【おまえが世界をこわしたいならパロ】
(環奈=天国、蓮=御柳)





 知っているのは、横顔だ。
 何度か、注文を受けた時に正面から向き合ったこともあるが、天国にとって一番印象深いのはやはりその男の横顔だった。
 名前も知らない。
 だけど気になる。

 ああ、そういや一つだけ知ってることがある。
 彼は玉ねぎが苦手らしい、ということ。

 天国がバイトをしているファーストフード店、御柳はそこに何度か訪れたことのある客。
 二人の関係は、そんな風に薄い、風に吹かれたら消えてしまうような程度のものだった。



 夢を見た。
 空から落ちる、夢だった。
 雲の上から地上へ向けて、まっさかさま。
 落ちることに恐怖はなかった。
 何かに引っ張られ、吸い寄せられる。
 その意識の方が強くて、落ちるという感覚があまりなかったからかもしれない。

 落ちる、落ちる、引き寄せられる。
 空の高くから、ずっとずっと。
 落ちて行く先に、人がいる。
 立っている。
 まるで無防備に。

 ぶつかる、よ……

 言葉は声にならなかった。
 喉が塞がれているかのように。
 立っている人物が、天国に気付いたのか顔を上げた。

 ――俺?!

 立っていたのは、天国自身だったのだ。
 落ちてくる天国に気付いて、けれど驚く風もなく静かな目で見上げてくる。
 避けられない。ぶつかる。
 立ち尽くす天国の目が、アップになる。



「……っ!!」


 どん、と背中を思いきり突かれたような気がして天国は目を開けた。
 心臓がどくどくと脈打っている。
 早い。
 早過ぎて息が苦しい。
 小さく咳をして、天国は体を起こした。


「……え」


 右手が重い。
 というより、暖かい。
 不思議に思って目をやれば、誰かに手を掴まれていた。
 手を握る人物は、天国が寝ているベッドにもたれかかって寝入っていた。
 その顔を覗き込んだ天国は、驚きに目を見張る。
 天国の手を握っていたのは、横顔しか知らないあの男だったのだ。

 驚き混乱しながらも握られている手を男を起こさないようにそっと外し、ベッドから抜け出した。
 素足に触れる床板が、ひんやり冷たくて気持ちよかった。

 なんだろう。
 何か分からないけど、心臓の音がうるさいぐらいに脈打っている。
 耳元で鳴る音に、意識が高揚していく。
 力が体の芯から湧いてくるような感覚。
 熱いぐらいの。
 俺の体はどうしたっていうんだろう。

 何とはなしに己の手のひらを見やった天国は、そこにぱたぱたと鮮やかな赤が散ってまた驚いた。
 なんだってんだろう、驚いてばかりだ。
 そんなことを頭の隅で冷静に考える。

 血が、どこから。
 口の中……?
 切ったのか。

 垂れる血を止める為に、口を閉じて手で押さえた。
 血の匂いが鼻を突く。
 鉄臭いそれが、何だかやけに強く匂う気がした。

 何で口の中なんか……ああ、事故で切ったのか。
 そうだ俺、事故にあったんだっけ。
 忘れてた。
 トラックが目の前に迫ってて、その後……記憶が飛んでる。
 そういえば何で、アイツが俺の手を握ってたんだろう。
 街中でよく見かけた。
 横顔ばかりの、男……

 ぼんやり考えながら、部屋の中を見渡す。
 今更気付いたが、天国は腕にも足にも包帯がぐるぐると巻かれていた。
 ミイラ男になったかのようなそれが、少し動きづらい。
 事故で怪我をしたのだろう。
 その割には痛みもほとんどなかったが。
 とにかく洗面所にでも行って、口をゆすぎたかった。
 ぐるりと部屋を見回して、そこで天国は初めて異変に気付いた。


「ここ……?」


 病院じゃ、ない。
 普通の家、誰かの部屋だ。
 アパートか何か、みたいな。

 天国が寝ていたのも、ベッドではなくソファだった。
 そこにもたれかかり、男は秀麗な顔で寝入っている。
 おそらくはこの部屋の主なのだろうと、何となく察しがついた。


 混乱し、震える足で今はとりあえず洗面所を借りよう、後のことはそれから考えようとふらふら歩く。
 辿りついた洗面所に身を滑らせて、またぎくりと身を強張らせた。

 薄暗い洗面所。
 洗面台には水が張られたままだった。
 水に浸かっているのは、刃渡り10センチほどの小さめのナイフだった。
 そのナイフ自体は珍しいものでもない。
 最近は物騒になっているから、護身用に持ち歩くのも珍しい話ではないだろう。
 天国が驚き身を強張らせた理由は、別にあった。


「これ……血…?」


 洗面台に、赤黒い色が散っている。
 水に浸かったナイフの周囲に。

 まるでこのナイフで……

 そこまで考えて、天国は思考を中断した。
 恐い想像に至ってしまう気がしたからだ。
 こくりと息を呑んで、鏡の横に手を着いた。
 鏡を覗き込んでそっと口を押さえていた手を外す。

 口の中、を、切っ……

 口の中を見ようと思ったのだ。
 派手に血が出たから、どれ程の傷なのか気になって。
 だが鏡の中の自分を見て天国の思考は停止してしまった。
 半開きの口の中、そこに在ったのは。
 人としてはあり得ない、長く伸びた牙だった。

 一瞬何を見たのか、鏡に写ってるのが何か分からなかった。
 犬のように、いやそんなものじゃない。
 ホラー映画だ。
 見たことがある。
 こんな牙の、あれはそう、吸血鬼とかいう。

 なに、なんだよ、これ……?
 牙……なの、か?


「…っ、ぎゃあああああっ!!!」


 限界だった。
 色々な事が起こり過ぎて、何が自分の身に降りかかったのか、もう背負いきれなくなっていた。
 天国は絶叫し、膝を折ってその場に座り込んだ。





END

 

 

 


Web拍手掲載期間→2005.10.19〜2005.11.15

 

 

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