Sとの七週間 10/5・束の間、よろしく



 荒垣真次郎(享年18歳)は、困惑していた。
 自分は死んだ。撃たれ意識が遠のく時にそう確信していた。
 今だって、死んだのだろうという事は理解している。
 何せ自身の目で自分の体が火葬されるのを見てきたからだ。
 ……それはまあ、何というか、複雑な光景だった。
 死んだという事実は何となく分かっていた。それならば何に対し途惑っているかというと。

「これが所謂……幽霊、ってやつなのか」

 そう、他の誰あろう今の自分の状態について、どう対処するべきか考えあぐねていたのだ。
 何とはなしに自分の手を見つめてみる。
 それは確かに、慣れ親しんだ己の手だった。
 自分の目から見る限り、別に透けていたりするわけでもない。
 ただ生きていた時と明らかに違うことと言えば、誰の目にも見えておらず、何に対しても触れる事が出来ないというだけだ。
 だが、それが何よりも死というものを示唆しているとも感じられた。

 ちなみに荒垣が今いる場所は寮の自室である。
 最初こそ思い入れの深いあの場所に座っていたのだが、人の出入りに落ち着かない心地になり結局寮へ戻ってきてしまったのだ。
 もう二度と帰ることはないと思っていただけに、正直心中は複雑ではあったけれど。
 とはいえ、別段することがあるわけでもない。より正確に言うならば何も「出来ない」のだが。
 何となく窓の傍、机の横に突っ立っていると唐突に。躊躇いがちに二度、ドアがノックされた。

 思わず返事をしかけ、けれどすぐに口を噤んだ。
 誰にも聞こえない声で、応えを返してどうする、と。
 自嘲気味に考えていると静かにドアが開けられた。
 俯きがちに部屋に入ってきたのは。

「……水沢」

 思わず、その名が口をついて出た。控え目な声ではあったけれど。
 水沢凌。今年になってこの街へ越してきた(幼い頃に住んでいたから正確には戻ってきたのだと彼自身は言っていたが)彼は、その体躯からは想像もつかない程の特異なペルソナ能力を持っている。複数のペルソナを宿し、更にそれを次々に入れ替え行使する事が出来るのだ。
 そして能力だけではなく、彼自身もまた風変わりな人物だった。少なくとも、出会ったばかりの頃はそう思えた。
 基本的に無口無表情だが、人付き合いは苦にならない性質らしく意外なほどに交友範囲が広かったり。
 涼しい顔で妙な武器を振り回していたり。
 実は動物好きらしかったり。
 掴みどころのない、と評するのが一番近いような。
 それでいて嫌われるかと言えばそうでもなく。
 恐らく彼は人との距離感が絶妙なのだ。意識的なのか無意識的なのかまでは分からないが、少なくとも荒垣にとって凌との付き合いは面倒ではなかった。
 人と深く付き合うことを避けていた荒垣が、唐突な映画の誘いに思わず頷いてしまうほどには。

 そうこうしているうちに、凌がゆっくりと歩んでくる。
 何をするのかと見ていれば、足を止めたのは机の前だった。
 机上には飾り気のないダンボールが一つ、置かれている。中に収められているのは荒垣の遺品だった。
 足を止めた凌は、耳にかけられていたイヤホンを外す。
 俯く凌の表情は見えない。だが、その所作の一つ一つに、途惑うような雰囲気があるような気がした。
 あの時。
 駆けつけてきた彼らの一番後ろに居たのが、凌だった。
 前髪に覆われていない左目が大きく見開かれていたのを何故かよく覚えている。
 悲しみでも絶望でもなく、ただ何が起こったのか分からないとでも言いたげな表情だった。

「……驚かせちまって、悪かったな」

 そう口にしたのは、どこか勢いでだった。
 届くはずもないと分かっていながら、言わずにいられなかった。それは自己満足でしかない。
 その、筈だった。
 だから、そう告げた瞬間に凌が肩を震わせ顔を上げた事には荒垣も充分驚かされた。

「んな……」
「……荒垣、さん」

 確りと目が合った状態で、凌がぽつりと荒垣を呼んだ。それでもまだ本当に見えているのか半信半疑で、返事は出来ずに。
 黙ったままの荒垣に、凌は僅かに首を傾げて。机の前から向きを変え、窓の方へと踏み出してきた。
 より正確に言うならば荒垣の前へと、だ。
 迷うことなく荒垣の前に立った凌は、再度口を開いた。

「見えてますよ。……俺の頭がおかしくなったわけじゃないのなら」

 はっきりとした口調だった。
 目付きもしっかりしている。
 どうやら認めざるを得ないようだ、と意を決した荒垣はようやく口を開いた。

「……なんで、見えんだ?」

 その尤もな質問に、凌は苦笑した。
 ただでさえ特異な能力を有していると思っていた彼には、まだ何かあるらしい。




「体質なんです」

 場所を凌の部屋に移し、先程の問いへの答えが返された。
 あっさりと言い切られ、思わず黙る。
 そもそも己が幽霊という存在になっている事自体が驚きなのだ。
 更にそんな自分を見ることが出来る人物が身近にいるだなんて想定外もいい所だろう。元々そんな想定はしたことがなかったけれど。
 黙った荒垣をどう思ったのか、更に凌が言い募る。

「俺の場合、普段は視るよりか聞く方が多いんですけどね」

 言いながら耳を指し示す。
 その耳にいつも装着されているイヤホンは今は外され、肩の辺りで揺れていた。
 何とはなしにその動作を見ていた荒垣はふと気付いた。
 聞こえる事が多い、ということは。

「だからそれ、いつもしてんのか」
「趣味っていうのも大いにありますが」
「体質、ってこたぁ生まれつきなのか」
「物心つく前は分かりませんが、小学校の頃には視えてましたね」

 あっけらかんと答える様子に、凌にとっては当たり前の事柄なのだと知る。
 性格もあるのだろうが、妙に肝が据わっているのはその所為もあるのか、と思った。
 初めて言葉を交わした時、柄の悪い連中に囲まれた時にそう動じていなかったのを思い出した。……まあ影時間及びシャドウの存在を知ってしまえば大概のものは恐ろしく感じられなくなるけれど。
 人に見えない、聞こえないものを感じられるのが常というのはどんな感覚なのだろう。
 荒垣には分からないが、それは決して楽しいことばかりではなかった筈だ。
 事実、常人では持ち得ないペルソナ能力が齎した出来事が様々な人を苦悩させている。
 自分は死んだことでこれ以上はないけれど、彼らにはまだ先がある。何が待ち受けているのかはわからないが、これまで同様に苦楽共に在るだろうことは想像に難くない。

「……幽霊ってのは、本当にいるもんなんだな」

 深く考え込んでしまうのを振り払うように、そんなことを呟いた。
 その場凌ぎではあったが、実際に思っていたことでもある。
 だがその言葉に凌は意外そうに目を瞬かせた。

「どうした?」
「いえ……荒垣さん、落ち着いてるから。今になってそんな事言われると思わなくて」
「……悪かったな、これでも充分驚いてんだよ」
「皆が荒垣さんみたいな驚き方だったら、俺も耳を塞ぐ必要がないんですけどね……」

 小さな声音には言いようのない寂しさや疲れが滲んでいた。
 人より感じられるものが多ければ、その分苦労も多かったのだろう。
 凌が耳を塞ぎ、顔を覆うように前髪を伸ばしている原因の一端はそこにもあるのかもしれない。

「荒垣さん」

 少しだけ俯くようにした凌が、顔を上げたかと思うと名を呼んでくる。
 どうしたのかと目を合わせれば、そこには存外強い光を宿す目が在った。
 荒垣の知る限り、確かに凌は饒舌なタイプではない。けれど、口を開かないまま周囲に流されるだけの人間では、決してないのだ。
 己の意思でちゃんと立っていられるだけの強さもちゃんと持っている。
 言葉が少ないながらも彼の周囲に人が集まるのはその所為なのだろうか、とふと思った。

「七週間、俺でよければ話し相手になりますよ?」

 言われた内容を頭の中で反芻する。
 七週間、と口の中で呟いて思い至った。

「四十九日か」

 凌がこくりと頷く。大体一月と半、と言った所か。
 少し悩んでから、荒垣は結局。

「……よろしく頼む」

 自分を認識し、言葉を交わせる相手がいる、その誘惑に逆らえなかった。
 断らなければいけない誘いだと分かっていたのに、提案に乗ってしまっていた。
 幽霊になってからの時間は短いが、だからか、と納得する。
 誰にも認識されない自分を視てくれる、それはきっと死者にとって何よりも甘美な誘いに違いない。
 だから、視えると分かれば寄ってくる。それを防ぐ為に、凌はイヤホンで遠ざけているのだろう。

「多分、あっという間ですよ」

 快く了承した凌が見せたのは、楽しいような寂しいような曖昧な表情だった。
 それを目にした荒垣は、彼が今までに何を見聞きして過ごしてきたのだろう、と。
 ここ最近にしては珍しく、他者の抱えるものに興味を抱いたのだった。

 ともかく、荒垣の想像の範疇外における七週間は、こうしてひどく密やかに幕を開けたのだ。



 

 


というわけで、ここからが連載本格始動です。
本編沿いで荒主を書いてみたかったんです。
が、何故かこんなパラレルに……
ここから二人の交流が始まる、というカンジで。


UPDATE/2008.10.05

 

 

        閉じる