【おまえが世界をこわしたいならパロ】
(環奈=天国、蓮=御柳、ルイ=剣菱、マリア=凪)




 隣家のドアは、御柳が開けるより早く内側から開かれた。
 まるで自動ドアのように。
 ドアノブに手を伸ばしかけていた御柳は足を止め、剣菱の顔を探るように見据える。
 御柳の不機嫌そうな表情に、剣菱は肩を竦めて苦笑った。


「ドアを壊されちゃたまんないから、自分から開けただけだよ」


 柔らかな言葉に、けれど御柳はじろりと恨みがましい目を向けた。


「聞こえてたんなら手伝いに来てもいーだろが」

「冗談。他人の問題に首を突っ込むほど悪趣味じゃないよ、俺は」

「アイツ連れてきた時は手伝ってくれたじゃねーか」

「そりゃあ部屋に血塗れで駆け込んでこられちゃあね」

「…………」


 まあ入ればと促され、御柳は部屋に足を踏み入れた。
 引っ越してきたばかりの部屋は、荷物が少ない。
 けれど荷物が少ない理由がその所為だけではないのを、御柳は知っていた。
 自分も、同じだからだ。

 数年、早い時には数ヶ月単位で住む場所を変えなければならない彼ら血族にとって、多すぎる荷物は邪魔になるだけ。
 時間が流れない彼らは、各地を放浪するように転々とする。
 故郷、そんなものあってないようなものだ。
 かくいう御柳の部屋も、シンプルというより殺風景な程に物は置かれていなかった。


「助けを求められればそりゃ応じるけどさ。それ以外は手出ししないからね」

「そういやアンタは、百年前もそんなこと言ってたな」

「まあ性格なんてそう変わるもんじゃないよ」

「……そうかもな」


 ああ疲れた、とぼやきながら御柳はソファにどさりと腰を下ろした。
 天国が目覚めるまでマトモに休めていなかったのだ。疲れるのも仕方ないだろう。
 オマケに目覚めてからは一騒動だ。
 はー、と息を吐きながらソファにずるずるともたれかかった。

 持ち主の趣味なのだろう、アンティーク風のソファは程よくスプリングが利いていて座り心地が良かった。
 おそらくは御柳の部屋にあるそれより、ずっと。


「ああ凪、俺は自分で淹れるからさ。彼に持って行ってあげてくれる?」


 剣菱がキッチンに向かってそう声をかける。
 分かった、と軽やかな返事が返ってきたことに、どうやらお茶の時間を邪魔したらしいことに気付いた。
 だがそれに謝る気にもなれず、相変わらずこの兄妹は優雅だなと、そんなことを思っただけだった。
 甘い匂いがする。


「じゃあ行ってきます。お兄ちゃん、ポットよろしくね」

「うん。凪も彼のこと頼むね」

「はい。御柳さん、ゆっくりしていってくださいね」

「ああ……悪いな」


 力なく言って手を振る。
 二人は変わらない。
 笑顔も口調も、百年前とそのまま同じだ。
 意識がフラッシュバックするような感覚。

 凪が手にしていた小さなトレイに乗っていたのは、どうやらココアらしい。
 甘い、少し甘ったるすぎると御柳には思えるような。
 そういえば剣菱も凪も、甘いものが好きだったと思い出した。


「せめてもう少し優しくしてあげなよ」

「……首突っ込まねえんじゃなかったのかよ」

「どうしようもなくなってここに来たみたいだから、アドバイスしてあげただけ」

「面倒看てやっただけでも充分っしょ」

「それでなくても変化したての頃は途惑うし不安定なんだからさ」


 剣菱の言葉に何か返すのも億劫で、御柳は窓の外に目を向けた。
 御柳のどんよりした思考とは裏腹に、窓の外の空は雲一つない青空が広がっている。
 皮肉だな、と思った。

 あの夜は、雨だった。
 霧のような、白い糸のような雨が静かに降っていた。
 通り過ぎる車。
 一瞬、目が合った。
 向こうもそれに気付いたのだろう、驚きに見開かれた目。

 本当は。
 天国を仲間にする気などなかった。
 街中で、店先で、目にするその度に目が行っていたのは本当だ。
 それは今更否定しない。
 似てるな、そう思った。
 だから、気になった。

 だけどそれだけだった。
 それ以上なんてなかった。
 言葉を交わしたいと思ったことも、まして血族に引き込もうなどとは微塵も考えていなかったのだ。
 魔が差した、そうとしか思えない。

 あの時。
 事故が起こらなければ。
 天国が死にかけている姿を目の当たりにしなければ。
 今でもきっと、街中でよくすれ違う他人同士でいた筈なのに。


「過ぎたことぐちぐち言ってる暇があるなら、これからどうするか考えろって言ってるんだよ、俺は」

「分かってんよ、それぐらい」

「分かってないね。少しでもそういうのが頭にあれば、もっとマシな対応出来てた筈だろ」


 あのコ、凄い泣いてたじゃないか。
 非難され、御柳は鬱陶しげに眉を寄せて剣菱を見た。


「……聞き耳たててんじゃねえっつの」

「聞こうと思ってなくたって聞こえるんだよ、仕方ないだろ」

「……それも、分かってんよ」



 目も耳も鼻も。
 彼ら血族は、ほとんどの五感が常人のそれよりずっとよく働く。
 剣菱の言葉は嘘じゃない。
 今だって聞こうと意識を集中させれば隣りの部屋の会話も物音も聞き取ることが可能だ。
 この安アパートの壁は薄いから、余計に。
 普通の声での会話も聞こえるのだ、先程の喧騒はさぞよく響いていただろう。
 ぼんやりしながら、御柳は隣りで交わされる会話を聞いていた。


『ココアどうぞ。落ち着きますよ』

『あ、ありがとう、ございます』

『熱いですから、気を付けてくださいね』

『はい……あ、の』

『あ、自己紹介してませんでしたね、すいません。私、鳥居凪です。隣りに兄と住んでます』

『猿野天国、です。てんごくって書いて、あまくにって』

『怪我の方は、もう大丈夫ですか?』

『多分……痛いとこ、別にないんで』


 ぽつぽつと喋る天国は、どんな表情をしているだろうか。
 部屋を出てくる時にはもう涙は止まっていたようだったけれど。
 脳裏をちらつくのは、天国の泣き顔だ。
 街中で見かけた横顔と、怯えて泣いた顔。
 御柳が知っているのは、それぐらいだ。
 名前も名乗り合っていない。


「てんごくくん、か」

「……皮肉な名前だな」

「いー名前じゃない。全く、相変わらず素直じゃないね」

「性格なんざそう変わるもんじゃねえんだろ」


 苦笑する剣菱に、投げ遣りに言い返した。
 天国。
 口の中でその名を呟く。

 俺たちが、その場所を見ることは。
 あるんだろうか。
 もしも在るとしたら、その場所は。
 今日の空のような、色なのだろうか。

 眠い所為か思考がまとまらない。
 ふっと息を吐いた御柳は、軽く頭を振った。
 これから始まる天国との生活は、きっと一筋縄じゃいなかいだろう。
 そんな予感とも言えぬ予想があった。


「まあ先ずは自己紹介からだよね〜」

「……うるせえ……」




END

 

 

 



Web拍手掲載期間→2005.11.15〜2006.1.19

 

 

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