【ファーレンハイトを超えていく】



 だって、しょうがねーだろ。
 欲しいと思っちまったんだから。

 なんて。したり顔で、ルフィは言うのだ。
 子供のような言葉を、けれど至極真剣な眼差しで。
 それに絡め取られた人間が、この世界にどれだけいる事か。
 彼の引力に引っ張られた最たる人間ばかりが、この船には乗っていると言っても過言ではないだろう。

 子供のような言動と、鬼神のごとき強さ。
 一見すると相容れない両方が、ルフィの中にはちゃんとバランスを伴って存在している。
 何を考えているか分からないと思わせられることが常であるけれど、その眼差しがまっすぐに前を見据えていることを、知っている。

「だ・か・らっつってなぁ、誤魔化されねえからな、おいクソゴム」

 言葉と同時に足を上げ、後ろ頭をげし、と蹴り飛ばした。
 些か力が入りすぎてしまったせいか、ゴム製の首が少し前に伸び、ばちんと音をたてて元の位置に納まる。
 おお、だかああ、だとか微妙な声がルフィの口から零れた。
 それだけを見ると、単なるおかしな体質を持つガキでしかないというのに。

「何度言っても分からねえよなあ、テメェ。犬でも教えりゃ待てが出来るっつーのによ。ああ?」

 言葉だけを聞くとどこぞのチンピラのようにしか聞こえないのが哀しい。
 紳士に、スマートに、優雅に、を心がけてきているというのに!(まあそれは対女性限定ではあるが)
 今日も今日とて、ゴムガキを相手につまみ食いの説教だとか、考えるだに虚しさが去来する。
 しかも怒られている張本人はと言えば、まるで反省した様子は皆無でそれどころかさらりと冒頭の暴言をかましてくれた。

「欲しい欲しいで何でもかんでも手ぇ伸ばしてんじゃねえつってんだ」
「んな事言ったって、止められねえし」
「我慢とか待つとか忍耐とか、そういう言葉を乗せろ! お前の辞書に!」

 言っても無駄だとは知りつつ、言わずに放置しておくことも出来ない。
 こんな時ばかりは自身の性が若干恨めしくもなる。
 結局は、まあ、放っておけないのだ。

「んー……でもなあ」
「でもじゃねえ!」

 唇をへの字に曲げ、少し考えるような顔でルフィが言う。
 声を荒げかけた所で、するりと。首の後ろに、手が回された。
 引き寄せられ、次いで唇に触れた、暖かな感触。
 口づけではなかった。
 からかうように、戯れるように、ルフィの舌がサンジの唇を舐めていった。

「こういうのまで、我慢したら。つまんなくねえか?」

 言うルフィは、笑っている。
 いつも通りの、子供のような笑顔で。
 屈託ない笑顔というのがそのまま当て嵌まるであろう顔で。
 けれど何故だろう。その表情が、まるでどこぞの王者のようにも感じられるのは。

 ボキャブラリーの少ないゴムに黙らされるなどと、何たる不覚か。
 そう思うのに、サンジの口からはそれ以上の説教は出てきそうになかった。
 あーもー分かった。分かりました。
 古今東西、惚れた方の負けだなんてよく言ったもんだぜ。
 待てないというのなら。

 沸点を超えた場所まで、お供しましょう。


 



Web拍手掲載期間→2009/12/20〜2010/10/4

 

        閉じる