どき、どき、どき。
うるさい、心臓。
ドキ、ドキ、ドキ。
なんだか、苦しい。
こんなこと、今までなかったのに。
ああ…まだ、鳴ってる。うるさいなぁ。
どーすれば、止まるんだ?
きらきら。
触れた髪はやっぱりさらさらで、柔らかかった。
風で揺れてるのを何度か目にしてたから、触ったら気持ち良いだろうな、と思ってたんだ。やっぱり、さらさらだった。
そんなことを考えながら、ルフィは自分の丁度胸元辺りにあるサンジの頭を撫でていた。光に当たるときらきらの、サンジの髪。自分の黒ではそうはならないから、羨ましくて。
いつ頃からか、暇な時、ボーっとしてる時、食事のできるのを待っている時なんかに、その金色を目で追っている自分がいることに気が付いた。否が応でも視界に入ってくる、色。視界に入って、その存在を訴えてくる、きらきらした色。
ちなみに今のルフィは、サンジの膝の上にちょこんと座っている状態である。普通ならばルフィの方が甘えているように見えるのだろうが。今の二人は、サンジの方がルフィに甘えているように見えていた。
サンジが引き寄せたルフィの胸元に頭を寄りかからせていることや、ルフィの背に回されたサンジの腕がまるで縋り付くように見えることなどがそう見せているのだろうが。何より、ルフィが自分にもたれかかるその頭を愛しそうに撫でているから、そう見えてしまうのだろう。
しかも、ルフィ自身は気付いていないが、ルフィの表情はなんだかとても嬉しそうな、幸せそうな色を浮かべていて。
俺の髪とはやっぱ、違うよな。いいな、きらきらしてんの。なんかカッコイイよな。
サンジの吐息のせいだろうか、胸元が暖かい。物理的に他人の体温が温かいというのもあるのだが、それだけではない感情が胸の内に生じていることに、ルフィは気付いていなかった。
そうこうしていると、サンジがあったけぇ、と独り言のように呟いた。囁くような言葉が耳にくすぐったくて、ルフィはまた笑顔を覗かせる。
サンジが目にすることのできなかったその表情は満面の笑み、という形容がまさしく当てはまるような。嬉しそうな幸せそうな、見ている人間の気持ちをも和ませるような、そんな表情だった。
サンジがあんまりあったかいと口にするものだから。ついついルフィもサンジだって充分あったかいということを口にして。
それから。
それから…?
サンジがティータイムにしようって言って、嬉しくて。内緒話のそのついでに、サンジの頬にキスをしてみたりして。
いっつも余裕で、自信たっぷりに自分を見下ろしてくるサンジの表情を崩せたのがなんだか嬉しくて。イタズラが成功したみたいな気分になって、ただ無性に嬉しくなった。
そしてルフィは、これから始まるティータイムの為に皆を呼んでくるとキッチンを飛び出した。
甲板に出ると、少し強めに風が吹き付けてきた。
「っと…」
反射的に麦藁帽子を押さえる。照り付ける太陽が眩しくて、ルフィは目を細めていた。
「いー天気だなっ」
「あら、ルフィ。何やってんの?」
声をかけてきたのは、ルフィ海賊団の優秀な航海士。その頭の良さ(…というか狡猾さか?)においてはこの船で右に出る者はいない。
「おうナミ。これからティータイムだってサンジが言ってたから、呼びにきたんだ」
「ティータイムって、どうせアンタがサンジ君にせがんだんでしょ?」
ルフィの言葉にナミが苦笑しつつ言う。だがルフィはその言葉にふるふると首を振った。
「いや、今日は違うぞ?」
「あら、そう?」
「おお、そーだぞ」
「ふうん…でもまぁ、サンジ君はアンタと違って気がきくから」
「んじゃ、みんな呼んでくるなっ」
皮肉にも近い言葉を言われたのにも関わらず、ルフィは全く気にする様子もなくそう言った。…この場合は多分、皮肉を言われたということにも気付いていないのだろうが。
「はいはい、行ってらっしゃい」
呆れ顔でひらひらと手を振るナミをそのままに、ルフィは残りの船員を捜しに走った。
「気候も安定してるし、波も静かだし…大丈夫ね」
指針を確認しつつ、ナミは呟く。何だかんだと言ってルフィは結構…甘やかされているらしい。
見張り台で見張りをしていたウソップ、船尾で修行していたゾロ、カルーの羽根の手入れをしていたビビにそれぞれ声をかけ終えたルフィは、ふうと息を吐いた。
「チョッパーは…どこ行ったんかな?」
きょろきょろと辺りを見回しつつ、ルフィは一人呟く。男部屋を覗いたがいなかった。今までは誰かと話していたからまだよかったのだが。
誰もいないと…反芻してしまう。さらさらできらきらの髪とか。指の間をすり抜けるその髪の柔らかさとか。
唇を掠めた、一瞬のぬくもりだとか。
「やっべぇ…」
鮮明に思い出したその感覚に、ルフィは慌てて口元を押さえる。
あの時…何をされたのか、分からなかったワケじゃなかった。けれどサンジが、あまりに何もなかったかのように振る舞うから。だから、知らないフリをするしかなかった。
「…なんか、暑ぃ…?」
心臓が、走った後のようにどきどきと鳴っている。走った後と違うのは、なんだか苦しいようなカンジがすること。
カンジ、と付けたのは、実際に痛みを感じるのとはまた、違うような気がしたから。
なんか…変だ。
ルフィはその考えを振り切るようにぶんぶんと首を振ると、いつもより大股で歩き出した。
「チョッパー? どこ行ったんだー?」
声に出して呼びながら、ルフィは歩く。どきどきとうるさく鳴っている心臓を抱えながら。振り払っても振り払っても、触れた感覚は消えてくれない。
サンジの髪に触れた手と…唇とが、熱い。
なんなんだろ、コレって。なんか、俺が俺じゃなくなったみたいだ。
泣き出したいような感覚にすっかり混乱してしまったルフィが、立ち止まろうとしたその時。見覚えのある、もこもこの後ろ姿が視界に入った。
「チョッパー!!」
自分でも意識していなかったぐらいの大声が出た。その声に、チョッパーがびくっと体を跳ねさせる。
「探した! 探したぞおぉ!」
「どした? なんかあったのか?」
ついぞ見ない形相で、まるで叫ぶような声音で言うルフィに、チョッパーはびくびくしつつ言葉を返す。
「これからティータイムだ!」
しかしながら、ルフィのその言葉で全て納得したらしい。チョッパーはルフィにすまなさそうに言う。
「そっか。薬の調合するのに、武器庫行ってたんだ」
「武器庫? なんでそんなトコで薬の調合するんだ?」
首を傾げるルフィに、チョッパーは苦笑する。
男部屋だと騒がしいくて集中できないしいつ邪魔されるか分からなかったから、というのがその理由なのだが。騒がしい上に邪魔をしてくる本人にそれを告げてもいいものだろうか…?
「薬ってのはな、デリケートなんだ」
「うん。で?」
「扱いを間違えれば毒にもなる。だから、誰もいないトコでやりたかったんだ」
支離滅裂。自分の言った言葉に自分で呆れてしまうチョッパーだったのだが。
「そっか〜医者って大変なんだなっ」
ルフィはチョッパーの言葉に感心したような顔をしている。思わずチョッパーが自分のことを差し置き『単純…?』と心の中で呟いてしまったのも、まぁ仕方ないだろう。
「おいお前ら、何やってんだ」
突然背後からかけられた声。チョッパーとルフィとが同時にびくっと体を震わせた。
「サンジ!」
どきどきどき。
またもや、うるさく鳴り出す心臓。ハッキリと自覚できてしまったそれに、ルフィは焦りを感じていた。
「な〜にやってんだよ。冷めちまうだろうが」
こと料理に関するとサンジは人が変わる。その雰囲気にルフィもチョッパーも圧されぎみになっている。
「お、おおっ。今行くところだったんだよな、チョッパー?」
「俺が武器庫にいたから、捜し回ってたみたいなんだ」
ルフィの言葉に、チョッパーはこくりと頷いた。その表情は引きつりぎみであったが。
たじろぎつつも、ルフィの目はサンジに固定されたままで。太陽の光の下で見たサンジの髪は、やっぱりきらきらしていた。
「…何人のことじろじろ見てんだ?」
ルフィの視線に気付いたサンジが、訝しげに問う。ただそんな言葉を貰っただけなのに、どきどきがぽーんっと激しくなった。
「サンジの髪って、きらきらしてんのなっ」
「あん?」
言われたサンジは自分の前髪に視線を向けて。
「ま、オメーよりかは色素薄いからな」
「俺もそういう色だったらよかったのにな〜」
玩具を欲しがる子供のような口調で言うのに、サンジとチョッパーは顔を見合わせて苦笑した。そんな二人の様子に気付かないルフィは、言葉を続ける。
「髪染めようかなぁ、俺」
「…やめとけ、似合わねえ」
一瞬の沈黙の後、サンジが言う。沈黙の時間はおそらく、金髪のルフィを想像していたのだろう。自分の言葉を否定されたルフィは、唇を尖らせる。
「なんだよ、その言い方」
「お前はその色が一番いいよ。なあ、チョッパー?」
突然話しを振られたことに驚いたのだろう。チョッパーはびくっと震えてから、何度もこくこくと頷いた。
「あ、ああ。俺も、自然な色のほうが良いと思うぞ」
何度も首を振るチョッパーの様子が、子供用の玩具のように見えてサンジは密かに笑いを洩らしていた。
「そ…か?」
「ああ。それに俺は好きだぜ? 黒って」
ドキドキドキ。
また走り出す、心臓。抱えきれなくて、なんだかくらくらする。
「おいルフィ、どした?」
「へ?」
「顔、赤いぞ?」
「…そっか?」
サンジに指摘されたルフィは、手で顔にぺたぺたと触れながら問うようにチョッパーを見る。
「うん、赤いな」
そうして返ってきた、肯定の言葉。触れている頬の熱が、一気に上がったような気がした。
「チョッパー捜すのに走り回ったしな〜」
「お前…また効率悪くうろうろしてたんだろ」
苦笑しつつ、けれどからかうように言うサンジと。
「一言言っておけばよかったな。ルフィ、大丈夫か?」
心配そうに言ってくるチョッパーと。
二人の気持ちが、何故だかすごく嬉しくて。
「サンジの作ったモン食えば、すぐ元気になるっ!」
「…そんなコトだろうと思ったぜ。こういう奴だ、気にすんなよ、チョッパー」
言ってサンジはにやりと笑う。何だかんだと言って、自分の料理で元気になれるなどと言われて嬉しくないハズがない。自分の料理に絶対の自信と誇りを持っているサンジなら尚のことだ。
ルフィはそんなサンジを見て、自分も嬉しそうに笑う。相変わらず心臓は、どきどきと走り続けているけれど。
サンジの顔を見ているとやっぱり嬉しくなる。
サンジのそんな顔を見るのが好きだから、このどきどきとは付き合っていかなきゃならないらしい。けれど、どきどきの底に、きらきらした何かが混ざっていることにも、ルフィは気付いていて。
「おら、いつまでバカ面で笑ってんだ。食うんだろ?」
「おうっ。モチロンだっ!」
言いながらサンジが何気なく叩いた背中にも、やっぱりどきどきと、きらきらが混ざっている。苦しいけど、嬉しい。嬉しいけど、苦しい。
今はどきどきもきらきらも同じくらいの割合。だったら話は簡単。どきどきではなくきらきらを大きくすればいいのだ。何とかして。
その方法も見つかっていないのに、ルフィは問題そのものが解決してしまったかのような、晴れ晴れとした気分になっていた。
サンジの髪みたいなきらきらを、自分の中で大きくしていくのだ。これが楽しくないワケがない。
太陽の光の下、サンジの髪は相変わらずきらきら。そのきらきらを見る度に、どきどきが走る。
苦しいような、そうじゃないような、不思議な気分。
苦しいみたいなのに…どうしてだろう?
なんだかこのどきどきが、くすぐったいような、そんな気分になるのは?