きみとのはなし (2009/4/19) 少し落ち着いてきたらしい凌をベンチまで移動させ、座らせた。 動けるようにはなっても、未だに顔色が悪い。 コロマルもどこか心配そうに凌を見ていた。 「茶にしたが、飲めそうか」 近くの自販機で買ってきたペットボトルを差し出しつつ、聞く。 凌はそれを申し訳なさそうに受け取り、すみません、と小さな声で謝った。 そのまま放って帰ることも出来ず、荒垣は凌の隣に腰かけた。 様子を窺うついでに、改めて凌を見やる。 久し振り、と言ってもいいのか否か。荒垣の感覚としては数日ぶりになるのだろうが、数年ぶりなのだと言われても納得出来そうな気がした。 今現在の「二度目」を迎えるまでの感覚は酷く曖昧だ。 その辺りのことは荒垣自身も上手く説明出来る気がしない。 ともかく、こうして改めて凌を見て、思うことは。 何だか彼がひどく小さく見える、ということだった。 具合が悪そうだから尚更そう見えるのだろうか。 考えて、ふと思い出す。そういえば、一番最初に会った時にも小柄な奴だな、と思ったのだった。 それでいて不釣り合いな、いっそ不躾な程にまっすぐな眼差しがひどくアンバランスで、印象深かった。 それは今も、変わらない。 「賢い、犬ですね」 水分を摂取し多少調子を取り戻してきたらしい凌が、ふとそう言った。 コロマルが異変を察知し声を上げた事を言っているのだろう。 「助かりました、ありがとうございます」 「礼ならそこの……コロマルってんだが、ソイツに言うんだな。俺は通りがかっただけだ」 「? 飼ってるんじゃないんですか?」 「いや。まあ、顔見知りではあるけどな」 コロマルは、この界隈に住む人間には多少なりとも名が知れている。 凌は四月になってから転校してきたのだから、コロマルの存在を知らないのも仕方ないのだろう。 分かっているのだが、話しながらどうにも妙な心地になる。 荒垣が見ていた一か月弱の話ではあるが、寮の面子で恐らく一番コロマルと共に居たのは凌だ。直接聞いたことはないが、動物が好きらしいというのは見ていて何となく伝わってきた。 その凌が、コロマルの存在を知らないという。 何度も確認し、理解したと思っていたのに、それでも未だ心のどこかでこれが現実だとは信じきれていなかったのかもしれない。 「コイツは……この神社の犬、だな」 「神主さんの、ではなく?」 「実際飼ってたのは先代だ。今は、コイツの意思でここにいるって話だ」 「そうなんですか……コロマル、心配してくれて、ありがとう」 ふ、と穏やかに笑いながら、凌はコロマルに手を伸ばす。 細い指に耳の付け根辺りを撫でられ、コロマルは心地良さそうに目を細めた。 「ところでお前、何してたんだ?」 こんな時間に、こんな場所で。 問えば凌はどこか困ったように眉を寄せ、少し首を傾げるようにして答えた。 「俺、今月になってからここに越してきたばかりなんですけどね。ちょっと体調崩して、金曜まで入院してたんです」 「金曜って……二日前じゃねえか」 「あ、入院って言ってもケガでも病気でもないですし。ただの、疲労……みたいなもの、らしくて」 ひらりと手を振る凌を見ながら、それでも入院は入院だろう、と内心で呟いた。 第一顔を蒼くして座り込んでいた人物に平気だと言われても説得力はない。 凌がこの街に来て日が浅い事は知っていたが、入院していたという話は知らなかった。 荒垣は寮にはいないし、学校へも行っていないのだから当然と言えば当然なのだろうが。 先日の満月で真田が怪我をしたという話は聞いていたし本人からも連絡があったが、寮にいる他の面子の話は聞いていなかった。荒垣にとっては真田と桐条以外は知らない筈なのだから、話題にならない方が自然なのだけれど。 見る限り凌が怪我をしている様子はないし、病気を持っているという話も聞いていないから、その言葉に嘘はないのだろう。 ただ、疲労という言葉が気にかかった。 恐らくその原因はペルソナ能力に覚醒したからだろう、と思い至ったからだ。 大なり小なり、この力は人生を変えるように感じる。 常識を超え、逸脱した力なんて、本当は持つことも関わることもない方がいいのだろう。 自身を、そして自分のこの力で人生を変えさせてしまった存在を思いながらそんな事を考える。 凌はもう、特別課外活動部の話を聞いたのだろうか。 真田が新戦力が加わったのだと言っていたのは、いつだったか。 記憶を辿ろうと思考を巡らせる荒垣に気づくことなく、凌が言葉を続ける。 「ここに来て初めての日曜だったので、散策がてらあちこち歩いてたら……なんだか思った以上に疲れてたみたいで、この有様です」 「二日前まで入院してたなら、そりゃそうだろ」 「……これでも体力には自信あるんですけどね。貧血とか、なんか情けない……」 言葉尻は、荒垣に向けてというより独り言のような口調だった。 凌が入院していた原因がペルソナ能力に依るものならば、おそらく気分が悪くなったのはただの貧血ではないだろう。 本当は、これ以上は立ち入らない方がいいと分かっている。 これからどうするかを未だ決めかねている今、関わればおそらくこれから先知らない顔は出来なくなる。 けれど、放っておくことも出来ない。つくづく半端な自分に呆れ嫌気が差しながら、病人を放置していくのは人として間違っているだろう、と言い訳にも似たことを考えた。 「歩けそうか」 「あ、はい。大分良くなりましたし。ありがとうございました」 「……送ってくっつってんだ」 「……え。でも」 「また倒れねえとも限らねえだろ。それに……」 座っていたベンチから立ち上がり、荒垣はコロマルを示した。 二人の前に座っていたコロマルは、まっすぐに凌を見ている。 「コイツが送るつってんのに、俺が一人帰るのも違うだろ」 荒垣の言葉に、コロマルが応えるようにわん、と一声鳴いた。 凌は少し逡巡していたが、やがてありがとうございます、と礼を言って頭を下げた。 二人と一匹で歩き出す。 それは、否応にも荒垣の心を揺さぶった。 懐かしく感じるほど古い記憶ではないはずなのに、ただ遠い日のように感じる。 戻れない日。 記憶との違いがある、今。 何故こんな事が起こったのかなんて、分からない。 ただ、確かなのは。 こうして彼と歩いている事が、他愛もない会話をしている事が、どうしようもなく心の内を暖かくしている、その事実だけだった。 |
記憶があろうとなかろうと病人を放っていける人じゃないですよね。 UPDATE/2009.10.05 |