないが、面倒見がいいようで少しの変調でも気付くことが多々あった。
 それは凌を含め他のメンバーにはない細やかさで、正直感心させられる。
 何というか、特別課外活動部の面々は良い意味でも悪い意味でも個人主義なのだ。
 かと言って荒垣自身も不必要な慣れ合いをするような人物でもない。

 立ち入らない代わりに立ち入らせない。
 その基本的なスタンスは同じである筈なのに、こうも違うのかと驚かされることも多い。
 慣れ合うことを否としながら、世話焼き。
 相反する性質が上手く溶け合い、彼を成り立たせている。
 何と言うか、荒垣の場合は差し出された手が押しつけがましくないのだ。
 そっと背を支えるだけ、とでも言うか。

 だが、凌にとってはそういう諸々を除いても、不思議と心地良い空気を持つ人だった。
 初めて会った時に助けられたからだろうか。
 考え、即座にそれを否定する。
 おそらく自分にとって、荒垣真次郎、という人は。

 考えは、わん、という鳴き声で中断された。
 いつの間にか長鳴神社の辺りまで来ていたらしい。
 吠え声は、石段の前にいる白い犬だった。
 顔を合わせるのは二度目だが、神社で会う小学生……舞子が時折話題に出すので、なんだかもっと会っているような気がする。
 それに何より、一度目には助けられた。

「コロちゃん、久し振り」

 声を掛け、膝を折る。
 コロマル、ではなくコロちゃん、と呼んだのは舞子がそう呼んでいた印象が強く残っていたからだ。
 何より、動物は可愛い。
 手を伸ばして頭を撫でると、コロマルはぱたぱたと尻尾を振った。

「俺のこと、覚えてたんだ。やっぱり賢いな」

 呟き、少し笑う。
 動物は好きだ。
 懸命に生きる暖かな命は、ただ愛しいと思う。
 だが、凌は今まで動物を飼ったという経験がなかった。
 他家に居候させて貰う身、それもいつまでいられるか分からない身の上で動物を飼いたいなどと言えるわけも、まして考えられるわけもない。

「ん? どうかした?」

 頭を撫でていると、ふとコロマルが首を傾げながら凌のポケットの辺りを嗅いでいる。
 なんだろうと考え、そういえば学校帰りに立ち寄った古本屋でパンを貰ったことを思い出した。
 今日は何を貰ったけ、と取り出してみるとかにパンが出てきた。

「えっと……食べる? あれ、パンって大丈夫なのかな」
「水沢? 何してんだ」

 生き物は嫌いじゃないが、いかんせん関わったことが殆どないので知識がない。
 恩人……この場合は恩犬になるのだろうか……に滅多な物は差し出せないので、どうしようかと困っていると声がかけられた。
 振り返ると、買い物帰りなのだろうかビニール袋を手にした荒垣が立っていた。
 凌は、この人ならきっと知ってる、と安堵しつつ聞いてみる事にする。

「荒垣さん。あの、犬ってパンあげても平気ですか?」
「あ?」
「これ、なんですけど」
「ああ……クリームとか餡子とか入ってなきゃいいだろ。虫歯とか心配だからな、あんま甘いモンとかはやるなよ」
「大丈夫だって。貰い物だけどどうぞ、コロちゃん」

 パンの封を開け、食べやすいだろう大きさに千切りながら振舞う。
 コロマルはわん、とどこか嬉しそうに鳴いてからそれを食べ始めた。
 そう大したものではなかったが、美味しそうに食べてくれるのは嬉しい。
 和むなあ、癒されるなあ、などと思いつつコロマルを見ていると、視線を感じた。

「荒垣さん、どうかしましたか」
「……いや。別に、何でもねえ」

 何でもない、という言葉とは裏腹にその言い方は奥歯に物が挟まっているかのようで。
 見れば表情も何か言いたげで。
 パンはあげても大丈夫だと言ったし、では何故だろう、と考えてふと思い至る。

「あ、貰い物ですけど、変なものとか入ってませんから。コロちゃんに危険物なんてあげませんよ、俺」
「……いや、そうじゃなくて、な」
「? でも……あ、食べ終わったね、コロちゃん。あれ、もう行く? ばいばい」

 食べ終わったコロマルが、尻尾を振りつつ凌の手を一舐めした。
 そのまま去っていくのを、手を振って見送る。
 軽やかな歩きを見ながらやっぱりカワイイなあ、と再度思う。

「……それ」
「え?」
「その、呼び方、な。女子供以外で珍しいなって、そう思っただけだ」
「ああ、コロちゃんですか? 最近知り合った小学生がそう呼んでて、うつっちゃったんですよね」
「そうか。いや、悪いな、変なこと言って」

 言う荒垣は気まずそうだった。
 そういえばこういう表情は初めて見る気がする。
 珍しいものを見た気がして、少し嬉しいような気分になった。
 コロマルには癒されたし、今日は良い日かもしれない。

 そのまま、帰る場所は同じなので一緒に帰ることになった。
 少しばかり浮かれた気分そのままに、いつもに比べてやや饒舌に話す。
 無口ではある荒垣だが、話を振ればそれに乗ってきてくれた。
 凌もまた本質的には無口……というか口を開くのが面倒、という考えなのだが、誰かと二人きりだったり必要に迫られれば口を開く事は出来る。
 会話をすること自体は、決して嫌いでも苦手もない。

 話しながら、気づく。
 凌にとっての荒垣は、心地良い距離感を持つ人物なのだ。
 踏み込まず、けれど離れ過ぎず。
 凌にとって好みの距離感と空気を纏っている。
 だから、何となく近づきたくなる。
 考えて測っている、と言うよりこれは相性の問題かもしれない。

 ……この人に、もう少し近くなれば。
 今抱いている、何となく浮ついたような暖かいような気持ちの名前も、ちゃんと判明するだろうか。
 それが分かれば、何かが変わるだろうか。

「どうしてですかね。俺、荒垣さんと話してると、何か安心します」

 会話の合間に、ふと思い立って言ってみた。
 驚いたらしい荒垣が瞠目している。
 どんな答えが返ってくるだろう。
 そう考え、人からの言葉が楽しみだと思えるなんて自分でも意外だと思った。
 だがそれは、決して嫌な気分のするものではなかった。




 

 

主人公と荒垣さんとコロマル、というトリオが凄く好き。

UPDATE/2009.11.11

 

 

        閉じる