或いは奇跡を起こすその腕
存在そのものが奇跡だ、なんてよくぞ言ったものだと思う。
アイツがいるのといないのとじゃ、空気が違う。…そう感じるのは、或いは俺だけなのかもしれないけど。
「サンジ、サンジ、サァ〜ンジ〜!」
呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ。というか寧ろ、叫ぶと言った方がおおよそ正しい声で。
お気に入りの船首に胡座をかきながら、船長はよく響く声で叫んだ。
そう広いとも言えない船内に、その声は充分すぎるほど響き。…船内どころか、広い海原の彼方にまでその声は広がっていった。
「うるせぇクソゴム! 聞こえてるっての!」
負けじとばかりに怒鳴り返してくる声は、キッチンから。毎日繰り返されるやり取りに、他のクルーは取り立てて反応を示そうとはしない。
サンジは苛立ちながら、キッチンのドアを開けて外に出た。…こうでもしないと、あの船長は名前を呼び続けるから。
「なあ、今日のおやつは果物にしてくれなっ」
「あん?」
突然何言い出しやがる、このクソゴム。
内心でそう呟きはしたサンジだが、火を付けたばかりの煙草を落とすのは嫌だったので、眉を寄せるだけで自分の感情を表現し。…まぁ、この船の船長にそれだけで自分の意図を汲み取ってもらおうなどとは、端から考えてはいなかったのだが。
しかし……
「珍しいな、お前がそういうリクエストすんの」
いついかなる時でも希望を聞くと(そう、それが爽やかな朝であろうと、真夜中であろうと関係ナシに!)その答えは決まって『肉!』の奴が。
まさか。自分から。サンジを呼び寄せてまで『果物が食べたい』とのたまう日が来ようとは誰が想像できただろうか。いや、できまい(反語)。
「んん、なんか急に食べたくなった」
神妙な顔を作り、ルフィは何を一人納得しているのかうんうん、と頷いてみせた。
気まぐれなのはいつものことだけれど。この船長の気分は、グランドラインの天候よりも余程変わりやすい。
「ナミのみかん、食いてえな〜」
船首に腹ばいになりながら、ルフィはしししっと笑った。ちょうどみかんの手入れをしていたナミは、その言葉を聞きとがめてルフィに視線を向ける。
…確信犯だな、クソ。
ルフィの言動をキッチン前の手すりに寄りかかりながら見ていたサンジは、誰にも聞こえないように舌打ちした。そんなサンジの機嫌など知る由もないルフィはと言えば、ナミのみかんを貰おうと交渉を開始する。
「な〜ナミ、いいだろ? みかん、食いてえ」
言いながらルフィはごろりと転がり、今度は船首の上に仰向けになった。
カナヅチのくせして、よくもまあ器用に転がるもんだな。落ちた時のことなんか考えもしてねーんだろ。…ていうか。落ちた時に助けに海に入るの、誰だと思ってやがる。
聞こえはしないし、伝わりもしないのを分かっていながら、サンジは胸の内で一気にまくし立てた。
…多分それは、見ている方が怖いからだ。見ている方が、疲れるからだ。落ちてしまわないかと。海に引き摺り込まれ、二度と帰ってこないのではないかと。
「な〜いいじゃんか〜」
そんなコックの心情などお構いなしに、仰向けに転がったルフィは頭に血が下がりそうな体勢でなおもナミに話しかけている。
落ちた時に飛び込みに行く要員がいなければ困るから(剣士は惰眠を貪っているらしく微動だにしなかった)、と自分の中で理由づけをしてサンジは手すりにもたれたまま短くなった煙草を床に落とし、靴の踵で踏みつけた。
「ナ〜ミ〜」
太陽は、丁度船の真上辺りに位置している。仰向けで首を逸らしているルフィの喉が、太陽の光を受けてやけに白く見えた。
それから、いつもは前髪のせいで見えない額が。仰向けになって首だけが逆さまになっていれば、当然重力に従って前髪は下に落ちる。
あんだけ外にいるくせして(しかも日当たりのいい船首に座ってるのが常だというのに)ほとんど日焼けしねーんだな、アイツ。
「別にいいけど…まさかタダでとは言わないわよねえ?」
ルフィの言葉に、ナミがにやりと笑いつつそう返した。過去に魔女と称されたその笑い方。けれど当のルフィはと言えば、それに動じるわけでもなく。
「ええ〜なんだよ、金取る気かよ」
「…アンタ、払うだけの金あんの?」
「しししっ、ない」
笑いながらきっぱり言い切ったルフィに、ナミは溜め息をつきつつ首を横に振った。そんなことだろうと思ってたけど、とでも言いたげに。
「あんたねえ…それが胸を張って言うべきことじゃないの、ちゃんと分かってるの?」
「いや、あんまり」
「…言うだけ無駄よね、アンタには」
呆れたように言うナミだが、言葉とは裏腹にその表情は穏やかなもので。そんなナミの表情に気付いているのかいないのか、ルフィはなんだよ、いいじゃんかよくれよ、などと喚いている。
だからそれ、確信犯だろお前。
相変わらず転がったままのルフィを見ながら、サンジは内心でまたも悪態を付かずにいられない。
この、ガキでワガママで俺様なこの船の船長は。結局最後の最後には、他人を自分の思うままに動かす術を知っている。
「まったくもう…じゃ、次に街に降りた時、荷物持ちすること。いいわね?」
「分かった、いいぞ」
…ほら、ナミさんまであっさり陥落させやがった。生まれついての王様気質ほど、厄介なモンはねえよな。
「分かったら手伝いなさい。あげるから」
「おうっ」
ナミの言葉に威勢よく頷いたルフィは、寝転んでいた船首からがばっと起き上がり。そこから身軽にぽんっと甲板の方に飛び移ってきた。そのまま、ルフィはナミの元へと走って行く。
…だから、落ちるっつってんだろ。もう少し落ち着いて行動しろ、クソゴム。
みかんの木の下で談笑しているナミとルフィの姿を見ながら、サンジは胸の内でそう呟き。
……ああでも。
こんなことを考えちまうのも、今も麗しのナミさんじゃなくあの麦わらを目で追っちまってるのも、俺もハマってる証拠なんだろうな……アイツに。
なんだかんだ言いつつ、この船のクルーは船長に甘いのだ。甘やかしては躾にならない、なんてことくらい皆が承知しているはずなのに。
…それでも。
サンジの視線の先で、ルフィはナミにみかんのもぎ方を教わっていたりして。楽しそうな嬉しそうな笑顔に、サンジは頭の中でみかんを使った料理を算段し始めてしまう。
…あ〜クソ……完璧、ハマってるっての。なんだって俺があんな、クソガキに、なぁ。
自分の思考に頭を抱えたくなりながら、サンジは新しいタバコを取り出し、火をつけていた。
灰の奥まで苦い煙が染み込んでいく感覚がする。それが心地良いものに感じられるようになったのは、いつの頃からだっただろうか。
サンジはゆっくりと煙を吐き出し、その向こう側にいる航海士と船長の姿をぼんやりと見やった。煙の向こう側の景色は、霧がかったかのようで。
ああ…そういや。ルフィに俺の手のこと言われたのも、霧のかかった日だったな。
その日は朝から決して薄いとは言えない霧が海上に立ち込めていて。いつもなら船の上を所狭しと走り回っているルフィがキッチンのテーブルで暇を持て余していた。
「霧って、なんかじっとりするからいやだ」
そんなことを言ってぶーたれるルフィに、サンジは肩をすくめて答える。
「そりゃお前、仕方ないだろうが。水分なんだしな」
「……ひまだー」
テーブルに上半身を投げ出し、その下で足をぶらぶら揺らすその様子は子供そのもので。
昼食の下準備を終えたサンジは、一息つこうと振り向いた所にルフィの姿を見て、思わず小さく吹き出していた。
「サンジ、終わったのか?」
微かな空気の震えに気付いたのだろう。ルフィが顔を上げる。
「あ? ああ、一応な。昼まで俺は休憩だ」
「じゃ、サンジ。そこ座れ」
「あぁ?」
何となく嬉しそうなルフィが指し示したのは、自分の丁度真向かいに当たる席で。まぁ休憩しようと思ってはいたのだが、何故座席の指定までされるのか腑に落ちずに。
……何より、ルフィが漂わせている嬉しそうな雰囲気が。サンジの本能に警告を与えていた。
「…何させようってんだ?」
警鐘に従い、ルフィにそう問うと。
「腕ずもうしよう」
「…は」
「だって、ひまなんだよ。することがない」
だから、腕ずもう。そう繰り返してルフィは早く座れ、とサンジを促す。
「お前の思考はぶっ飛んでるな〜…相変わらず」
いきなり何を言い出すかと思えば。暇を解消する為に腕ずもうをしよう、という考えに行き着く思考回路がよく分からない。
「ぶっ飛んでてもなんでもいいからさ〜座れよ、サンジ」
「…まあ、座ることに関しちゃ依存はねえけどよ。腕ずもうはゴメンこうむるぜ?」
言いながらサンジは椅子を引き、そこにどっかり座り込んだ。そうしてポケットからタバコを取り出し、火を付ける。
「ええ〜なんでだよ〜暇なんだよ〜」
「コックに無駄なことさせんな」
「ひま……」
「うるせえ」
呟くルフィにとどめとばかりに一喝してやる。ルフィは何か言いたげな顔をしていたが、結局黙り込んで。
「ひまだなぁ…」
ぽつりと呟き、またテーブルの上にぐたあと倒れ込んだ。
「だからってなんでここにいるんだよ。他に暇そうな奴探せばいいじゃねえか」
「みんな忙しいんだ。仕方ないから船首に座ってたら、ナミに怒られてさ」
「そりゃお前が悪いだろ」
普段のように晴れているのならまだしも、今日のように霧のかかった日にあんな安定の悪い場所に陣取られたのでは気が気じゃない。
「大体なんでお前はいつもあそこに座りたがるんだ? 落ちたら即海なんだぞ? 自分が泳げないの分かってるか?」
畳み掛けるように言ったにもかかわらず、ルフィはけろりとしたもので。
「だってあそこ座ってると気持ちいいんだぞ? 見晴らしいいし」
「…そんなに見晴らしにこだわるなら見張り台にでも立ちゃいいだろうが」
「んん、ダメだ。見張り台と船首は違うんだ」
頑固に首を振るルフィに、サンジは嘆息せずにいられなかった。
…何が違うんだか。
何度注意しても船首に座ることをやめないルフィのことだ。まさか諦めるはずはないと思っていたが、やはり返ってきた答えはいつもと変わらず。
「もういいけどよ…でも、座るのは昼間の明るい時だけにしろよ? ナミさんにも言われてると思うがな」
「ん、分かった。…でも俺、落ちないぞ?」
…ぬけぬけと何言ってんだか。
もう言葉にする気力もなくて、心の中だけでそう呟くと。サンジは煙を肺の奥まで思いきり吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
…こういうなんでもない時間は、結構貴重で。トラブルもなく、することもなく、頭を空にしてタバコの味だけを感じていられる。
一日のうちであるかないかのくつろぎの時間。
…を。なんでこのトラブルメーカーと過ごしてんだかね、俺は。
「珍しく大人しいな、お前」
「することなくて、眠くなってきた」
「……ガキ」
あまりといえばあまりの言葉に、苦笑しながらサンジは呟いていた。対するルフィはと言えば。
「なんだよ、サンジが悪いんだろ。腕ずもうしてくれねーから」
「責任転嫁するんじゃねえ」
聞き捨てならない言葉にそう返すと、ルフィは眠そうな声でだから寝るんだ、と返してきて。
ふあ、と欠伸をするのを目にしてサンジは無言で肩をすくめた。ガキだガキだと思ってきたが、まさかここまでとは。
あー…ガキっつーか、自分の本能に逆らわないっつーか、なんだろうけどな。
「サンジの手って、キレイだな」
「は?」
唐突なルフィの言葉に、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
見ると、自分の腕を枕代わりにしながら、ルフィはテーブルの上に置かれたサンジの手を見ていて。思わぬ真剣なまなざしに、サンジは一瞬気圧されて黙り込む。
「水とか火とか包丁とか使ってんのに。キレイだな」
「…そうか?」
「うん。マキノなんか、冬は手が荒れて大変だって言ってたぞ?」
「マキノ?」
…以外だ。コイツの口から女の名前が飛び出すなんて。
コイツのことだから、恋人だなんてオチはないと思うが。いやでも、案外にしてこういう奴に許嫁がいたりなんかするんだよな。
「マキノはな、俺の村にあった酒場を経営してるんだ。俺、結構良くしてもらってさ。宝払いでメシ食わせてもらったから、いつか払いに行かなきゃなんねーんだ」
「へえ…」
予想は外したが、まぁそんなとこだろ。
サンジの内心での呟きを他所に、ルフィは微笑する。
「マキノも、村長も、村のみんなも…元気でやってんのかな……」
ついぞ見ないルフィの表情に、サンジは目を奪われていて。
…ああ、そうか。コイツが自分の口から過去のこと話すのが、初めてなのか。
ルフィは今、自分の過去に思いを馳せている。今まで見たことのない表情に、サンジの胸の内に複雑な思いが去来した。
確かにルフィは子供のように騒ぐが、饒舌かと言えばそうでもなく。
むしろ、ストレートな発言しかできない、嘘のつけない口下手に位置するのではないだろうかと思う。
そんなルフィが、自分の過去を語るはずもなく。かと言って周りも聞こうともしないものだから、この船のクルーですら船長の過去の詳しい経歴を知る者はいなかったりする。
何より、過去のことを知った所であまり意味はなさないから。特にこの船長相手では、そう思ってしまう。
バカみたいにまっすぐで、恥ずかしいほどに前を向き続けるその姿勢を見ていると。過去を振り返り気にする余裕すら与えられない。
……だから。
ルフィの方からこうして自分のことを話してくれるのは、希少な出来事なのだが。
…なんか、おもしろくねぇ。
「サンジ、手ぇ見せろ」
そうこうしているうちに、ルフィの興味は別の所に移ったらしい。サンジは半ば反射的に、ルフィの言われるまま自分の手を差し出していた。
「やっぱり、キレイだな。指も長いし」
「…キレイだなんて褒めるのは、女性にしとけ」
俺は言われても嬉しくねえ、と忠告してやるのだが。ルフィはきゅっとその眉を寄せて。
「なんでだ? キレイだと思ったからキレイだって言うんだ。嘘はついてない」
「あー…だからよ……」
説明しかけて、サンジはふと口をつぐむ。面倒になった、というのがまず一つ(どうせ言った所でルフィが理解を示すとは思わなかったから)。
もう一つは……
「サンジ?」
答える変わりに、サンジは自分の方からルフィの手を掴んで。
「ああ、まぁ…そうだな。悪くねぇよ」
「なんだ? 何がだ?」
「そうだよな。確かに、キレイだと思ったもんをそう言うのは間違いじゃねえ」
「しししっ、だろ?」
「…ああ」
…もう一つは。
何だかんだ言っても、自分がルフィのこんな所まで気に入っているからだろう。…間違っても、口に出したり態度に表したりするつもりはないが。
「お前の手は、お前のまんまってカンジだな」
「どういう意味だ?」
「ガキっぽいってこった」
サンジが意地悪く笑いながらそう告げてやると、ルフィは眠そうな顔でそれでもムッときたらしく。
「おわっ?」
サンジは腕を、痛いぐらいにルフィに引っ張り返され思わず椅子から落ちそうになる。慌てて体勢を立て直したため、不様に転がり落ちることは免れたが。
「おい、いきなり何しやが…」
「そんじゃぁ、サンジの手は女好きの手じゃねえか」
「……言いやがったな」
「それから……」
ルフィは、目の前にあるサンジの手をジーっと凝視していたかと思うと。突然。
「だあぁっ?! 何しやがる!」
今度こそ、サンジは椅子から離れた。と、言っても転げ落ちたのではなく自分から立ち上がったのだが。
ルフィはと言うと、自分の取った行動に疑問など微塵も感じていないらしく。体勢は変えないまま首だけを微かに動かしサンジを見上げて、微笑った。
「やっぱりだ。サンジの手は、サンジの作る料理の味がするな」
「それ確かめるためにいきなり人の掌舐めんなっての!」
このクソゴム。ネボケやがって。踵落としの一つでもお見舞いしてやろうか。そしたら目も覚めるだろ。
料理の味がすんのはさっきまで下ごしらえしてたからだっつの。お前ずっとそこに座ってただろうが。何見てやがった。あー…クソ。何も分かってない顔しやがって。
「いいな、サンジの手は」
「あん?」
胸の内でつけるだけの悪態をついていたサンジは、危うくルフィがポツリと洩らした言葉を聞き逃すところだった。
「魔法みたいに、いろんなもん作れるじゃんか。だから俺、お前の手、好きだし羨ましいと思うぞ?」
「…魔法、ねえ……」
「サンジの料理食べると、幸せな気分になれるじゃん。美味しいから、笑えるじゃん。それって、魔法だろ?」
…やっぱコイツ、眠いんだな。ルフィが、こんなに饒舌なワケがねぇ。
「意外とロマンチストなんだな、お前」
「本当のことだぞ」
嬉しそうに楽しそうに言って、ルフィはへらっと笑う。その笑顔が、サンジの料理を食べる時と同じで。
「……眠いんだろ、お前。いいから、寝ちまえ。昼飯できたら起こしてやるから」
「んん? なんだよ、いきなり」
「眠そうな顔しやがって、見てる方が眠くなってくるだろうが。いいから、寝てろ」
「……うん?」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、ルフィは心地よさそうに目を細めたが。やはり先程から眠かったせいだろう。
「ん、寝る。起こしてくれな? 絶対だぞ?」
一つ欠伸をすると、ルフィは目を伏せた。そのまま、間を置かずしてくうくうと寝息が聞こえてくる。
「…お前のことだから、どうせ俺が起こさなくてもメシ時には起きてくんだろうがよ」
苦笑まじりに呟き、サンジは傍らに置いてあった自分の上着をルフィにかけてやる。覗き込んだその顔は、幸せそうに眠り込んでいて。
「相変わらず寝つきのいい奴…」
呆れたような口調で言うと、サンジは大分短くなってしまったタバコを揉み消した。
あ〜あ…いくらも吸ってねえのになぁ。
「んん…メシぃ……」
「ハイハイ、分かりましたよ、キャプテン」
色気のねぇ寝言だなぁ、オイ。ま、コイツにそんなもん求めるのが間違いなんだろうけどな。
すやすやと寝息を立てるルフィの髪を撫でながら、サンジは自分でも気付かぬうちに穏やかな笑みをその口元に浮かべていた。
見た目よりも柔らかいルフィの髪は、存外に触りごこちが良くて。
その髪に触れながら、サンジはゆっくりと煙を吐いた。
「魔法ねぇ…ったく、どこで覚えてきたんだか」
今頃になって、照れてみたりして。いつもより少し熱い頬を意識しつつ、今ここに誰かがいなくて良かった、と思う。
いつもいつも、自分の作った料理を頬張っては満足そうに笑って。『やっぱ、サンジの料理はうめぇなぁ〜』なんて言ってくるのが常だったものだから。
「…柄にもないこと言うなよな〜…クソっ」
嬉しいじゃねぇか、とは心の中でだけ呟いて。サンジは、机の上に投げ出されているルフィの手に目をやった。
……俺の手が、魔法を使うのだとしたら。お前の手は、奇跡を起こしてるじゃねぇか。
そんなことを胸の内で呟きながら、サンジはルフィの手に自分の手をそっと重ねた。
起こさないように、と細心の注意を払いながら。無論、ルフィが一度寝たら(食べ物関係以外では)簡単には起きないことを、サンジが知らないはずはないのだが。
「…ちっちぇえ手。どこにあんなクソ力があんだかなぁ」
強敵を打ち倒していくその力が。迷うことなく前へ、夢へと向かって行くことのできるその力が。
…そういや俺も、コイツに手を引かれたんだっけか。
くすぶっていた所を、強引に手を引かれて、連れ出されて。そうして、夢へ向かって進んでみろ、と背中を押された。
「俺の魔法なんざ、安いもんだぜ…」
人を、心を、動かすことのできるその奇跡に比べれば。
「助力は任せろよ、キャプテン。俺らはみんな、お前が前へ進むための布石になってやる」
だからお前は、前だけを向いていればいい。
……誰も、敢えて口にしたりはしないけれど。この船のクルーは、少なからずどこかでルフィに救われているのだから。
サンジは穏やかな寝息を立て続けるルフィを見やると、ふっと微笑して。重ねていた手をどかすと、ルフィの手の甲にそっとくちづけた。
…さながら、忠誠を誓う騎士の如く。
「……さって、そろそろ作るかな」
呟いて、サンジは昼食を作る準備に取りかかった。思わぬ穏やかな時間と、おそらくはこの船のクルーでは自分だけに語ってくれた、ルフィの小さな過去。
それをもたらしてくれた霧に、少しばかりの感謝をしながら。
「奇跡、か……」
呟いて、サンジはふうっと煙を吐き出す。或いは、緩みそうになる口元を隠すために。
けれど、とふと思う。
さっきはアイツを王…キングだと言ったが、それは少し違うかもしれないと。
王ではあるけれど、アイツはきっと駒じゃない。盤面を見守り動かす、プレイヤーの方なんだろう。
嬉しそうに楽しそうに笑いながら、世界をその手に掌握する。そんな非常識なことすら、ルフィなら無し得てもおかしくはない。
「……その時まで横にいさせろよ、キング」
…できることなら、その先までも。俺はお前の、忠実なる騎士になってやるから。
「おいルフィ!」
「なんだ、サンジ?」
呼ぶと、みかん片手に顔を覗かせる。…何も考えていない、王様。
「終わったらそれキッチンに持って来い。俺は下準備してっから」
「分かった!」
…ま、結局。俺も甘やかしてんだよな。
苦笑しながら、この船の料理人兼船長の忠実なる騎士は、キッチンへ続くドアを開けた。
Fin
|