呼吸を忘れた魚 (2009/6/8) 凌の身に異変が訪れたのは、自室へ戻りそろそろ寝ようかと考えていた時だった。 なんだか頭が重い、と感じたのが一番最初。 重さを振り払うように首を振れば、ずきんと痛みが走った。 今日は色々あったから、疲れているのかもしれない。 常とは違うタルタロスへの侵入方法に、2体の巨大シャドウとの戦闘。 そして新たな能力者の覚醒。 思い返してみて、これだけあれば疲れもするか、と苦笑する。 ともかく早めに寝た方が良さそうだと、ベッドに向かった次の瞬間だった。 「……っ?!」 まるで何かを背負わされたかのように、体が重くなった。 特に酷いのが手足の指先だ。 何が起きたのか分からず、手を擦り合わせようと重ね、驚く。 触れた指先同士が、何故かとても冷たくなっていたからだ。 真冬の中で冷水に突っ込んでいた、とでも言われても納得出来る程に体温が下がっている。 つい先ほどまでは通常の温度だったはずなのに。 何かは分からないけれど、この身に何かが起きている。 途惑いながらも記憶を探り、そういえば先月の満月後も頭痛がしていたことを思い出した。 あの時はこうまで酷くなかったし、日常を逸脱した死の危機に直面した事からの弊害かとでも考えていた。 だが、これは違う。 推測でしかないし、一体何が起きているのかも分からない。 だが今この身を包む倦怠感は、疲れや緊張の延長から訪れているものではない。 直感でしかないが、そう思う。 「なに……」 何が起きてる、と。 そう呟こうとしたのに、言葉は途中で遮られた。 自身の喉から出た、咳によって。 小さな咳ではあったが、それが何度か続く。 喉にも胸にも痛みはない。 だが止まりそうにない咳に、段々と呼吸が乱れ始めた。 咳の合間に、喉がひゅう、と耳障りな音を立てる。 「く、そ」 水でも流し込んでやろうかと、机の上に置いてあったミネラルウォーターに手を伸ばす。 だが、体温の下がった指は思いの外意思通りに動いてはくれなかった。 掴み損ねたペットボトルが床に落ち、ごとんと音を立てる。 拾おうとしゃがみ、そのまま床に座り込んでしまった。 足にも上手く力が入らなかった。 元々、今日の戦闘で疲労を感じていたのだ。 水を飲むことは諦めて、座ったまま落ち着くのを待つことにする。 幸いこの程度の咳なら隣室の順平は気付かないだろうし、ドアのすぐ前にでも立たれない限りは外に聞こえることもないだろう。 不調の原因は分からないけれど、大げさに騒がれたくはなかった。 喉を押さえて咳込みながら、まるで呼吸の仕方を忘れてしまったようだと思う。 影時間の空気感は、多少慣れても決して居心地が良いとは感じられない。 重苦しい空気の中、酸素を求めて息をする自分はまるで滑稽だ。 周囲に幾らでもあるそれに気づかず、溺れていくような。 窓から差し込む月明かりが、何故かやけに煌めいて見えて。 凌は咳をしながら、ふ、と苦笑した。 |
月に溺れて、その先は。 UPDATE/2009.11.26 |