Sとの七週間 10/5(影時間)・向き合う覚悟




 空気が変わる。
 時が刻むのを止め、世界に静寂が訪れる。
 影時間だ。

 ベッドに腰掛けていた凌は、影時間になったのを確認し、音を立てないように立ち上がった。
 天田の不在が知れ、なし崩しに話し合いの場が解散になってから数時間。
 どうすればいいのか、なんて分かるはずもなかった。
 探しに行くべきか、待つべきか。
 分かっているのは、凌がどうしようと最終的にこれからどうするかを決めるのは天田自身だということだけ、だった。

「……真田先輩はやたらスッキリした顔してるし」

 ぼやくように、口の中で呟く。
 今朝は顔を見ていないのでどうだったかは分からない。
 だが、ラウンジで顔を合わせた真田は、哀しみを乗り越えたのか何かを決意したのか、ともかくどこか吹っ切れた様な雰囲気だった。
 腹を括った、とでも言うべきか。

 天田に対しての態度は冷たいとも取れるが、他でもない本人が答えを出すべき問題なだけに正しい言い分にも思えた。
 結局のところ、選ぶのはいつだって自分自身なのだ。
 選択した事に対しての責任を負うのも、また然り。
 正解と不正解が明確に分かれているような話ばかりが世の中に転がっているかと言えば、それはない。
 むしろ世界は明と暗が曖昧なことの方が、ずっと多くて。

「……まあ、俺の立場は複雑だけど」

 哀しむ暇もない、というのが正直な心境だ。
 次々に訪れる出来事に休んでいる間はなく、けれど突き付けられる選択肢はどれもが重要なことばかり。
 ゆっくり考えて結論を出しても後々悩みそうな事柄ばかりなのに、迫られるのはいつだって即決なのだ。
 そうして選んだ以上、後戻りはできない。後悔だってしていられない。
 小さく息を吐き、凌はそっと自室のドアを開け廊下へ出た。

 影時間を迎え静まりかえっているのは、寮も一緒だ。
 だが今は、それだけではない静寂がある気がした。
 主のいなくなった部屋が二つ。
 けれど凌が足音を忍ばせ向かう先は、住人がいなくなった荒垣の部屋、そのドアの前だ。
 凌は真田と順平の部屋のドアが動かないことを確認し、そっとドアに顔を寄せた。

「荒垣さん」

 囁くような声で、名を呼ぶ。
 誰にも聞き咎められないよう、小さな小さな声で。

「水沢か。どうした」

 当たり前のような調子で、中から応えが返された。
 けれどこれは、他の誰にも聞こえるはずのない声だ。
 人ならざる者の存在を感知する。それは、凌が物心ついた頃から当たり前にある現象であり、能力だった。
 とは言え今回のようにハッキリと目視し、あまつ言葉を交わすというのは稀な事態だったのだけれど。
 だけどこれも、俺が選んだこと、だ。
 心の内で呟く。

「入って、いいですか」

 知らず、手を握り込んでいた。
 今ここでこうしている事だって、俺が決めたことなんだ。
 死んだ人、その霊と交流をする。それが、どんな影響をもたらすのかは分からない。
 けれど、決めたのだ。
 通り過ぎていくものだからと、ただ見送るだけでは終わらせない。
 逃げずに、向き合う。
 荒垣という存在と。自分の能力と。置かれた状況と。
 ……自分、自身と。

「ああ」
「失礼します」

 言い置いて、ドアを開けた。
 荒垣は夕方この部屋を訪れた時と同じく、窓の傍らに立っていた。
 その姿は生きている時と何ら変わりがない。
 背格好も、声も、眼差しも。唯一違うのは、荒垣に実体がないことだった。
 そのたった一つの事実は、絶対的な壁となって存在する。
 荒垣には影が出来ない。何かに触れることも、触れられることもない。
 凌のように一部の視えたりする存在以外には、形在るものに影響しない。
 それが、霊というものだ。

「どうかしたのか」

 荒垣の声は、口調は、生前のそれと何ら変わりなかった。
 低い、耳触りのいい声。問いかけでありながら、語尾の上がらない話し方。
 瞬間、胸の内の深い場所が、疼いたのを感じる。
 痛みというには儚く、何もなかったと言い切れないほどには強く。
 切ない、と。そう、思った。
 この人はここにいるのに、どうして生きていないのだろう。
 見えるのに、話せるのに、何故。

「水沢」

 呼ばれ、飛ばしかけた意識を引き戻す。
 名を呼ぶ声もまた、以前と同じで。それは昨夜の出来事が性質の悪い悪夢であったのだ、と錯覚しかねないほどに。
 ……本当は、どこかで分かってもいるのだ。
 常から逸脱した行為は、きっと歓迎されるものではないと。

 今だってそうだ。
 埒もないことに意識を奪われそうになった。
 逆らえない嵐のように浮かんだ、いっそ激情にも近い感情の波は今までの凌なら考えられないものだった。
 どうなるのか、なんて分からない。分かるはずもない。
 目まぐるしくて理解が追い付かない。自分の感情の整理がつかないなんてこと、今までなかった。

 荒垣の死に沈む気持ちは確かにあるのに、その一方でこうして会話が出来る事を密かに嬉しくも感じる。
 今の荒垣には自分しかいない、そう思う自分がどこかにいる。その愉悦は酷く歪んでいると分かっていながら。
 辟易するばかりだった霊視能力にどこか感謝に近い気持ちさえ覚えている。
 そんな自分が浅ましいと思う。
 それでも、決めたのだ。
 目を逸らさない、と。
 嫌悪したくなる自分自身とて、それは一緒だ。
 息を吐きながら、握りしめていた手をゆっくりと開いた。

「……天田が、いなくなりました」




 

 

覚悟完了、な主人公。
P3内では荒垣さんが加入の日に出してみる確信犯(ぇ?)


UPDATE/2009.9.02

 

 

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