ハッシャバイ(Hush-a-by)



 海賊は歌うもんだ、などと豪語しながらもその実ルフィがマトモな歌を唄っているのを聞いたことは殆どなかった。
 そう、過去形だ。
 普段は歌詞もないような鼻歌か、まるきり子供が歌うようなデタラメな即興歌がいい所な船長が。
 まるでらしくなく、静かな声で歌っているのを聞いた時は、思わず自身の耳を疑ってしまった。
 時は真夜中。所は展望室。

 ゆっくりとした旋律。
 紡ぐ声は、こうして聞くとまだまだ少年臭さが拭えない。
 それでいて一度戦闘ともなれば誰よりも果敢に男らしく先陣を切っていくのだから、余の皆々様方にこのギャップはどういうことなのかと問うて回りたい気分だ。
 まあ戦闘以外の普段は、少年どころかただのガキでしかない立ち振る舞いを散々目にしているのだけれど。
 耳に馴染む音。声。
 聞いたことなどあまりないのに、その曲が何であるのかだけは分かってしまった。
 これは、そう。

「サンジ、入ってこねぇのか?」

 音は、ルフィの言葉と共にふつりと途切れた。
 それと同時に我に返り、サンジは些か気まずい気分になりながら展望室へ足を踏み入れる。
 ルフィは入口に背を向ける格好で座っていたらしく、上半身だけを捻ってひらひらと手を振っていた。

「珍しく歌らしい歌、唄ってたじゃねえか」
「ああ、だからすぐ入って来なかったんか」

 歌い続けながらも気配には気付いていたらしい。
 サンジはそれに肩を竦めることで答え、ルフィの隣に腰を下ろした。
 夜の海は暗い。
 波音がなければそこに何があるのか分からないほどに。
 空と海の黒が溶け合っているように見えるほどに。
 けれど空には星が瞬いているのを見ると、天気は上々らしい。

「ガキの頃、唄ってもらってたんだ、今の」
「……へえ」
「覚えたってーより、気づいたら知ってたってカンジなんだよなあ」

 そりゃそうだろうよ、と思ったけれど口には出さなかった。
 優しい、包み込むような旋律。
 自分の知っているそれとは違うメロディーではあったけれど、何の為に歌われたものなのかは自ずと知れた。
 あれは、子守唄だ。
 幼子の為に唄われる、歌。
 愛しい愛しいと、抱きしめ守るための歌。

 誰が唄って聞かせてくれたのか、なんて問うまでもない。
 ルフィの母親だろう。
 もしくは母親代わりの存在、だったかもしれないがルフィの事を思って唄ったであろうことには変わりがない。
 どれだけ人間離れしていようと、ルフィだって生まれてきて存在している以上生みの親がいて当然だ。
 というか、先日思いがけず見えた祖父(海軍の英雄が身内だとは想像もしていなかった)により、ルフィの父親がとんでもない人物なのだと知らされたばかりだった。

 そういえば兄といい祖父といい、何だかんだでルフィの身内とは顔を合わせている気がする。
 そのどちらもが名の知れたトンデモ人物で、かつルフィ自身も億越えの賞金首という札付きだ。
 顔こそ合わせていないが父親だって世界に名が知れ渡っている超ド級の犯罪者、だというのだから彼の血筋はムチャクチャだと言われて然るべきだろう。

「昼間はちっとも出てこねぇんだけどさ。夜になると、なんでか思い出すんだ」

 子守唄、なのだから夜に唄われていて普通だろう。
 夜の闇と旋律を同時に擦り込まれているらしい。簡単な暗示にもかかりやすいルフィらしいといえばルフィらしい。
 歌のことを語るルフィの表情は、ついぞ見ないような柔らかなものだった。
 まるで思い出を語っているかのような。それはあながち間違った表現でもないのだろうけれど。
 ただ、本人がそうとは意識していないだけで。

「おれも唄ってやろうか」
「知ってんのか?」
「ああ。お前のとはちと違うけどな」

 言いながらサンジは指先でルフィを呼ぶ。
 首を傾げながらも素直に従うのを見ながら、その無防備さに愛しさを覚えた。
 隣りに座っていたからか、ルフィは態々立ち上がることはせずに這うようにサンジとの距離を詰めてくる。
 サンジは笑ってルフィの腕を掴むと、ぐいと引き寄せた。
 されるがままになったルフィは、そのままサンジの腕の中に収まる。
 引き寄せながら器用にくるりと体を反転させ、背中から抱きしめるような格好にさせた。

「おお、人間椅子」
「色気ねえな、テメーは」
「んなもんあっても腹の足しにならん」
「言い切るトコかよ」

 言葉通りサンジに背を預け、ルフィは笑っている。
 呆れたように言いながらも悪い気はせず、サンジは自分も笑いながらルフィの肩に顎を乗せた。
 暖かい。
 人肌の暖かさは、否応なしに心のどこかを安堵させる。
 大切な人の体温なら尚のこと、だ。

 熱に浮かされたような気分になりながら、ルフィの耳元に囁くように唄い出す。
 知ってはいても、意識して唄ったことのなかった旋律を。
 子供が出来たわけでもないのに唄う日が来るとは思わなかったけれど。
 ルフィが先程唄っていたそれとは音程が違うにしても、やはりゆっくりとした優しい音色だ。
 込められた感情が同じなのだから、自然似たような音階と雰囲気になるのかもしれない。

「おー……ホントだ、似てっけど、ちがう、な」

 ルフィの言葉が不自然に途切れている。
 だけじゃない、明らかに眠気の含まれた声色に思わず吹き出しそうになった。

「眠ぃのかよ」

 しょうがねえな、と含ませて言えば、ルフィがゆるゆると首を振る。
 けれどその動作すら緩慢としていて。

「んや、見張り……」

 意識の半分以上を眠りの国に突っ込んでおいて、まだ言うか。 
 おかしくて、サンジは今度は堪えずに小さく笑った。
 凭れた体を起こそうとしたのか、それとも笑われたことに気づいたのかルフィが一度もぞりと身じろいだ。
 だが、それ以上は動けないらしい。
 それをいいことにサンジは再び低く唄い出した。
 おまけに今度はルフィの体に回された手の片方がぽん、ぽん、とあやすように肩の辺りを叩く始末。

 素人の単純な催眠にさえかかってしまうようなルフィが、暖かな体温に、心地よい子守唄に、眠りを促す手に、その全てが同時に押し寄せてくることに逆らえるはずもないのだ。
 すっかり弛緩してしまった体がずるずると凭れかかってくる。
 サンジは少し座り方を変えて、ルフィの頭が自身の肩に乗っかるようにした。
 そうしながらも、歌は止めない。

「……のうたも、いい……な……」

 寝言のような調子で言ったのを最後に、ルフィは本格的に寝入ってしまった。
 耳元を擽るような吐息は、すっかり眠っている時の調子だ。
 ややあって歌を止めたサンジは、ふ、と苦笑した。

 お前の歌もいい、なんて。
 よくもまあ人の気持ちも知らないでのたまってくれるものだ。

 要するにサンジは嫉妬したのだ。
 ルフィを一番最初に愛したひとに。
 抱き上げ、無償の愛をそのやわらかな旋律と共に注いだのであろうひとに。

 あー、情けねーおれ。
 普通するか、嫉妬を。実のお母様(多分)に。
 ニッコリ笑ってコイツを生んでくれてありがとうございます、って感謝して然るべきだろうよ。

 自己嫌悪に陥りつつ、片手で髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
 ルフィを腕の中に抱いてさえいなければ、両手で頭を抱え思う存分唸っていただろう。
 何というか、余裕がなさすぎる。いっそ哀しいほどに。
 更に焦燥を煽るのは、ルフィがそんなちっぽけな嫉妬心をも受け容れてくれることだ。
 嫉妬だと気づいていたかどうかは、ルフィ自身にしか分からないことではあるが。

 一癖も二癖もある船員を纏め……ているかどうかはともかく、彼らを少なからず惚れこませ自分の船に乗せている時点で、ルフィの器と度量の広さは知れている。
 躊躇いもなく前を向き、まるで嵐のような逃れ難い引力でルフィに関わった人々を惹き寄せていく。
 自分もその大勢のうちの一人でしかないのかもしれない、と。時折無性に胸を掻き毟りたくなるような想いに駆られることがある。
 想い想われているのだと分かっていながら、それでも尚。

「こーしてる時ぁ、報われてる気もするけどな……」

 言いながら抱きしめる腕に少し力をこめてみる。
 ルフィは安らかに寝息をたてるばかりだ。
 口が少し開いていて、思わず笑った。
 額にかかる前髪をそっと払ってやりながら、サンジはまた先程唄っていた子守唄を口ずさみだした。
 願わくば、ルフィの夢の中まで届くように、と。
 どうせならルフィの口から紡がれるのが、自分と同じ旋律になるように、と。

 宵闇に溶ける子守唄は、静かに響いていった。

END


 

 

すっげ久々のサンル!
きちゃいました熱。
てゆかもう何年越しのリク消化かっていう。
本誌で離れ離れじゃないすか、また……
何かそういう時こそ妄想がかきたてられる天の邪鬼な自分。

サニー号の解説をマジマジ見ながら、見張りは多分展望室だよなー、という想像から。
んで相変わらず当番制だろなー、と。
しかしサニー…広くなったおかげで人目から隠れられる場所も多そ…むにゃむにゃ。


UPDATE/2009.5.12(火)

 

 

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