その唇は音もなく (2009/5/1) 通り過ぎる時、目が合った。 そう、本当なら、一度目の邂逅はこの場所だった筈なのだ。 真田の病室。 騒がしいのと、女と、沈黙しているのと、三人。 それが順平、ゆかり、凌にそれぞれ抱いた第一印象だった。 結局、荒垣は今の所自身が通ってきた過去と大まかな行動は変えずに過ごしていた。 先日の凌との出会いといい、荒垣が意識しようとしまいと変わる場所は変わるし、変わらない場所は変わらない。 きっと自分の知らないところで、色々な事が「前回」と変わっているのだろうと考え、それならば自分が動こうと動くまいとどちらにしろ同じなのではないか、と思ったのだ。 これから先もずっとそのスタンスで行くのかと言えば、それはまだ分からない。 正直な所、未だどうするべきなのかは決めあぐねていた。 変わるものがあるなら変わればいい。 それが自分にどう影響するかなど、分かるはずもない。 自暴自棄になったわけではないけれど、途方に暮れているのは確かだった。 真田に帰る旨を告げ、病室を出るべく歩き出す。 気圧されているらしい順平と、驚きと好奇の入り混じったようなゆかりと。 もう一人。 凌はやや驚いたような顔をしていたが、ふと。 その唇が、声は出さずに動かされた。 「……」 無言のまま病室を出た荒垣は、壁にもたれかかり座り込みたいのを耐え、歩いた。 凌は大した事を言ったわけじゃない。こんにちは、と言っただけだった。 だがそれは、荒垣の知る「一度目の五月一日」にはなかったものだ。 少しずつ、けれど確実に何かが変わっている。 変化の先に居るのが凌ばかりなのが気に掛かるが、それが偶然なのか何か理由があっての事なのか、その判断は荒垣には出来なかった。 音もなく動いた凌の唇に刻まれていた微笑が、何故か脳裏にハッキリと焼き付いていた。 |
一つ違えば十違うも同じ。 UPDATE/2009.10.6 |