純愛アイロニー×背反バレット


 がちり。
 普通に生活していればまず耳にすることはないだろう、音。
 それは所謂「銃の撃鉄を起こした」音である。
 物騒きわまりない音ではあるのだが、実際聞いてみると派手なものでもない。むしろ、言われなければ何の音なのかも分からないほどだろう。
 けれど菊には、分かってしまった。それが何の音であるか。
 馴染む程ではないにしろ、幾度も耳にしていれば憶えもする。
 そうして。

「……分からんな。いい加減憶えただろう、この音も」

 分かっていますよ、と思ったけれど口に出されることはなかった。
 そう、分かっている。この後に取られるであろう行動も。
 ごり、と音がして額に押し当てられる、硬く冷たい感触。
 確かめるまでもなく、それは銃口だった。
 ヴァッシュの指は、引き鉄にかけられている。ほんの少しそれに力がこめられるだけで、銃は火を噴くだろう。
 勿論それは弾丸がこめられていれば、の話だ。しかし相手がヴァッシュである以上、空の銃を持ち歩くような失態は冒すべくもない。
 それでも、菊は動かなかった。

「菊」

 名前を呼ばれ、そこで菊はようやく俯きぎみだった顔を上げた。
 椅子に座る菊の真正面に、ヴァッシュが立っている。
 見上げた顔は、物騒な行為とは裏腹に無表情だった。彼の常としてそうであるように眉間に皺が寄っているわけでも、不機嫌そうなわけでもない。

「死にたがりなわけでもあるまい、何故抵抗しない?」
「……ヴァッシュさんが本気で撃つなら、私に避けられるはずもないでしょう」
「そういう諦めが良くないのだと言っておるのだ」

 やっと菊が発した返事に、ヴァッシュが眉を上げた。
 このやり取りだって、いつもと変わらないものだ。予定調和、とでも言うべきだろうか。
 そう、この後に返す言葉だって決まっている。
 無論一言一句まで同音に、とまではいかないが、内容はいつでも同じ。

「諦めじゃありませんよ」
「では、何だというつもりであるか」
「私だって痛いのは御免ですから、他の人ならちゃんと距離をとらせていただきますよ」
「なるほど?」
「どうしてですかねえ。ヴァッシュさんにこうされると、愛を囁かれている気になっちゃうんですよね」

 冷たい銃口は、暖かな抱擁に。
 鋭い切り口の言葉は、甘い囁きに。
 全く我ながら都合のいい脳内変換だとは思う。
 だが、それも仕方ない。何せ恋は盲目、なのだから。

 言った自分はどんな表情だったのだろう。鏡がないからそれを確かめる術はない。
 けれど見つめていたヴァッシュの顔が呆れたような色を乗せたことから、推測することくらいは出来る。
 険しい顔がデフォルトである彼の、どこか無防備なとも呼べる表情は珍しい。
 つまりは、そんな珍しい顔をさせてしまう程に緩んでいるのだろう、今の自分の顔は。

 押し当てられていた銃が引いた。
 ヴァッシュは微かな金属音を立てて銃を弄っている。安全装置をかけているとか、多分そういった類の行動なのだろう。菊には詳しくは分からなかったが。
 銃をしまいながら、ヴァッシュが苦々しい顔をした。

「相変わらず不可解な奴であるな、お前は」
「その不可解な私を気に入ってくださっているのでしょう?」

 菊の言葉に、舌打ちを一つ。歪められた顔を見て、ああ勿体無い折角の麗しい顔なのに、なんて考えてしまった。
 それでもヴァッシュは否定をしない。
 もう、鏡を見ずとも分かる。今の自分はきっとだらしなく緩んだ笑顔だ。
 幾度となく交わされたやり取り。繰り返される、同じ行為に同じ内容。
 けれど一度として、疎ましく思うことも飽きたりもしなかった。
 知っているからだ。最後には。

「銃になど愛を感じるな、愚か者め」
「恋は人を馬鹿にさせるらしいですから」
「それでは我輩も馬鹿ということになるではないか」
「……厭ですか」

 ヴァッシュが自分を撃つことなどないとは知りながら、それでもやはり銃というものを喜んで受け入れることは出来ていない。
 表には出さなくとも、触れさせられる度にいつだって冷たいものが背筋を走る。
 では何故わざわざ我慢をしているか。
 愛を感じる、その言葉に嘘偽りはない。戯れのように為される会話は、内容だけ見れば甘さなど微塵もないはずなのに、どうしてかひどく優しいものに感じられる。
 けれどそれだけの為にこの予定調和に乗っているわけでは、ない。

「……お前がそうだと言うならば、偶には、いい」

 小さな小さな声で言ったヴァッシュが、菊の背をかき抱いた。菊もまたヴァッシュの背に手を回し、縋りつく。
 まるで陳腐な映画かドラマのワンシーンのような抱擁。
 端から見ればきっと滑稽にも見えるであろうそれ。
 だが菊にはその抱擁こそが求めていたものであり、大切なものだった。
 銃弾にこめられた愛の言葉と、銃口の向こうにある暖かな気持ち。
 愛と呼ぶには物騒なものの陰に、いつだってヴァッシュの本音はある。
 不器用で、毅然として、どこか可愛い、優しく強いひと。

 この腕こそが、愛の言葉なのだと。
 胸中に広がるひどく暖かい気持ちに浸りながら、菊はゆっくり目を伏せた。



END

 


おおお、終わったー!
予想外に長くなってビックリしたぁ。
菊の額に銃を突きつけるヴァッシュ、の光景が浮かんで出来てしまった話。
……ところで瑞西さんの表記はヴァッシュなのかバッシュなのか。
公式さんで確かめられてなくて、結局好きなほうにしちゃったんだけど。
でも二次サイトさんではどっちも見るんだよねー……
うーん……ま、まぁいっか!
とにかくも楽しかったです瑞日!
2008/9/30

(UPDATE/2009.4.4)

 

 

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