「お前、傷は男の勲章だ。なんて考えてんじゃねーだろな?」




 ふー…と溜め息のように長く煙を吐き出しつつ。




 サンジがルフィにそんな言葉を投げたのは、夕食後のラウンジでだった。







  
勲章ではなく







「あ?」



 口の端についたソースを指で拭き取り(デザートにかかっていた甘酸っぱい味の物でルフィはそれがいたく気に入ったらしい)、その指を舐めていたルフィはサンジの問いに目を丸くした。
 夕食の済んだラウンジには、ルフィとサンジの二人しかいない。
 サンジは後片付けと明日の朝食の仕込みの為キッチンを出るのは誰よりも遅いし、人並み以上の胃袋を持つルフィは必然的にキッチンにいる時間が長くなる。



 船は今、"空島"への手がかりを捜すべくロビンの持ってきた地図を頼りにジャヤの東へとその進路を向けている。



 ジャヤへ着くなり颯爽と船を出て行ったルフィとゾロとナミと。
 船へ帰還したルフィとゾロはあちこちに裂傷を負い、ナミの機嫌は超高気圧。
 "もう済んだ"の一言で終わらせたルフィに、(半ば無理矢理)事情を説明させたのがついさっきのことだった。
 冒頭の言葉は、その説明を聞き終えてのサンジの第一声である。



「傷が勲章? 何言ってんだ、サンジ」
「……分からねーならそれでいいけどよ」



 首を傾げるルフィに、憮然とした表情を隠そうともせずにサンジは頭を抱えたくなるのを堪えて、金色の髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
 きょとんとするルフィの右頬には、伴創膏がその存在を主張している。顔の目立つ位置に貼られたそれには、否が応にも目が行ってしまう。



 位置的には左目に残る刀傷のちょうど対称の場所。
 それが何だか無性に気に入らなくて、けれどルフィに当たるべき事柄でもないことも重々承知していたから。
 分かっていながら、それでも苛立ちは抑えきれずにいつもよりも早いペースで煙草を吸った。
 常用しているサンジにとっては既に精神安定剤になっている筈の煙草が、今日ばかりは何故かちっとも効果を示さなかった。



「サンジ」
「なんだよ」
「言えよ」
「は?」
「言わなきゃ分かんねーぞ? おれ、頭よくねえからな」
「……テメェの頭脳に期待してるヤツなんざ天地をひっくり返そうと現われるワケねーだろ」



 向けられる真剣な声音に、サンジはそっけなく言う。
 対するルフィはむう、とむくれてみせたがサンジは軽く肩を竦めてみせただけで。



「サンジは分かんねぇよ」
「テメーみてーなガキに分かられてたまるか」
「怪我したのはおれとゾロだ。ナミには掠り傷一つねえ。機嫌が悪くなってたのは確かだけど、何で怒ってたのかおれたちは知らねえし、分からねえ。約束は守ったのにな」




 ……鈍感天然クソゴム野郎。




 思ったけれどそれを口にしなかったのは、サンジのなけなしの理性のせいか、それを口にするのはあまりに大人気ないなと思ったからか。
 ともかくも内心で悪態を吐きつつ、サンジはルフィを呆れた目で見やった。



「……テメェのトコの船長が無抵抗でボコボコにされてんのに嬉しい馬鹿がどこにいんだよ。オマケに自分の言葉で大爆笑されて? おれはむしろナミさんの反応のが正常だと思うがな」
「ふーん。そういうもんか」



 辛辣な口調で言ったサンジに、けれどルフィの表情は変わらない。
 飄々とした、掴み所のない言動。
 普段は馬鹿みたいにガキくさくて嘘の一つもマトモにつけないようなヤツなのに、時折何を考えているのかさっぱり読めないことがある。
 今がまさしくそれで、苛立ちがますます募るのを感じたサンジは吸いかけの煙草を乱暴に灰皿に押しつけた。



「おれが」
 静かな声音で言いながらサンジの顔を見上げるルフィの瞳は、どんな感情の片鱗も含んでいなかった。
 その目で見据えられるのがどうにも居心地が悪くて、サンジはふいと視線を逸らす。



「おれが、無抵抗だったから怒ってんのか? サンジは」
「…っ、知るか、そんなこと」
「自分の感情なのにか?」



 ルフィらしからぬ、くっと喉の奥で笑うような笑い声。
 驚いたサンジがルフィに視線を戻すのと、びっという音が鼓膜を揺らすのがほぼ同時。



「な、何してんだよ!」



 音は、ルフィが頬に貼られていた伴創膏をはがした音だった。
 唐突なルフィの行動にサンジが反応できずにいると、ルフィは露になった傷を乱暴に手で擦り。



「バっ……よせ!」



 塞がりきっていない傷から血が滴り落ちるのを見たサンジは、慌ててルフィの手を掴んで止めさせる。
 対するルフィは無感動な目でサンジを見るだけで。
 傷の痛みも、サンジが制止したことも取るに足らないこと、とでも言いたげなその視線にサンジはたじろぐ。



「何考えて……」
「痛くねえぞ、こんなん」
「ルフィ?」
「体の傷なんて大して痛くならねえ。たとえば片腕なくしたって、おれは夢を叶えられるからだ」



 だから、体の傷は痛くない。
 いっそ清々しいほどきっぱりとそう言いきったルフィだが。けれどその顔が、片腕なくしたって、と言った瞬間痛そうに歪められたのをサンジが見逃すはずもなく。
「……痛いと思うから、生きてんだろーが」



 コイツはどこか、おれと同じ匂いがする。
 性格も言動も似ても似つかないのに(似てると言ったらゾロとルフィの方が余程似ていると思う)。それでも何故か、そう思った。
 悲愴というにはあまりに淡白なその瞳に。
 何もないと言い切るにはあまりに多くを語るその瞳に。
 サンジは掴んでいたルフィの手を離すと、その髪をくしゃりと撫でて。



「サンジ?」
「テメーが痛くなくてもな、周りで見てる人間は気が気じゃねぇんだよ」
「それで?」
「だから、平気な顔で怪我なんかしてんな。傷を自分の手で広げんな。それこそ、そんなん見たら"ココロ"に傷がつくだろーが」
「……サンジの、か?」
「それを見たヤツ、全員だ。最も傷の深さは俺が一番深いんだろうけどな」



 投げかけた言葉は、自惚れではなく。
 溺れるほどの思いを自覚しているからこそ、サンジは言葉を紡いだのだ。



「じゃ、気をつける」
 こくり、と頷くルフィは親に注意を促された子供のようで。
 サンジはふっと口許が緩むのを感じていた。
 ふと触れたルフィの左頬には、消えることのない傷。
 多分子供の頃に付いた痕だろうとは察しがつくが、その傷の謂れを聞いたことはなかった。
 尋ねればルフィは答えるだろうが、それよりも自分の口で語らせたかったから。
 どうでもいいことで意地を張っている自覚はあったが、今更聞くのも癪に障る気がして。



 ルフィは己の過去を、あまり語らない。



 聞かれれば話すが、それだけだ。
 話したくないというワケでもなさそうだが、ルフィが自分から過去の話をしないのは変わりようのない事実。
 ……いつか話したくなるよーにしてやる。
 サンジがそんなどうでもいいようなことを内心で誓ってしまうほど、この関係に溺れていたから。



「んっ、なんだよ、くすぐったいぞ」
「消毒してんだよ」



 ルフィが声を上げたのは、唐突にサンジが頬に唇を寄せたからで。
 口づけを繰り返すような仕草で、サンジはルフィの頬に舌を這わす。
 舌先に、当然のことながら血の味が絡む。
 鼻をつく鉄の匂い。
 ぴりぴりと舌が痺れるような感覚に、サンジは目を細めた。



 苦いとばかり思っていたそれは、思っていたよりずっと甘かった。或いはそれは、サンジの思考がそう思わせただけだったのかもしれないが。
 繰り返される戯れのようなキスに、ルフィは楽しげに笑い声を洩らした。
 その声に惹かれるまま、サンジはルフィの唇に触れようと指先で顎を掴んだ。



 吐息が重なろうとした、まさにその瞬間。



「お、ロビン」
「!!!」
「お取り込み中だったみたいね?」



 キイ、と扉の軋む音がしたかと思うと、音も立てずにロビンがラウンジに入ってきた。



「取り込み?」
「あら、傷が開いてるじゃない」
「ん、これくらい平気だ」
「擦らないの。ばい菌入るわ」



 ロビンは傷を手で擦るルフィを制し、取り出したハンカチでルフィの傷を拭った。
 ルフィは大人しくされるがままになっている。
 サンジはというと。
 赤面している顔を見られるのを避ける為、二人から離れた場所で一人煙草を吸っていた。
 背後からの会話は耳に入ってくるものの、それが脳内でちゃんと意味を為していたかというと答えは否だった。



「ロビン、どうかしたのか?」
「シャワー浴びに甲板に出たら誰かいるみたいだったから、覗きに来ただけよ」
「そっか。ナミ、まだ機嫌悪かったか?」
「いいえ、一応もう治まったみたいよ。それに、貴方に対して怒ってたわけじゃないことぐらい分かっているんでしょう?」
「おうっ」
「ハンカチ、洗ってから返してね」
「分かった」



 姉弟のような会話を聞くとはなしに聞いているうちになんとか落ち着きを取り戻してきたサンジは、ようやく顔の熱が引いていくのを感じ。
 ふう、と息を吐き背後を振り向いた。
 のだが。
 振り向いたその格好のまま、またもサンジは硬直を強いられることになる。





 ロビンが、



 ルフィの頬に、



 キスを贈っていたから。





 サンジを襲ったのは嫉妬なんて生易しい感情ではなく。
 ただもう、驚きというか、衝撃でぴきんと固まるしかなかった。
 そんなサンジの様子にロビンが気付かない筈もなく。



「間接キス、になるのかしら? これも」
「あ、ああ……なる、んじゃないかな…」
「突発的事象、に弱いのね。素敵な顔が台無しよ、色男さん」



 ふふ、とからかうような笑みを洩らしながらロビンはサンジに向けて言う。
 反射的に向けられた言葉に頷きながら、サンジは大分短くなってしまった煙草を無造作に流しに投げ捨てた。
 ジュっという音を立てて、煙草の火が消える。



「ロビン?」
 今の、何だったんだ?
 首を傾げて問うルフィに、ロビンはその能力を思わせる花が舞うような笑みを向けて。



「早く治りますように、っておまじないよ」
「そうか、ありがとな」
「後で消毒し直してもらいなさいな」
「ん、分かったぞ」
「じゃ、いい夜をね。二人とも」



 優雅な仕草で手を振って、ロビンはラウンジを後にした。
 ラウンジには、また静かな空気が降りる。
 もしかしなくても全てを見透かされているようで、サンジは大きく息を吐いた。
 ルフィがそんなサンジを見やる。



「サンジもしてくれたんだな」
「あ?」
「おまじない、だろ?」



 ふと我に返ると、ルフィがいつの間にかサンジの目の前まで歩み寄って来ていて。
 その唇が、吸い付くようにサンジの頬に寄せられた。
 左頬、右頬、そして、唇に。



「さってと、チョッパーのトコ行ってくるかぁ」
 ん〜、と伸びをしつつ、ルフィがくるりと踵を返す。
 掠めるようなキスをしたことなど微塵も感じさせないルフィに、サンジは語る言葉をもたずに。
 情けなくもその背中をぼんやりと見送る羽目になってしまったサンジは、扉の締まる音に力が抜けるのを感じた。
 ずるずる、と床に座り込みつつ、額を押さえる。



 あー…情けねー、おれ。



 顔に集まる熱を自覚し、洩れるのは溜め息と自嘲の笑み。
 誰も居ないラウンジでサンジがぽつりと呟いたのは、どうでもいいような言葉だった。




「おまじないって…"呪い"って書くんだよな…」






〜fin〜

 

 

WJ20号、第226話直後の話。
21号でかなりの嘘話になってしまうと思うので21号発売前には是が非でもUPしたかった話。
間に合って一安心。
短編予定がなんだか中編くらいになってます。
スクロールバーの長い話を書いてみたいです。二回ぐらい動かしたら終わり、みたいな。
無駄に改行とかしすぎなのでしょうか。…そうかもしれない。
実は書きたかったのは「お、ロビン」の件。
……なのにその前のシーンのが長い上に本題になっちまったような。
Storyは生物。生きてますなぁ…(遠い目)

(UPDATE/2002.4.18)

 

 

 

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