【おまえが世界をこわしたいならパロ】
(環奈=天国、蓮=御柳)




 それから数分は、嵐のような時間だった。

 御柳は天国に血を飲ませようとする。
 だが天国は決して飲むまいと抵抗する。

 御柳の住むアパートはお世辞にも広いとは言えない。
 壁も薄めだし、床も同様だ。
 その中での攻防は、さぞうるさかったに違いないだろう。
 苦情がきてもおかしくないほどに。
 幸いにも御柳が住むのは角部屋で、隣りに住むのは同族、階下には学生が住んでいる為昼間は誰もいないという条件が整っていた為、ドアをノックされることはなかったのだけれど。

 攻防に競り勝ったのは、天国だった。
 部屋の中は、見るも悲惨な有様だ。
 床にも壁にも血が付着し、どう見ても異様な光景だった。

 逃げようとしたのかそれとも偶然か、息を切らせた天国はドアの傍に座り込んでいる。
 途中外へ逃げるかとも思ったが、彼はそうしなかった。
 出来なかったのだろう。
 歯が伸びたままでは、外を歩くことも出来ない。
 マスクでもあればまた別だろうが、生憎着の身着のままここへ運び込まれた天国にそんな用意があるはずもない。

 天国が来ていたシャツにはあちこちに血が飛び、包帯もほどけかけていた。
 対する御柳も天国に巻けず劣らず血塗れだったのだけれど。
 御柳から逃げるように、壁に顔を向けて座り込んでいる。
 天国の表情は、血を飲むまいと抵抗している間も終始呆然としていた。


「テメ……どーすんだよ、ストック全部零しやがって。もうねーじゃんか! 血だってタダじゃねんだぞ…!」

「……っう、く」

「くそ…それにこの部屋、散々じゃねーか。血は落ちにくいってのに……ああもう!」


 苛々と言う御柳に、天国は首を振る。
 言葉の代わりに洩れたのは嗚咽だった。
 壁に取り縋るように手を着き、ぐすぐすと子供のように涙を零す。
 普段だったらこんな風にはならない。
 涙脆いのは自覚しているが、こんなみっともない泣き方はしない。
 だけど…今は。
 突然放り込まれた訳の分からない世界に、頭が着いていけなかった。

 こわい、いやだ、かえりたい。

 何がどうなったのかよく分からない中で、それだけを思う。
 ここは自分の住む世界じゃない。
 早く、早く帰らなければ、と。


「しゃーねーな……くそ」


 苛立ちに巻かせてがしがしと頭を掻いて、御柳は足取りも荒く部屋の中を横切ると窓際に置いてあるローテーブルの引き出しを開けた。
 がちゃり、とその手で掴んだもの。
 それは注射器、だった。

 注射器を片手に、座り込んだ天国の元へ向かう。
 途中部屋の真ん中辺りに転がっていたコップを空いてる手で拾った。
 近づいてくる足音に、天国がそろそろと御柳を覗い見た。


「これはやりたくなかったんだけど……テメーがあんまり強情な所為で最終手段決行かよ」

「な、に……」


 泣き腫らした目の天国を見て、御柳はフンと鼻を鳴らした。
 さっさと本能に降伏すれば楽なのに。
 手間かけさせやがって。
 ぼろぼろと泣きながらも、手におえないぐらい強情。
 数分間の対峙の中で、御柳はそれを知った。

 形振り構っていられない。
 さっさと血を飲ませてしまいたかった。
 次は何をされるのかと不安げにしている天国のその目の前で。
 御柳は何の前触れもなく、自分の腕に持っていた注射器の針を刺した。
 ぷつり、と音がしそうな勢いで。
 その行為には迷いも躊躇いもなかった。
 手慣れている、そう表現するのが1番近いような動作だった。

 針が刺さった瞬間、天国が息を呑む。
 口で内筒を咥えて引き、採血した。
 それをコップに注ぐ。
 天国は目の前で起きた出来事がショックだったのだろう、目を丸くして硬直していた。


「これまで零しやがったら承知しねーかんな」


 凄んで見せてから、御柳はコップの中身をくいと煽った。
 そのまま、硬直する天国に口付ける。
 一拍遅れて天国が身を捩ったが、御柳は逃げられないように天国の腕と頭を押さえていた。
 掴まれていない方の腕で、天国が御柳の肩を叩く。
 どん、と音がしたが御柳は目を細めただけだった。

 そうこうしている間に直接口に流し込んだ血を、天国はこくんと嚥下した。
 飲んでしまった、そのことに気付いたのだろう。天国の肩がびくりと揺れた。
 唇を離すと、天国が咳き込む。
 信じられない、そう言いたげな顔をしていた。
 唇の端から飲み下し切れなかった血が垂れた。

 天国が飲み込んだのを確認して、御柳はもう一口血を煽る。
 まさしく身を挺して提供した血なのだ、最後まで飲ませてやろうと思っていた。
 幸いにも採血した血はそう多くなく、天国の歯の伸び方から言ってもそう量はなくとも歯は元に戻るはずだった。

 二度目は、一度目より簡単だった。
 血を飲んだという事実にショックを受けたらしい天国は、呆然としていたので。
 顎を掴んで上向かせると、唇を重ねた。
 まだ暖かい血を流し込み、嚥下するのを待つ。
 二口目も、天国はちゃんと飲んだ。
 見開いた目に驚きと恐怖、それから安堵にも似た色が写る。


「ほら」


 唇を離し、指先で天国の歯に触れる。
 鋭く尖っていた歯は、元通りになっていた。
 肩で息をする天国の顔は、散々だ。
 涙の跡はあるわ、泣いた所為で目元は赤くなっているわ、おまけに口の周りには血だ。
 流石に少し可哀想な気がして、御柳は苦笑する。

 けれど、飲ませない訳にはいかなかった。
 己の体の変化を理解してもらうには、それが1番早くて分かり易い方法だったのだ。
 御柳は伸ばした手、その指で天国の顎に伝う血を拭ってやった。
 呆然、というより愕然としている天国は、御柳の指に抵抗することも忘れているようだった。


「言ったっしょ? 飲めば直るって」

「………を……」

「んん?」


 掠れた声で天国が言った。
 半分以上声になっていなかったそれに、眉を寄せて聞き返す。
 見上げてくる天国の目は未だ混乱を湛えてはいたものの。
 それでも、段々と理解しつつあるようだった。
 自分の身に何か変化があったこと、それを。


「俺はこれから、血を飲んで、生きるのか?」


 ああ、理解が早くて助かるね。
 やっぱ知識より実践っしょ。

 怯えを残しつつもまっすぐに御柳を見据えてくる。
 その視線を受け止めながら、御柳はごく小さく、笑った。





END

 

 

 



Web拍手掲載期間→2005.11.15〜2006.1.19

 

 

        閉じる