吹き抜けた、一陣の風。





砂塵に舞う唄





「……呼んだか?」



 死闘、と言うに相応しい戦いの幕が切れたその後のこと。
 腹ごしらえが済んで、どこを見るともなくぼんやりとしていたルフィが、ふと誰に向けるでもなくそんな言葉を口にした。
「ううん、呼んでないわよ。誰も」
 答えたのは、ナミ。足に巻かれた包帯が痛々しいが、その顔は一つの旅路を終えたかのようにスッキリとしていた。
 それはナミだけでなく、この国にいる誰もがそうなのだろうが。




「オイオイ、お前眠いんじゃないのか?」
「睡眠は疲労回復に一番早く効くよ。眠いなら寝た方がいい」
 次いで、ウソップとチョッパーが口々に言う。
 チョッパーの言葉を身を持って証明するかの如く、ゾロは大の字になって睡眠を貪っていた。
 その言葉にルフィは首を後ろに傾けて、ニッと笑ってみせた。どうやら眠いわけではないらしい。
「風の音が、誰かの声に聞こえたんだ」
 ぽつりと、独り言のように言ってまたルフィは前を向く。




 眼前に広がるのは、どこまでも果てなく続くかのようにも見える砂の世界。気を抜けば、それに飲み込まれてしまいそうな気さえする。
 砂混じりの風。
 幼い頃は港町、今となっては海賊を稼業に洋上で暮らすルフィにとって、その空気は慣れたものではないけれど。
 頬に吹きつける風を不快だとは思わなかった。
「…キレイな国だ、な?」
 自分を飲み込みかけた砂の海ですら、キレイだと。素直にそう思えて、ルフィはふっと笑みを浮かべた。
 体を包むのは、心地よい疲労感。受けた傷は軽いとは決して言えないけれど、それすら心地いいと。




 ここは、強い国だ。王も民も、皆が国を愛してやまない。
 受けたダメージは決して小さなものではないけれど。立ち直れる。
 立ち直って、今までよりも強い国に、必ずなる。




「……あ?」
 考えながら砂漠を見据えていたルフィが、顔を上げる。
 誰かが、呼んだ。
 吹きつける風にふと、呼び声を聞いた気がして。


 ……エース?


 自分を呼んだのはエースだと。
 予感も確信もなく、ただ漠然とそう考えた。言うなれば本能でそう感じた、というのが正しいような。
 風を見極めようとでもしているかの如く、ルフィは中空を見据える。背後にいる仲間たちが今のルフィの表情を見たら一体どうしたのかと聞いてきていたことだろう。
 それ位、ルフィの表情は真剣なものだった。




「……あー……」
 腹部に風穴のように開いた傷が、疼いたような気がして。
 ルフィはゆっくり息を吐き出すのと同時に、小さく声を洩らしていた。
 分かちまった、かなぁ?
 昔っからおれのことお見通しだもんな、エース。




 ルフィがエースに敵わないのは、腕っぷしだけではなく。
 昔から、何故かエースはルフィに対して通じることが多いのだ。
 どこから伝わるのか、口にせずともルフィの思いを汲み取ってくれたり、怪我をした時に迎えに来てくれたり。
 逆にルフィも、そこまでではなくてもエースが不調の時には(まぁこの兄弟に"病気"という言葉は縁のないものだったのだが)、何となく分かったりして。
 何故分かるのか、と問われると自分でもよく分からないのだが。やはりこれも本能で、と言うのが一番近い表現だろうか。
 きっとエースに何故かと尋ねても、ルフィと同じように首を傾げるに違いない。
 同じ村で暮らしていた時にはまさしく『以心伝心』と呼ぶに相応しい兄弟だったのだ。




 これだけの傷だもんなー…分かっちまっただろうな、多分。


 風に呼ばれた気がしたのは、きっとエースが何かに気付いたからだ。
 昔のように迎えには来れないけれど、異変にはちゃんと気付いていると。それを伝えたのだ。ルフィにだけ分かるように。
 相変わらず無茶なことばっかしてんなァ、と呆れ半分に笑いながらのエースの声が聞こえた気がして。
 ルフィは包帯の上から傷を押さえた。




「痛むのか?」
「サンジ」
 傷に手を当てていたのを、傷の痛みのせいだと思われたらしい。
 隣に立って自分の顔を覗き込んでいるサンジに、ルフィはふるふると首を横に振って答える。
「平気だ。たくさん食ったし、チョッパーが手当てしてくれたからな」
「……ならいいけどな。ホラ、飲めよ」
 そのままルフィの隣に腰を下ろしつつ、サンジがルフィに手渡してきたのはマグカップだった。中身は、ルフィの好きなサンジ特製のココア。
 これを作りに行っていたから姿が見えなかったのか、とルフィは内心で納得する。
 なんだかんだ言って、サンジはよく細かい所に気が付く。
 今だって自分も決して無傷ではないのに、人数分のココアを作ってきたりして。




「いただきます」
 手の中のぬくもりが、心の奥底で解き切れずにいた緊張感をゆるゆると溶かしていく。
「やっぱ、サンジの作ったモンが一番うめぇな」
 こくり、と一口飲んでから、ルフィはそう言って笑顔になる。
 サンジはその言葉には答えを返さずに、手を伸ばしてルフィの頭をくしゃくしゃっと撫でた。




「なあ、ビビは?」
「ん? ビビちゃんならアイツ…えーと、何つったけか、反乱軍のリーダーに付き添ってるぜ。ココアもちゃんとデリバリーしてきた」
「そっか」
 無事でいるなら、それでいい。
 そう言いたげな表情で頷くとルフィは黙り込んだ。そうしてまた、どこか遠くを見据えるような目で砂漠を見据える。
 ルフィの様子がいつもと違うことを感じ取ったのか、サンジも何を言うでもなく口を閉ざして。
 場には、沈黙が降りる。
 時折吹く風の音だけが、鼓膜を揺らす唯一の音で。




「…っ、サンジ?」
 暫しの沈黙を破ったのは、ルフィだった。
 けれどそうさせたのは、不意に伸びてきた腕が自分を引き寄せたからで。
 持っていたココアをこぼしそうになり、抗議の目を向けるが当のサンジは黙ったまま。
 背中から引き寄せられたような格好に、ルフィは文句を言うことを諦めて素直に体の力を抜いてもたれかかる。
 ルフィの傷を気遣ってか、サンジの腕はルフィの体を包み込むように抱き締めていて。



 ……ああおれ、帰ってきた。ここに、ちゃんと。


 暖かな腕。帰ってこれた。やっと。


 自分の帰るべき場所へと。



 変わらないぬくもりが嬉しくて、ルフィは目を伏せる。
 けれど、ふと違和感を覚えて閉じた目を開けた。
「……?」
 震えていたのだ。サンジの腕が。
 触れ合っていないと分からない程度にだが、サンジの腕は確かに小刻みに震えていた。




「サ……」
「……った」
「何?」
「生きてて、良かった」
「……!」
 ルフィの肩に顔を埋めながら、掠れた声でサンジが言った。
 耳のすぐ横で囁かれても、やっと聞き取れるかどうかの声。腕同様、その声も震えていて。
 もしかしたらサンジは、自分よりもずっと痛かったのかもしれない。
 そう考えて初めて、ルフィは怪我をしたことを少し悔いた。




 自分の怪我で他人までもが傷つく事を実感するのは、二度目だった。
 一度目に怪我をしたのは、自分ではなかったのだけれど。
 あの時に初めて、怪我をした時に傷つくのは自分だけではないのだと。時と場合によっては周りの人間の方が余程痛い思いをするのだと知ったのに。
 だから自分は、周りの人間にそんな思いを抱かせないようにしようと。そう胸の内で密かに誓っていたのに。
 海賊という稼業は甘くない。夢も、命も、誓いも、全てを賭けなければ生き残れない。
 そんなことは分かりすぎるくらい分かっているのだけれど。



 ……それでも。


「……あったけーな、サンジの腕」
 慰めの言葉は知らない。だから、言いたいことを言った。
 言いながら、ルフィはサンジの腕にこてんと頭を乗せる。




 …それでも、自分のせいで誰かが痛い思いをするのは、嫌だった。
 我侭だと言われようとも、夢も、命も、誓いも…仲間も。全部が大切で、どれも切り捨てられないから。
 だから、自分は全部を手にしてやると。
 海賊は奪うのだから。夢も、命も、誓いも、仲間も。全部賭けて全部手に入れてやる。
 ……そう、誓ったのに。
 自分のせいで、痛い思いをさせてしまった。
 きっとサンジだけじゃない。
 ゾロも、ナミも、ウソップも、チョッパーも、ビビも。
 この怪我のせいで、痛かったに違いない。
 そう考えて、今更ながら自分の不甲斐なさに胸が痛んだ。




 頭を寄せたサンジの腕は、血と埃の匂いがした。それはきっと、自分も同じ。
 胸の奥が熱かった。苦しいような、痛いような、哀しいような。
 うわ……ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
 泣きそうになっている自分に気付いたルフィは、慌ててサンジの腕で顔を隠した。
 腹に穴を開けられた時も、足がガクガクになって動けなくなった時も、毒針を刺された時も、こんな気分にはならなかったのに。




「……ルフィ?」
 体を固くしたルフィに気付いたサンジが、心配そうな声で聞いてくる。
 痛くない。痛くないから。
 こんな傷、痛くなんかないから。
 だから、そんな声出すな。
 痛かったのは、おれじゃねえだろ?
 痛かったのは、お前の方だろ?
 なのになんで。どうして。
 おれを責めないんだよ?
 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。



 喚く言葉は、声にはならなかった。
 心の中でサンジを詰りながら、けれどルフィは本当に責めたいのはサンジじゃないことも気付いていた。
 責めたいのは、罵りたいのは、他でもない自分自身。
 一度でも負けた、その事実は消せない。
 この傷は、きっと消えない。
 海賊にとっての『敗北』はイコール『死』だ。本当なら自分は今ここにこうしていなかった。
 死ぬことは恐くない。
 いずれ誰にでも訪れることだから。
 その時期が早いか遅いかの差があるだけだ。
 ……じゃあ俺は、何がこんなに苦しいんだ?




「……ぎゅうって。ぎゅうってしろ、サンジ」
 何も、余計なことなど何一つ考えなくて済むように。
 痛いぐらい、息が止まるぐらい、強く。
 そうされなきゃ、きっと泣いてしまうから。
 理由も分からないのに苦しくて、この苦しさに押し潰されてきっと泣いてしまうから。
 だから、全部を忘れるぐらいに、強く。
「お前、泣いて…?」
 震える声に、サンジが気付かないはずはなく。
 自分を覗き込んでいるらしい様子に、ルフィは一瞬体を震わせた。
 きっとまた、サンジは心配そうな目をしているんだろう。そんな目をさせたいわけじゃ、ないのに。
 ルフィは駄々をこねる子供のように、ぶんぶんと首を振った。
「泣いてなんかねえっ。いいから早く、ぎゅうってしろよ」
 ルフィのただならぬ様子に気付いたのか、サンジは大人しく従うことにしたらしく。
「……分かった」
 ルフィの背を軽く叩いてから、頷いた。



 とはいえやはり、いつも通りにとはいかない。
 何せ一歩間違えば死んでいたかもしれない傷を負っているのだ。リクエストされたからと言って力任せに扱ったりなぞすれば、傷に影響が及んでしまう。
 サンジが気を遣うのも当然のことだった。


「もっと。もっとだ、サンジ。もっと強く」
「んなこと言ったって…傷に障る。悪化したら困んだろーが」
「…っ、困らないから! いいから、もっとだ。もっと強くしろよ!」
「我慢しろよ。治ったらいくらでも…」
「嫌だ! 痛くない、こんなん何ともねえんだから……」
 悲鳴のような、嗚咽のようなルフィの声にサンジは驚く。
 こんな感情的なルフィの声を聞くのは初めてだったから。
 怪我のせいで情緒不安定になっているのだろうか。
「ルフィ……」
「いや、だ……ぁ…」
 掠れた声で言いながら力なく首を振る様子は、明らかにいつものルフィとは様子が違う。
 怪我のせいだけじゃない、何かがある。
 どれだけ我侭を言われても、どうにかして叶えてやりたいと思ってしまう。それほど自分はこの船長に惚れ込んでいるのだから。




 頭上でサンジが溜め息をついたのが分かった。
 自分でも我侭なことを言っているのは承知していた。サンジが自分の傷のことを気にかけていることも。
 それでも。
 苦しいのだ。どうしようもなく。
 胸の奥で吹き荒れる激情は、自分の意思だけでは止められそうにないから。だから、サンジに止めてもらいたいと思った。
 ただ一人、帰ってきたのだと思わせてくれる腕の中で。
 この苦しみをどうにかして止めて欲しかった。
「……おいルフィ」
「…いやだ」
「そーじゃなくて。ちょっと体の力抜けよ」
「……?」
 また諭されるものと思っていたルフィは、考えていたのと違う言葉に拍子抜けしてしまう。
 驚いて思わず伏せていた顔を上げると、目の前にサンジの優しげな目があって。
「ご希望には添えかねるがな」
 言いながらサンジは優しく笑う。クルーの他の誰にも(ナミやビビにさえも、だ)見せたことのない表情。
 ルフィだけしか知らない、ルフィが一番好きな表情。
 その表情に見惚れていると、不意に引き寄せられた。




「サ、ンジ?」
 今度は後ろからではなく、正面から。
 サンジの腕の中に、包み込まれるようにして。
 引き寄せられた頭は、サンジの胸元に押し付けられていた。
 心音が丁度聞こえる場所。
「おれはここにいるだろ? お前を壊すぐらい抱き締めなくても、おれはここにいるだろ? 分かるか?」
「……うん。聞こえる」
「今はこれで我慢してくれ、な?」
「いい、これで……充分だ」
 たくさんたくさん、考えてくれたんだな。
 俺の我侭に付き合う方法。
 聞こえるぞ。サンジの心臓の音。
 大丈夫だ、大丈夫だって言ってくれてんな。
 ……ゴメンな、サンジ。
 おれ、馬鹿だから。胸の中のもやもや消すのにこんな方法があること、知らなかったんだ。




 サンジの心音を耳に心地よく聞きながら、ルフィは胸の内に吹き荒れていた嵐のような感情が急激に治まっていくのを感じていた。
 サンジの腕は、何よりよく効く薬だな。
 チョッパーに言ったら怒られるだろうから、内緒にしとくけど。
 これは、俺だけの秘密なんだ。他の誰かには、勿体無いから教えてやんねー。
 サンジの背中に手を回して、ルフィは目を閉じた。




 ……唄だ、これは。
 サンジが俺だけに聞かせてくれる、心地いい唄。




 サンジの手は、ゆっくりとルフィの髪を撫でている。
 ルフィは体の力を抜き切って、サンジの胸にもたれ掛かった。
 血と埃の匂いに紛れて、サンジ特有の煙草の匂いがする。
 嗅ぎ慣れたその匂いに、ルフィはふっと笑みを浮かべた。
 ふと、あんなに苦しかった理由が、少しだけ分かったような気がした。
 死ぬことは恐くない。受け入れられる。
 恐いのは多分……


 この腕を、ぬくもりを失うことだ。


 それが嫌だから、心が悲鳴をあげた。
 失うのは嫌だと、震えた。
 ああ、そっか。おれ、恐かったんだな。
 あの時のことを思い出して。失うことが恐くなったんだな。
 ……おれ、欲張りだからな。どれもこれも手に入れたいんだ。
 でも、海賊ってそんなもんだろ?




「……少し寝ろよ。疲れただろ?」
 サンジは優しい。自分が疲れていないはずはないのに。
 でもサンジ、おれのだし。いいよな? 甘えても。
 ここは、おれの場所だから。
「じゃあ、少しだけ、寝る」
 その言葉に頷いたルフィは、空になったマグカップをサンジに押しつけて。
 何処よりも何よりも安心できる腕の中で、ゆっくりと眠りに引き込まれて行った。







 寝息が聞こえてきたのは、それから程なくして。
 何だかんだ言っても、疲労感は拭えないようで。
 あれだけの傷を負っていたのだ。その死闘が、見なくとも容易に想像できた。
「……泣けばいいのにな」
 確かにルフィは、今までにみたことない程感情的になっていた。
 それでも、ルフィは涙を見せることはなく。
 泣けばいいのに、と思う。
 思えばこのに乗ってから、一度としてルフィが感情的に泣いている姿を見たことがない気がする。
 ルフィは泣かない。
 泣けないことはないだろうと思う。あれだけ笑ったり怒ったりができる人間だ。泣くことを知らない筈がない。
 それでもルフィは、いっそ頑なな程に涙を流すということをしないのだ。
 まるで泣かない誓いでも立てているかのように。


 ……泣けば、いいのに。


 せめて、この腕の中でだけでも。
 そう思いはするが、サンジがそれをルフィに向けて口にしたことはなく。そうして多分、これからも言うことはないだろうと思うのだ。
 促したのでは、駄目だから。
 ルフィが自分の意思で、この場所でなら泣けると、そう思ったのでなければ意味がない。
「あんまり無茶してくれるなよな、船長」
 けれど、今のままではルフィがそう思うよりも前に倒れてしまいそうで。そんなことを苦笑混じりにサンジは呟いてみる。
 決してルフィの力を信じていないわけではないのだが、いかんせんルフィの戦い方は見ている方の心臓に悪いから。



 こんな傷があったのでは、しばらく思うように抱き締めることもできはしない。
「おれだってなぁ……」
 できることなら、力の限り抱き締めてやりてーんだよ、クソッ。
 ちきしょう…情けねー、俺。
 そう思いはするものの、色恋沙汰ではより好きになった方の負けなのであって。悔しいけれど、今回の勝負は負けるのもいいかもしれないなんて、今までにないことを考える自分がいたりして。
「……お前はおれの横で笑ってりゃいーんだよ」
 他のクルーが聞いたら張り倒されそうな言葉を呟いて、サンジはルフィの黒髪にキスをする。
 未だに濃く漂う血の匂いに、一瞬顔をしかめて。




 ルフィは、恐い。
 強いから、まっすぐだから、余計に。
 その時が来れば、きっと死ぬことでさえ笑って受け入れる。
 ローグタウンでの死刑台のことを思い出し、サンジはほんの少しだけ、ルフィの背を抱く腕に力をこめた。
 ……やらねえ。
 コイツは、誰にも。
 例え死神でさえも、運命とやらでも、コイツを俺の腕から奪うことなんざできねえ。
 ……死ぬなら一緒に、なんて殊勝なロマンチストみてーなことは言ったりしねー。



 一緒に、生きるからだ。



「……寝た?」
 そっと背後から近づいてきたのは、ナミ。
 サンジの隣にしゃがみ込んで、大人しく寝息をたてているルフィの様子をそっと伺った。
 問いかけに、サンジはルフィの頭を撫でながら頷く。
「ええ、ぐっすりと。少し、強めのブランデー仕込みましたから」
 ルフィを眠りに陥れたのは、疲労感だけではなく。
 船長の心配をした有能なクルーが、少し飲み物に仕掛けをしていたのだ。無論夢心地にいる船長は、そんなことなど知る由もなく。
「そう…ゴメンね、サンジ君も疲れてたでしょうに」
「他ならぬナミさんの頼みですから。それに…コイツに疲れた顔はさせたくないしな、おれも」
「本音は後者でしょう?」
「ご想像にお任せしますよ」
 片目を閉じたサンジに、ナミは呆れたように肩を竦めた。




「こうでもしないと眠りそうになかったものね…」
 言いながらナミは、サンジの腕の中にあるルフィの頭を軽く撫でて。
「まったくもう、無茶なことばかりするんだから」
 心配ばかりかけて、と言うナミの表情はそれでも可愛い弟を見守るように優しげで。
「今更でしょう。だからおれ達がしっかりしなきゃな」
「そうね。生きてて良かったわ…みんな」
 戦場となった街並はなんとも言えず痛々しい。この惨状の中皆が無事だったことが、ただ嬉しかった。
 腕の中のぬくもりが変わらずここに在るのが…どうしようもなく、嬉しかった。
「ああ……生きてて良かった」
「サンジ君…それ、ルフィだけに向けて言ってない?」
 ナミはじとっと冷たい目をサンジに向ける。
 サンジはその言葉を否定も肯定もせず、微苦笑した。




「まあいいわ。その気持ち、分からなくもないしね。こんな怪我して……もう、馬鹿っ」
 ルフィの黒髪をぺちんと叩いて、ナミは立ち上がった。
「ナミさん?」
「あの馬鹿も。また新しい傷作ってきて。こっちも気が気じゃないってのよ」
 言いながらナミがちらりと視線を送るのは、背後で大の字になって寝ている剣豪で。
 サンジは訳知り顔で微笑した。
「サンジ君、しっかりルフィの毛布になってなさいよ。夜は冷えるんだから」
「仰せのままに、麗しの航海士様?」
「……まったくもう、馬鹿なんだから。あんたたちみんな!」
 サンジの軽口に笑いながら、ナミもいつもの調子で返す。
 ナミの言葉に笑いながら、サンジは腕の中のルフィの体をぎゅっと抱き締めた。誰にも渡さないと。誰にともなく告げるかのように。
 腕の中のルフィが、小さく身じろいだ。
 その口元には、安堵したような笑みが刻まれていた。




 取り戻した、国と、笑顔と、思いと。
 それを行ったのは、小さな大海賊。その目が見据えるのは、大いなる未来。
 掌握するのは、偉大なる『海賊王』の名。
 けれど今は、ただ愛しい者の胸に抱かれて眠る子供そのままで。




 ルフィの寝息と、サンジの鼓動と、砂漠に吹く砂混じりの風と。
 途切れることのない三重奏は、溶け合い唄となって夜に響いていた。




◎END◎

 

 

 

 

 

 

 

 

砂塵に舞う後書き


 エースはルフィのことを考える時目を閉じる。ルフィはエースのことを考える時何かを見据えようとする。
 互いのことはちゃんと伝わっているけど、受け取る方法はちょっと違う。
 白ひげを海賊王にしたいエースと自らが海賊王になりたいルフィとじゃ、どこかしら違うだろうなと思いそんな違いを表してみました。まぁ結局仲は良いんでしょうけどね、この兄弟は。
 そんなわけで『汝、瞳を閉じることなかれ』の続編です。汝〜がエース視点なので今度はルフィ&サンジ視点で。
そして読んでお分かりかと思われますが、勝手にアラバスタ編終わらせてます。戦いが終わってビビにご馳走してもらった後ぐらいです。
 しかも趣味に走りサンルでゾロナミでコービビです(爆)ていうかまたサンジとルフィとナミしか出なかった…なんだか書きやすいらしいです、このトリオ。


(UPDATE/2001.11.25)

 

 

再録にあたっての後書き

 金沢的アラバスタ編エピローグ、第二段『サンル編』こと『砂塵に舞う唄』をお届けしました。
 これを書いてた時期はルフィVSクロコ戦が佳境で。麦わら海賊団のメンバーが爆弾を探す為に街中を奔走してたりして。
 皆が皆痛々しくて、それをせめて私の中でだけでも完結させたくて書いていた記憶があります。
 普段のワンピースの世界とは違う、砂の匂いを感じ取っていただければ嬉しいことこの上ないです。


(UPDATE/2002.1.30)

 

 

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