たとえばその背を (2009/5/23) 荒垣の知る「以前」よりも三ヶ月近く早くに戻った寮は、どこか閑散としていた。 考えてみれば四人(含むコロマル)も少ないのだから、そう感じても仕方ないのかもしれない。 荒垣が寮に戻る旨を説明した時の反応はそれぞれだった。 ゆかりは途惑いを見せながらも頭を下げ、順平は驚きを見せはしたものの探索メンバーが増えることに喜びを見せた。 そして、凌はと言えば。 一瞬驚いたように瞠目し、けれどそれ以外は目立った反応は見せなかった。 そういえば彼は元々リアクションの薄い性質だった事を、今更ながらに思い起こす。 控え目な微笑や話し方が、けれど他人を遠ざけていた自分にはどこか心地よく、好ましいものだった。 おそらくそれは、凌の他者との距離の取り方が絶妙だったからなのだろう。 ともあれ荒垣は「帰ってきた」のだった。 足を踏み入れた自室は、以前と変わっていなかった。 生活感のない無機質な部屋。きっと今回もそう変わらないのだろう。 その「以前」が自分がこの寮を出る前なのか、それとも「前回の2009年」なのかは、もうどちらでもいい。 戻ってきた、それだけが事実だ。 片付ける、という程の持ち物はない。 荒垣がこの部屋を出てからも、当然の如く最低限の管理はされていたのだろう。使われていなかった部屋ながら、埃が溜まっているような事もなかった。 早々に整理も終わり、とりあえず今夜の予定でも聞きに行くかと考えていると、不意にドアがノックされた。 「あの、荒垣さん。今、大丈夫ですか」 声は、凌だった。 何かあったのかとドアを開ければ、忙しいのにすいません、と頭を下げられる。 「いや、もう終わってる」 「早いですね」 「そんなに持ち物ねえからな。それよりどうした」 「荒垣さんは、今日のタルタロスはどうするのかなと思って、確認しに来たんですけど」 言いにくそうに、凌が口を開く。 少し困ったように眉が下がっているのを見て、何となくではあるが大体の事情は察した。 内心で溜息と悪態を吐く。 「……アキか。せっつかれたか?」 「ええ、と……少し」 「そりゃ難儀だったな。後輩困らすなって、後で言っといてやるよ」 凌の少し、は他者には大分、だろう。 存分に動ける事が嬉しいのは分からないでもないが、はしゃぐ程の年齢でもないだろうに。 何やってんだアイツは、と苦く思いながら、凌の労を労う。 凌はそれに小さく笑って、首を振った。 「俺は常にローテンションなんで、少しくらい熱い人が居た方がバランス取れていいんじゃないな、と」 「……どっちが後輩なんだかな」 呆れたように言えば、凌が楽しげにふ、と笑った。 「仲、いいんですね。真田先輩と」 「幼馴染みだからな。遠慮がねえだけだ。お互いな」 「……少し、分かる気がします」 「何がだ?」 「真田先輩が、浮かれるの。背中を預けられる存在がある、というのは嬉しいものだと思いますから」 何言いやがったんだ、アキ。 思わずこの場にいない真田への文句が口から零れそうになった。 かろうじて耐えるが、まっすぐに見上げてくる凌の眼差しは、何だかそれすらも見透かしているかのようで。 深淵のような水面のような、深い色は変わらない。 荒垣が好んだ、静かな距離感も。 けれど、何故だろう。 胸の内の、奥底で。 もやもやと何かが燻っているかのような、スッキリとしない感覚がある。 これと言った理由はないが、何となく感じる凌との距離感。そのぎこちなさ。 数えるほどしか会っていないのだから、当然と言えば当然なのだろうけれど。 それだけでは説明のつかない、壁のような線のようなものがある気がする。 「……お前には、いねえって言い方だな」 「!」 声のトーンを下げて言えば、凌の肩がぴくりと震えた。 それは、注意して見ていなければ分からない程度だったけれど、荒垣の目には確かに写った。 震えた肩と、一瞬強張った口元。 観察するようにそれを見て、ふと思い至った所は。 「現場で指揮するってのは、大変だろうけどな。気ぃ張り過ぎると、もたねぇぞ」 言いながら、荒垣よりか低い位置にある凌の頭にぽん、と手を置く。 些か気安かっただろうかとも思ったが、凌はそれを厭う素振りは見せなかった。 触れてから思い出す。 そういえば自分は、彼の髪に触れるのが存外気に入っていたのだと。 数えられる程しか触れてはいなかったけれど、指に絡む柔らかな髪質は何だか凌の存在そのもののようで。 感傷的になっている自分に苦笑しながら、荒垣は凌の頭を撫でた。 「……どうしてだか、自分でも分からないですけど」 「ん?」 「俺も嬉しかったんです、荒垣さんがここに住むって、そう聞いた時」 「……そりゃ、光栄だ」 「でも何となく、分かった気がします」 凌の目は逸らされない。 不躾なほどに見据えてくるのに、何故それを感じないのだろうかと、そんな事を思った。 「頼りになりそうな人が来た、って。そう思ったらしいです、俺」 少し、声を潜めて。 内緒の話をするように言った凌は、どこかイタズラを仕掛けた子供のような色を浮かべていた。 瞬間、驚いたのは。それが、初めて見る表情だったからだ。 今更ながらに、過ごした時間の短さを思い知らされる。そう、たった一か月しか同じ場所にいなかった。 知らない表情、口調、性格、そんなものの方が多くて当たり前な、短い期間しか時間を共有していなかったのだ。 そして何より。 あの時の自分には、絶対的に余裕というものが皆無だった。 それは今でもあまり変わらないかもしれないとは思う。だが、少なからず「知っている」事がある分、そしてまた今この寮に天田が居ない分だけ、ほんの僅かだけ周りを見る余裕があるらしい。 「……頼りになるかどうかは、実際の働きを見てから決めるんだな」 「じゃ、今日のタルタロスは」 「行かせてもらう。使うかどうかは、任せるがな」 「真田先輩が一番喜びそうですけどね」 「その辺は……後で言っとく」 凌の言葉はあながち間違いでもないだろう。 想像してしまい、流石に渋面を隠しきれなかったらしい。 思わず額を押さえてしまったのを見て、凌がふっと笑った。 大仰なリアクションは見せないから誤解されがちのようだが、凌は決して無感情でも無感動でもない。 怒ったり声を荒げたり、というのは見たことはないが、控え目ながらも笑ったり困ったりしているのを、荒垣は知っていた。 押しつけがましくも嫌味でもないその態度を見ていると、彼の交友関係の広さに納得もいく。 言葉にしなければ分からないことも伝わらないことも多いのは確かだ。けれど、言葉がなくとも伝わる何かがあるのも、きっと本当なのだと。 凌を見ていると、そう思う。 「じゃあ俺、桐条先輩に報告しときます」 「ああ、頼んだ」 踵を返した凌の背中は、荒垣が知るものと変わりなかった。 やや小柄なその背は、決して大きくはない。 だが、彼の背負うものは、軽くはない。それでいて弱音も愚痴も吐かず、淡々と前に進むのだからその姿勢には恐れ入る。 だからこそ、先の冗談交じりの言葉には驚いた。 背負うものを分け合う、とまでは行かずとも、少なからず背を預けるに足ると。そう言われたようで。 考えてみれば、今はまだ五月だ。加えて四月に転入してきたという凌に、心の底から信頼するような人間関係を築いてみせろという方が無茶だろう。 凌にとって同学年二人は、今の時点では背を預けるというより共に並び立ち手探りで進んでいく、といった具合だろう。 桐条は現時点ではサポートに専念しているし、真田はどちらかと言うと自己鍛錬の方が先に立つような調子だ。 「……ああ、なるほどな」 なんとなく、頼りにされた理由が分かってしまった。 荒垣としては、余裕も自信も別にあるわけではないのだが。 それでも、凌にそう言われるのは、悪い気はしなかった。 まっすぐに立つその背を、どんな形であれ少しでも支える事が出来るのなら、それもまたいいのかもしれない。 らしくもなくそんな事を考えて。 荒垣は苦笑し、首を振った。 |
知っている場所、知らない時間、再スタート。 UPDATE/2009.10.26 |